20041211日/大阪・中国現代史研究会シンポジウム

「東アジア」における地域秩序と現代中国−帝国論の視点からー

 

「『普通の国』と『大国』の間近代中国外交から見る
川島 真(北海道大学大学院法学研究科)

shin@juris.hokudai.ac.jp

 

  昨今、「帝国」への関心が急速に高まっている[1]。アメリカが、古代帝国とも、また「大英帝国」とも異なるスタイルの「帝国性」を帯びつつあることが背景にあるが、東アジア、特に日本では「帝国」への関心が中国に向かう傾向にあるようだ。漢字における「帝国」は、『諸橋大漢和』に見られるように、元来「徳を以て治める国、帝者の国」とされてきた。だが、しかし現在東アジアで多く使用されている「帝国」は、日本語における「皇帝の居る国」としての造語で、それが19世紀に逆に東アジアに広まったものだと想定されている[2]

  こうした「帝国」という語義の背景も視野にいれつつ、本報告では、報告者がこれまでのおこなってきた議論をふまえながら、主に近代中国外交の観点から、中国の「帝国性」の問題について些かの議論をしてみたい[3]

中国を「帝国」としてみる場合、その帝国の提起にもよるが、そこにおける対外的な意味での拡大性、内的な包摂性と同化性、さらには衝動性、理解困難な複雑性などが語られてきた。ここには、オリエンタリズム的な香り漂う古代帝国としての意味合いが強く盛り込まれつつも、同時に21世紀の現在においても存続しうる、予測可能な運動体への視線も同時に示唆されている[4]。だが、こうした議論は、ややもすれば「そもそも中国は…」といった歴史決定論、安易な政治文化論に陥る可能性がある。他方、中国を主権国家、国民国家といった相当にウェストファリア的なコンテキストで理解する見解もある。中国は「主権」を重視するし、また国民国家建設にまい進しているし、またさらに昨今の立ち振る舞いは明らかに世界標準に自らを適合させていこうとする国家にも映る。こうした議論は、中国を殊更に例外的な扱いをせず、「普通の国」として中国を描こうとする[5]。だが、オリエンタリズム的な、あるいは中国特殊的な視線が好むような事象、中国において突発的に生じる事象を説明できないことがある。他方、帝国性と主権国家性の双方が絡み合うもの、あるいはダブル・スタンダードして中国を描こうとする方向性もある[6]。この方向性は説明可能な範囲が広がるものの、なぜそうなったのかということや、二つのスタンダードの適用範囲や関係、そして同様に帝国性を指摘されるアメリカとの相違や同一性といった新たな問題を惹起する。

  だが、周知の通り、中国自身は自らの「帝国性」については否定的だ。「覇権」を批判する中国としては当然のことだが、興味深いのはイラク戦争開始以前の中国が以下のように論じていたことである。それは、新帝国論を植民地主義に依拠し、ポストモダン国家に対しては安全を保証しつつも、前植民地国家(モダン国家)に対しては19世紀型の武力行使の手段を用いる「ダブル・スタンダード」を用いているのであり、「国家主権、領土保全、民族の尊厳を核心とした国際法を踏みにじり、一部の国家やそうした国家の集団による偏った主義と新干渉主義が横行することになる」と評していたことである[7]。これはアメリカに見られる新たな帝国を中国が覇道と結び付けて理解していたことを示している。これは、日本において中国の「帝国性」が議論されるのと対照的なことであるといえるかもしれない[8]

