北海道大学法学部・大学院法学研究科・公共政策大学院 2005.7.20
川島真shin@juris.hokudai.ac.jp
2005年第14回 アジア政治論講義
http://www.juris.hokudai.ac.jp/~shin/
●評価関連
締め切り 8月26日(金)
提出先 法学研究科教務係
●形式(厳守ください) → 「紙」、A4、手書きはなるべくさける。字数は4000字以上。
●添削の上で、返却。点数に間違いがあるときは指摘してほしい。
●問題
<公共政策大学院> 日中間のODA案件を複数選び、その案件の意義、問題点を中国的な視線を含めて、比較しながら検討しなさい。
<大学院修士課程> 中国における権力のありかたについて検討しなさい。
<学部学生> 授業の一連の質疑応答集の中から(授業内容について、また時事関連部分に限定。1の要望と、そのほかのところは除く)、自分が興味を持つ頻出するテーマを選び、何月何日と何月何日のどの質問と明記した上で、(1)自らであらためて問題を設定しなおし、(2)質疑応答の内容を批判的に検討し、(3)頭で考えるなり、調べるなりしたうえで、自分の見解を論理的にまとめなさい。感想ではない。
●評価基準 (1)自分の見解が、自分の言葉でかけているか。
(2)しっかり論理的にかけているか。
(3)おさえられるべき文献などがおさえられているか。それを「読めて」いるか。
(4)事実認識などに誤りはないか。
(5)表記
(6)引用する場合には、必ず出典を示すこと。ないものは盗用とみなす。
著者、書名、出版社、年、頁数など
★剽窃、ウェブ上の文章からの盗用、他人と共通のものなどが発覚した場合、みな
不可とする。
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14時45分から1時間
○徐一平先生による講演 「喫水不忘掘井人―最近の中日関係に思いを寄せて―」
1956年生まれ。日中両国政府の共同事業として位置づけられている北京日本学研究センターの主任、北京外国語大学教授。日本語学、中日言語対照研究専攻。
1979年北京外国語大学日語系卒業、1981年北京外国語大学日語系研究生卒業、1985年神戸大学大学院文学研究科卒業・修士号取得、1989年神戸大学大学院文化学研究科卒業・博士号取得
中国日語教学(日本語教育)研究会副会長、中華日本学会常務理事、北京市中日関係史学会副会長。主著には、『留日指南与会話』(高等教育出版社、1994年)、『日本語研究』(人民教育出版社、1994年)、『副詞』(外語教学与研究出版社、1997年)、『中国的日本研究』(主編、社会科学文献出版社、1997年)、『利瑪竇伝』(翻訳、光明日報出版社、1999年)、『日本語言』(高等教育出版社、1999年)、『中文版日本語文型辞典(中国語翻訳繁体字版・簡体字版)』(くろしお出版、2001年)、『中日対訳語料庫的研製与応用研究論文集』(主編、外語教学与研究出版社、2002年)などがある。
中国を代表する日本語学研究者。日本語教育の世界でも第一線で活躍。日中文化交流の重要人物であり、留日学生活動站などの中国に日本から帰国した留学生グループでも重要な役割を果たしている。
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○授業の最終回にあたって
この授業で伝えたかったことはなにか
(1)法学部おける「アジア政治論」の位置づけ
(2)授業のスタイル
(3)中国の見方、とらまえ方 → 以下、資料参照 黄遵憲『日本国志』1887年
2005年7月20日
北海道大学
喫水不忘掘井人
―最近の中日関係に思いを寄せて―
徐 一平
一、喫水不忘掘井人
(水を飲むときに井戸を掘った人を忘れてはならず)
井戸掘るは難く埋むるはいと易し(5月31日「朝日川柳」)
二、大きなハードルの一つ「靖国問題」
ご自宅に鳥居建てたらいかがです(4月19日「朝日川柳」)
「靖国」の問題は本当に分からないのか、本当に解決できないのか。『朝日新聞』「声」の欄を少し集めても、庶民レベルでもこの問題はどのように扱うべきかということが分かっているのである。
「参拝の中止で得られるもの」(5月23日、教員53才)
「靖国参拝前に戦争の総括を」(5月24日、無職64才)
「従軍で心に傷参拝否定の父」(5月25日、教員54才)
「どこにいても祈りは通じる」(5月26日、無職80才)
「なぜこだわる靖国神社参拝」(5月27日、無職67才)
「戦友をまつる国立の墓地を」(6月1日、無職82才)
「過去を忘れぬ責任を負おう」(6月2日、主婦70才)
「靖国参拝やめ墓苑整備して」(6月4日、非常勤職員70才)
「立場と影響力首相は理解を」(6月6日、会社員56才)
「近隣諸国との友好こそ国益」(6月8日、無職71才)
「靖国神社側も早急な対策を」(6月9日、無職74才)
「事故死の父は戦死でないの」(6月9日、無職72才)
「『他者感覚』で参拝の中止を」(6月10日、高校講師63才)
「遺族は合祀に違和感ないか」(6月15日、著述業42才)
「靖国への案内母は喜ばない」(6月18日、無職68才)
「A級戦犯の魂分祀望ましい」(6月20日、会社役員79才)
「戦死者の御霊自由な空間に」(6月20日、福祉施設職員60才)
「侵略でなくて何だったのか」(6月24日、日本語学校講師42才)
「戦没者の死を生かすために」(6月25日、飲食店経営49才)
「寛大な中国兵指導者を批判」(6月26日、無職83才)
