2004年6月8日4限(W203室)

川島 真(shin@juris.hokudai.ac.jp)

アジア政治論  <中国外交論>

第9回講義レジュメ

中国政治の基層(2)空間論(中央、地方)、官と民、民主化






















●国民統合、民族統合、そして地域統合

  <中央・地方関係>

(1)        区分

    1級行政区(省・自治区・直轄市)、…市鎮に到る4層構造。

(2)「地方自治」は実質的にも論理的にも認めていない。

   (a)地方の人民代表大会はそれじたいが権力体であるから自治は必要無い(レーニン)

      所謂「自治」が出てくるのは自治区だけ。

   (b)しかし、中央の統一指導を前提に地方の積極性を発揮させるという方針。

   ⇒(ab)は矛盾。

(3)中央の権限  

地方政府の幹部の任免、配置転換権

地方政府の法規、組織条例などの批准権

地方政府の行政管理活動に対する強制命令権

地方政府は中央政府のすべての指導を執行する義務をもつ

 (4)「収放」サイクルについて

  ・問題は財政権、企業管理権

 

     官と民のあいだ

公共性の構造転換?

市民社会?

→ しかし、中国社会は急速に多様化し、官と民の関係も急速に変化している。

 

1949年、中華人民共和国誕生〉 社会主義中国の誕生

 ●生産手段 → 国家独占

都市部: 工業生産手段の国有化(旧民族資本、外国資本、華僑資本など)

          個人商工業者も大部分が国有企業に。

   農村部: 土地改革、合作化運動、統一購買、人民公社

 

 ●組織制度 → 社会的流動性の抑制

   身分制度 : 階級制度  農村部: 地主・富農・中農・貧農・雇農

                    都市部: 革命幹部、革命軍人、工業労働者、店員、資産階級、工商業兼地主、中小の業種、手工業者、職員、自由業、高級職員、都市貧民、露天商

     身分は49−50年代に調査、60年代に再調査。身分証に記載。身分間移動は制限され、社会サービスは身分によって差別化され(特に農村→都市)、農村戸籍=公社制度、都市戸籍=単位制度と密接に関連した。

            就業身分 都市部の身分制度。幹部と労働者は、ともに国家から生活を保障されていたが、両者には大きな違い。社会的に流動しない。

            所有制度 「全人民所有制」(国家、国有企業)、「集団所有制」(各地域レヴェル)。あらゆる社会サービス面で集団所有制より上。都市部は、8割が全人民所有、農村部ではほとんどすべてが集団所有。 

   単位制度 : 国家により直接つくられた「単位」。すべての都市住民はここに属する。国家のコントロールは単位を通じておこなわれる。逆に個人は単位にはいって初めて基盤を得る。また、個人は「档案(とうあん)」によって管理される。

   行政制度 : 行政的身分 行政的な官職、位置の重要性

戸籍制度  1958年開始。都市戸籍(紅色)と農村戸籍(緑色)を明確に分ける。両者の移動は極めて困難。

 

     確かに過度の差異、特権化などは抑制されることになった。しかし、行き過ぎた平均化は大きな問題であった。 

 

改革開放の意味

  身分制度 : 身分体系の崩壊、基本的に労働者などにまとめられていく。

 プロレタリア独裁の意味。

  戸籍制度 : 原則として維持されているが、公社制度の崩壊、配給制度の停止などによって、移動が頻繁にみられるようになった(それがなければ沿岸部の工業は成立しない)。

  所有制度 : 全人民所有、集団所有ではない別の企業があらわれたため意味をなさない。また、集団所有(たとえば郷鎮企業)が花形になり、全人民側が国家のお荷物になるという現象も。

  単位制度 : 単位は維持されたが、そこに付与されていたサービス財源が枯渇。農村レヴェルでは「公社」が解体。計画経済部分が緩まるにつれて「単位」の存在意義は落ちていった。

     中国では何がおきたのか。

国家→単位制度→人民 というラインが崩れた。それにともなう管理、サービス体制に大きな変化が生まれた。身分制度+悪平等があらためられ、競争原理を取り入れた「市場経済」へと移行。

 

多様化、自由化というのには、まだまだ制限も多いが、コンテキストを考えれば、多様化に向かっているといえる。 → 逆に国家は何をすべきか。

 


吳邦國指「六四」正確處理
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5日 星期六 03:30 更新

(綜合報道)

(星島日報報道)正在挪威訪問的全國人大委員長吳邦國在「六四」事件十五周年之際談到了「六四」問題。他首度提出,中國在這事件上作了「正確處理」,保證了中國的穩定,「這符合中國最廣大人民的利益」。

  吳邦國應挪威外交政策研究所之邀在奧斯陸演講後,回答當地記者提問時作上述表示的。當時有記者問到,中國何時能對「六四」作出重新評估﹖何人作出此決策﹖如何對受害人賠償﹖

  吳邦國回答說,「十五年前,蘇聯解體,東歐巨變,中國也發生一場政治風波。正是因為中國的正確處理,保證了中國的穩定,也捍了ケ小平倡導的改革開放。這符合中國最廣大人民的利益。」

  他又表示,「中國二十五年的(指改革開放)經驗,就是處理好改革和穩定的關係。發展是目的,改革是動力,穩定是基礎。沒有穩定的政治局面,就談不到改革開放,安定團結對於中國來說比甚麼都重要。」

  這是中國官員今年內第三度談到「六四」事件,此前,國務院總理溫家寶(相關新聞 - 網站)和外交部發言人劉建超分別在今年三月的「兩會」記者會和日前的外交部記者會中談及這個問題。

  三人的回答大同小異,但也不盡相同。其中,劉建超明確指出了,中國已不再以「反革命暴動」來稱呼「六四」事件,此事件在中國正確的說法是「一九八九年春夏之交的政治風波」。

  總理溫家寶在今年三月「兩會」記者會上被問及有關問題時則這樣說﹕「上個世紀八十年代末、九十年代初,在中國發生了一場嚴重的政治風波,蘇聯解體,東歐劇變,在這個關係黨和國家命運的關鍵的時刻,黨中央緊緊依靠全黨同志和全國人民,堅持十一屆三中全會以來的路不動搖,成功地穩住了中國改革開放的大局,捍了中國特色的社會主義事業。」

  溫家寶的說法最特別之處是少了「採取果斷決定」這句。當時就有評論指出,溫家寶這個回答既迴避了對學運的定性,也迴避了對當局處理手法的評論,是歷來官方語調最平和的說法。

  在吳邦國的最新講話當中,雖然也沒有這句,但還是強調了當局對事件的「正確處理」。