  それではこの問題を近代中国外交史の観点からいかに論じることが可能であろうか。報告者が『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、2004年)で議論しようとしたのは、特に20世紀第一四半世紀について、(1)主権国家として当然おこなわれるべき外交体制の整備、(2)不平等条約改正政策を見出し、「弱国無外交」と言われた時代におこなわれていた外交が実は(明治期の日本に似た)国際標準に見合う「文明国化」を目指していたことを指摘し、(3)周辺との関係については、所謂「朝貢体制」的なコンテキストから説明できる局面を見出すことは容易ではなく、中国外交を「朝貢貿易体制」論的な連続性の観点の中で論じることには(少なくとも外交文書上は)無理があるのではないかという問題提起をした。だが、当時の多くの主権国家に共通したはずの富国化、強国化ということの先にある大国化という側面は見られたと述べた。これは、政治文化論的に中国外交の特徴として位置づけられた「中国の伝統外交」が必ずしも連続性の下に位置づけられるわけではないということであった[9]。だが、他方で民国前期には伝統の再構成とも言える事象(たとえば『清史稿』で清末の朝貢国を「属国」として位置づけたり、教科書などでかつての国境内に「属国」を含めたり、『清季外交史料』などでその属国が喪失する過程を描いたり、さらに中国外交自身もその淵源を春秋戦国期に求めようとしたりするなどのことがあった。従って、民国前期は主権国家化やその流れの中にある(通常の)大国化志向といった「普通の国」的な成功をもちつつ、同時に「伝統の制度化」、「『帝国』としての記憶の再構成」が見られた時期だということになろうか。この時代に続く20世紀の第二四半世紀、すなわち南京国民政府の時代になると、近代性への志向性は強まるものの、外交という側面では文明国標準よりもむしろ「国民外交」に見られるような国民の動員と、「革命外交」理念に裏打ちされた「強国」への志向性が強まると見ていいだろう。そうなると二十世紀前半の中国は、対外関係の面で主権国家としての外交(+国民外交)、また列強化を志向しつつ、しかし同時に「伝統」の再編を試みていたということになろう。これが中華人民国和国において継承されたのか否か、それは筆者が十分に語りえるところではないが、恐らくは二十世紀前半までの外交に社会主義国家としての側面を加えたかたちで形成されたものではないかと考える。

ここで問題となるのは、再編され続ける「近世帝国性」、主権国家(国民国家外交)、そこに連なる大国化・列強化、そして社会主義的な側面が、それぞれ解釈しなおされながら、どのように立ち現れるのかということである[10]。だが、いまの中国は対外関係についてみれば、国際社会やグローバリゼーションと協調しようとする「普通の国」であることを表現しようとしているように見える。そして周辺諸国とは、六カ国協議や台湾問題を国際問題と位置づけたように国際的な文脈を尊重しながら対処する、穏健外交的な姿勢を示している。

だが、東アジア諸国から見れば、(中国側の説明が額面通り届かず)その発展、成長が「帝国」のイメージを喚起させ、それは「恢復中華」というスローガンも、乾隆期への回帰のように映ることになる。他方で日本は、経済発展(豊かさ)と文明国標準という拠り所が他国=中国に抜かれるとい未体験の事態が迫る中で、拒否反応とも言うべき言動がしばしば見られるということであろう。しばしば議論されるアジア共同体論は、EUの形成やグローバリゼーションからの刺激と、実際に東アジアで生じている相互依存性の高い域内経済、またソフトカルチャー面での共同市場形成などを背景としている。だが、同時に政治外交面での統合が困難であることも意識されている。

最後に日中関係についてであるが、少なくともいえるのは、1970年代に中国外交が社会主義性の強いコンテキストの下におかれていた時期に結ばれた「友好」を軸とした関係だけでは現状には対応できないのではないかということである。経済文化面での交流が主流になる中で、実際に政府が何にどこまで関与すべきかを考慮し、その上で行政面でのガバナンス形成をおこない、同時に政治外交面で「友好」の先に見える「普通の主権国家」、「大型主権国家」としての「大国」となる中国と向き合う枠組みを、現状をふまえて構想する必要があるものと考えられる。(了)



