78thDec02

中国人の日本観・日本人の中国観シンポジウム

 

川島 真

 

 2002127日から8日にかけて中国社会科学院主催の第四回中日日本研究者青年フォーラムに参加した。社会科学院の金熙徳教授、日本の東洋学園大学の朱建栄教授、慶応大大学の国分良成教授、岩波書店の馬場公彦氏の姿も見えた。このフォーラムは、人数が30人前後に限られていたためか、あるいは既に四回と会を重ねたたためか、たいへん落ち着いた実に興味深い会議であった。

 国分教授の提唱している1972年体制論は既に広く知られているが、今回の報告でもそれが話題になった。また朱教授は、鋭い分析眼で日中関係に横たわる幾つかの問題点を指摘しながら、中国側がアジア人意識をもつ必要性や後述の欧州での経験などを提起した。このほかに、瀋陽事件で見られたマスメディアの問題、日本の誤解、中国の誤解、歴史認識、靖国事件、数多くの問題が議論されたのだが、特に印象深かったこと、また考えさせられたことは以下の三点であった。

 第一に歴史認識問題は、早期の解決は恐らく不能であり、これはこれとして継続して議論しながら、まずはアジア人意識などを醸成して、そこからシ諸問題を突破せんとする姿勢である。これは、歴史問題の解決なくして今後の日中関係の展望はないといった従来のトーンと相当異なる。靖国問題もまた中国の対日観を規定している部分があるが、これについても別に教条主義的な議論をするわけではなかった。こうした歴史問題への認識が金熙徳教授から示され、さらに金教授からは中国の近代史へのイメージ、特に中国が常に被侵略者で、まっさら正義者であるかのように振舞うことに疑義が唱えられ、最近では「中国人の国際認識」が問題にされつつあるということが述べられた。これは極めて重要なことであり、決して日本の戦争責任は軽減されることはないにしても、中国の対近代史相対化は今後の対話に大きな進展をもたらすものと考えられる。他方、北京大学の尚会鵬教授は、中国人の内面、特に対東アジア認識の内面から日本に対する見方を扱い、そこでは極めて内省的な議論がなされていた。中国人が中国人を問うということ、中国人が中国を問うということ、それも内省的におこなうということ、こうした試みが始められたことは実に注目に値する。国分教授は、日本が最近になって日本を語り始め、最近になってようやく日本外交はどうあるべきかなどという議論をはじめたが、これは決して遅いことはない、加えて中国には日本の轍をふむことなく、この成長期に自らを語り、説明する方向性を見出して欲しいと述べた。まったく同感である。

 第二は、朱建栄教授の示したOECDにおける経験である。朱教授、OECDではいくつもの争点や対立点があっても、大きな問題として政治化させることなく、問題を細分化して実務的に協議してきたということを述べ、これが参考にならないかと問題を提起した。これは、筆者自身が以前から有している持論「忍耐の時代」に極めて近い議論であった。すなわち、東アジアという場においては、大きな問題からスローガンをつくり、そこから全ての問題が溶けていくような問題解決はありえず、最早ひとつひとつの場における小さな解決の蓄積においてのみ、「信頼」の醸成はないであろう、こうした時代は「ポスト友好」の時代、つまり恐らくは2020年前後までの日中関係を規定するであろうという議論である。 

 第三は、馬場氏が提起したことでもあるが、アメリカという要素の問題である。米中、日中が重要だというまでもないが、問題は、戦後の東アジア各国が「アメリカ抜きで」、二国間で課題を解決する術を身につけてこなかったのではないかという問題提起に大いに共感した。自分が国際政治学会で報告した戦後日本外交の問題性(戦後処理もアメリカの後ろ盾で強引に達成し、あたかも勝利者のように対アジア外交を展開しようとしたこと)に大いに共鳴する問題提起であった。

