戦後日本の台湾史研究−政治史.経済史を中心に-
川島 真
北海道大学大学院法学研究科
shin@juris.hokudai.ac.jp
1999年、日本台湾学会が誕生した。現在、石田浩教授を会長とし会員数400名以上を誇る大きな、そして若手研究者の多い学会に発展してきているhttp://wwwsoc.nii.ac.jp/jats/ 。この学会の設立は、日本の台湾研究における一つの到達点であったが、将来的には、一つの通過点として意識されていくことになろう。日本の台湾研究は、ポストモダン関連の研究、文化研究、メディア研究、経済学、歴史学、政治学、文学、人類学、建築学、民族学、宗教学など、非常に幅広い分野で急速に発展し、いまでは台湾研究で大学に職を得る研究者も出てきている。
台湾学会成立の前提には以下の数点があった。
(1)台湾を多様な住民構成、国際環境などにより変容してきたアイデンティティをもち、地域研究の対象となりえる濃厚な個性を有していること。
(2)多様な学問が交錯するインターディシプリナリーに依拠すること。ここには、政治学、歴史学といった学問手法だけでなく、たとえば歴史であればオランダ史や中国史と密接に関わるという地域的、領域的な重なりをも服務。
(3)米中日(露)プラス台湾という、国際的な問題の構図の中で、強いアクチュアリティ(現代性)が認められること。
(4)国民国家パラダイムやナショナリズムを前提とするわけではなく、地域研究に何らかの洞察をもたらすものなら、何でも貪欲に吸収すること。そうした意味で、台湾研究は内的に修練、埋没していくものではなく、関連諸分野、領域に対する開放性も同時に有していることになる。
(5)メンバーとして学界のみならず、学界外で研究活動をおこなっている研究者にも幅広く参加を求めること。
このような研究への姿勢は、ややもすれば政治化しがちであった日本の台湾研究を「学術」にひきつけ、また51年間の植民地統治をふまえつつもそれを国際的環境の中で相対化し(日本統治の視線で台湾研究をおこなうのではなく)、そして地域としての台湾という新たな総合研究の枠組みを提示しようとするものであった。
台湾学会は、研究大会、学会報(『日本台湾学会報』)、ニュースレターの三点を活動の柱とし、関西、東京、台北での研究会、またホームページ上での情報交換、そして「戦後日本における台湾関連文献目録」などを作成してきた(ウェブサイトで公開http://web2.koryu.or.jp/taiwanstudies.nsf )。
また、台湾学会の成立後、それ以前に活動をおこなっていた研究拠点もいっそう活性化され、台湾研究がひとつの研究分野として確立してきていることがうかがえる。中でも、天理台湾学会(『天理台湾学会年報』、http://www.tenri-u.ac.jp/tngai/taiwan/)、台湾史研究会(『現代台湾研究』、http://www.roc-taiwan.or.jp/data/data3-15.html)、中京大学社会科学研究所台湾研究部会(http://www.chukyo-u.ac.jp/reserch/irss/taiwan/index.htm )などが中心的拠点として挙げられ、昨今、そこに早稲田大学台湾研究所(http://www.waseda.jp/prj-taiwan/project.html)などとの新たな拠点が形成されようとしている(東京大学の台湾研究所については不明)。
外国研究としてみた場合、世界の台湾研究の中で、おそらく日本が最大の拠点だということになるだろう。これは地理的な環境、歴史的な経緯を考えればありえる帰結であるが、その地理的な近接性と歴史的な経緯がともにマイナス面になることもある。それは、地理的に近くフィールドワークを容易におこなえるだけに台湾内部のコンテキストに引きずられがちになり、また歴史的な経緯があるがために、しばしばポスト・コロニアル的な観点から批判されるように、戦前以来の視線が投影されがちになるのである。戦後日本の台湾史研究は、この地理的近接性と歴史的経緯における有利さを受け止めつつ、それを相対化していく過程であったとも考えられる。これは日本内部の問題でもあり、実は同時に脱植民地化する台湾側にも反射する問題でもあった。
だが昨今、国際環境や日台双方の社会、政治環境の変容の中で、こうした地理的近接性や歴史的経緯はあらためてその位置づけを問われているように感じる。
本報告では、そうした背景をふまえ、戦後日本の台湾研究の展開を、社会科学の面で検討し、そこから戦前の遺産の継承から相対化の過程、ひいては台湾学会の成立までの流れをおい、そうすることで今後の課題などをあらためて検討してみたい。(了)