[1] Michel Hardt and Antonio Negri, Empire, Harvard University Press,2000.は、麥可・哈徳、安東尼奥・納格利著、韋本、李尚遠訳『帝国』(商周出版社、20027月)として既に中国語訳され、台湾の陳光興による「帝国與去帝国化問題」(『文化研究月報』26期、20034月、日本語訳は「帝国と脱帝国化の問題」、本田親史訳、『現代思想』20032月号がある)という書評もある。ネグりの議論は、アントニオ・ネグり「『帝国』とは何か」(『現代思想』20032月号)などでコンパクトに紹介されている。

[2] 吉村忠典『古代ローマ帝国の研究』(岩波書店、2003年)における第三章「『帝国』という概念について」(初出:『史学雑誌』1083号、19993月)。ただ、吉村は下関条約で清が大清帝国を用いたことに注目するが、清がこの国号を条約文で用いることは極めて稀であった。

[3]拙稿「『中国』−帝国、主権、そして大国  近一五〇年間における『中国』の形成」(『比較文明』19号、200312月、7593頁、特集〈帝国とネイション〉)、拙稿「中国が『普通の国』になる中で−中国研究の艱苦−」(『創文』463号、20044月、7-11頁)を参照。

[4]主権と帝国の絡み合いの視点を提示しつつも、帝国性を重視する議論としては、中西輝政『帝国としての中国』(東西経済新報社、2004年)がある。

[5] アメリカにおける中国政治史研究は、恐らくはアメリカの政治研究が政治文化論を忌避した数量分析=実証の方向性をとっているためであろうが、「分析」「予測」可能な対象として中国を描きつつあるように思われる。

[6] こうしたダブル・スタンダードをめぐる議論は日本の現代中国外交をめぐる議論でもあるように思われる。たとえば、中朝関係史研究者である秋月望の諸研究(「華夷システムの延長上に見る中国・朝鮮半島関係−中韓国交樹立と中朝関係」『アジア研究』403号、1993年など)は、伝統的な中華アプローチと主権国家型の双方が中国の対朝鮮政策に見られると指摘する。だが、益尾知佐子「ケ小平期中国の対朝鮮半島外交−中国外交の『ウェストファリア化』の過程」(『アジア研究』482号、2002年)は、ケ小平期の中国外交が社会主義的な意味での国際主義から、ウェストファリア的な主権国家体制に適応した姿を見出す。

[7] 「新帝国論的夢想」(『人民日報』2002425日)。こののちも、『人民網』が「美国的新帝国夢」(2003年第7期)を掲載http://www.people.com.cn/GB/paper81/8982/837557.html するなど、議論は継続しているようだ。そこでは比喩として「帝国」を用いることの危険性を訴える議論などが見られる。

[8] 中国系研究者の多くが清末以来の「帝国性」の連続論を否定する中で、孫歌「亜洲論述与我們両難之境」(『読書』20002月号)は、対東アジアについては連続性を見出す議論をしている。こうした議論については、拙稿「アジアから見た『アジア』、『地域』、そして『周辺−東アジア歴史学界の断層面』(横山宏章・久保亨・川島真編著『周辺から見た20世紀中国』中国書店、2002年所収)参照。

[9] その他の柱として、中国内部に複数の政権があろうとも、それらが「中国」を否定するわけではなく、また外交面において自立的になるわけでもなく、中国の代表権を主張するか、あるいは同様の内容を主張しつつも、その政策の実行面で中央州政府に収斂していかない姿を示した(第四部)。

[10] 本来なら、華僑をめぐる問題や国内における政権の問題についても議論するべきであろうが、ここでは外交問題に限定する。なお、内政面で興味深い指摘として以下のものがある。「中国では、毛沢東がスターリンと皇帝の業績を手本にして、大胆にも、清帝国の基盤の上に社会主義を形成しようとした。しかも毛沢東は、新しい多民族、多宗教、多言語の広大な支配地域に対して、ナショナリズムという寸足らずで薄っぺらな皮を無理やり引っ張ってかぶせようとしたが、それは無駄な試みであった。」B.アンダーソン「〈遠隔地ナショナリズム〉の出現」(『世界』19939月号)