 このほか、やはり議論が必要であると思った課題に、「東アジア共通の基盤」論がある。数名の論者が「東アジア儒教文化圏」的な話を、また一方で数名が「ソフトカルチャーによる一体化」現象をとりあげ、比較的楽観的な話をした。筆者は、これには大いに懐疑的であった。同じ歌を歌い、同じような漫画を読んで、確かに共通の話題はできるかもしれない。そして、言葉を学びあうことは交流の第一歩であろう。だが、現在は「友好」のためにスローガンを唱えていればいい時代ではない。こうした交流の基礎論の次が必要なのである。対話ができるようになってしまったからこそ分かる溝もあるし、近づけば近づくほど見える絶望的な壁もあるかもしれない。この点への展望なしに、安易に楽観論をとなえるのはいかがかと思う。だが、筆者は悲観論をとるわけではない。むしろ、筆者はこのような「いき詰まり」減少は極めて健全と思っている。ある意味で、言葉、ソフトカルチャーなどで成立した交流の基礎はそれなりにできつつあるということである。ここに来てあらためて出てきた問題を既存のソフトカルチャーなどで突破できるとは到底思わないが、ここまで来たことは評価しなくてはならない。

 いまの東アジアは、政治が×、経済はいやおうなしに接触・調整(但し農業は除く)、文化については、ハードカルチャーは依然中国中心主義と国粋主義がみえかくれし、ソフトカルチャーは無国籍的に日本発信の、また韓国発信のものが各地に広まり、いまでは相互流通状況にある。このうち、どのアスペクトに重点をおいた議論をするかは別にして、筆者は、個々の場面における、相手を理解して各々が合理的に冷静に国益を主張する態度が、そして真摯に議論して、調整をおこなってゴールを見つけていくという小さな作業の積み重ねが、結局のところ相互の信頼感の醸成に役立ち、そして将来的に何かしらの「共通の地盤」が育成されるのに繋がると考えている。日本語を話す人が増えれば、日本の歌が広まれば自然と日本理解が進むなどというのは楽観論に過ぎるし、その数字に一喜一憂するような姿勢は、自己満足的で、諧謔的でさえある。それぞれがそれぞれの言葉を学ぶ。そして文化的交流がある。この1020年、その方面の活動が確かに成果をあげてきた。いま求められているのは、その成果を何に結び付けていくかという「しかけ」と、今後どのようにしていくかという方向付けなのである。だが、その方向付けをおこなう際に、前述のようにスローガンをぶちあげて解決するのは無理である。ひとつひとつ積み上げていくしかないのであろう。

 国分教授は、「もし中国がいま日本にスマイル政策でも展開したら大きな効果があるだろう。日本はやさしさに飢えている」と発言、朱教授から「具体的に何がありますか。新幹線のことかとも思ったんですが。中国の上のほうもあまりよくわかっていないところがあるので」と言う。国分教授は冗談で「美女軍団でも各省から送ってもらいますか!」。朱教授は「そういうと思いました」。

 この会議は、日中の研究者が極めて率直に議論する場であり、また新体制発足が決まった中国にあって、数年後に来るポスト江沢民時代の日中関係を予感させるものであった。そこでは、従来の大問題が比較的相対化され、次第に建設的な方向性が築かれていく、そして統計などに基づいた実証的な議論ができつつあるという、そういう感覚を持ちうる場であった。以前にもこうした場があったが、今回はとても集中してこうした印象をもてた場であった。まだまだ解決しなければならない問題も多いが、多少前向きになれる気がした。

 最後に、この会議のひとつのトピックに「学者に何ができるのか」ということがあった。メディアを活用するかどうかは別にして、まずそれをしっかりと考えなくてはならない。筆者はせめて新書レベルでの発言は最低限おこなっていくべきではないかと会議で述べた。政府の顧問的存在になったり、社会運動をおこなうこともあるのかもしれないが、実証研究の成果をきちんとわかりやすく説明していくことこそが学者にすべきことであり、またそれしかできないのではないかと筆者は考えている。日中関係においてもそれは同様であろう。