「賠償金は必要ない。われわれは自分自身が賠償金の辛酸をなめてきた。日清戦争で二億両(銀)、義和団事件で四億五千万両。抗日戦争が始まっても、まだ支払い終わっていなかった。もし賠償金を求めたら、日本の国民の負担を重くするだけである。半世紀もの間、日本はわれわれを痛めつけてはきた。だが今は平等になった。われわれと日本人民との友好は、こうしてこそ築いていけるものだ。」(周恩来)
それに対して、日本ではいくつかの論調がある。
靖国神社が神道の神社だから、合祀されたものは分祀できない。政治の力で宗教の慣習を変えてはいけない。
「戦災被害者に責任認めぬ国」(『朝日新聞』「声」6月5日、薬剤師65才)
「戦災死の兄に一言もない国」(6月17日、主婦73才)
日本の個人が靖国に参拝するということについては、中国でも韓国でも別に反対もしていないし、とやかくも言っていない。つまり、それを一宗教の神社としてみた場合、中国や韓国の近隣諸国はすでにかなり寛大な態度を取っていると言わなければならない。しかし、総理大臣たるものになると、一国の首相であり、その参拝は近隣諸国に対して一種のシグナルになるので、日本が如何に過去の戦争を見ているのかということになり、戦争責任を不明のまま、或いは戦争責任を否定したような態度のままでは受け入れられないだろう(「中国の政治的な譲歩」高橋哲哉『靖国問題』、ちくま新書、「感情の問題」「歴史認識の問題」「宗教の問題」「文化の問題」「国立追悼施設の問題」など全面的に「靖国問題」を分析。一読に値する)。
三、常に謝罪を求めているのか、戦争責任の否定に反対しているのか
「日本は何時まで謝る必要があるのか、永遠に謝らなければならないのか。」
「日本はすでに10数回もいや20数回も謝っているのではないか。」
1952年、中国が建国間もない、経済、財政のいずれもきわめて困難な情況にあったにもかかわらず、人的、物質的の面から中国在留日本人の帰国への支援に乗り出した。
『中国共産党中央の中国在住日本人問題処理に関する決定』
『政務院の日本人諸問題の処理に関する規定』
中国赤十字会と日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡委員会三団体との一致協力の下で、1953年まで、約32000人あまりに上る在住日本人の帰国を実現した。
1956年、中国は日本の戦犯を寛大処理することと、釈放された戦犯を送還することを決定。
「現在、わが国で拘留されている日本人戦犯は、日本帝国主義がわが国に対する侵略戦争期間に公然と国際法の諸基準や人道的な原則を犯してわが国国民に対してあらゆる犯罪を行い、未曾有の損害を与えた。彼らが犯した罪行に照らせば厳重に処罰すべきものである。しかし日本が投降後、ここ十年来の情況の変化と今置かれている境遇に配慮し、中日両国民の友好関係の未来を展望し、さらに拘留期間中に多数の日本人戦犯に、程度は異なるが、罪を悔いる心情の表れがあったことを配慮して、これらの戦犯に対して寛大政策を以ってそれぞれ処理する。」(王泰平『大河奔流』)
「両国は依然、戦争状態から脱していないが、中日両国人民の友好関係の発展と日本が置かれている境遇を考え、わが国はあえて寛大な政策によって、長期間中国に拘留されていた日本人戦犯をいくつかに分けて別々に処理した。これらの戦犯に対する一連の措置は、われわれがこれまでに中国を訪問した日本の友人に対して述べたことと一致するものである。中国政府がこのように弛まぬ努力を続けてきたのは、中日両国の国民が平和的に共存して友好往来を望み、両国の関係が早期に改善されることを強く願っているからである。」(周恩来)
「終戦の中国で寛容の心知る」(『朝日新聞』「声」、6月18日、無職80才)
しかも、毛沢東、周恩来の時代から、中国側の指導者は何回も中国訪問して、中国人民に対してお詫びの気持ちを表した日本の友人に対して、これはすでに過ぎ去ったことであり、われわれは未来へ向かって友好関係を築くべきであると言っているのである。
教科書で、「侵略」→「進出」、南京大虐殺の否定(数の問題ではなく、事実の問題)
A級戦犯を靖国神社に合祀、閣僚、首相などによる公式参拝。
「罪を憎んで人を憎まず」
これは被害を受けた側が加害者を許すときに使う言葉であって、加害者の立場から、これを持ち出すのはまったくのあべこべであろう。
「孔子が嘆いていないか」(朝日社説、2005年5月18日)
四、歴史から教訓を汲み取ると同時に、経験を学ぶ必要もある
1972年、田中角栄が首相に当選された直後、当時の世界的な潮流と日本国内の情勢から判断して、日中国交の正常化を実現しなければならないと決定する。そして、その抱負を日本の国会で宣言した。しかもその日にちは7月7日であった。
その後、田中が自民党内の意見調整として、自分が訪中の前に、自民党訪中団を派遣して、中国から日中国交回復の意義と双方が直面する問題の克服についての説明をしてほしかった。特に自民党内の反対派、「台湾派」への説得を期待していた。
その要望を受けた中国政府は、この代表団を非常に真剣に対応していた。そして、当時の総理周恩来が2回も代表団全員と会っていた。その最初の日は9月18日であった。つまり、いわゆる「9・18事変」(満州事変)の記念日だった(1931年9月18日)。
そのためには、勇気が必要である。個人的な政治的信念と国益を区別する必要もあると思う。「首相は国益を語れ」(『朝日新聞』6月3日)。
よく考えてみると、中日、日韓の関係が悪化することで誰が得をするのか。中国の「反日」デモが激しくなった時点で、日本のマスコミは中国政府がそれを利用し、或いは後ろで操っているのではないかと報道した。それは、ありえないことだと思う。中国政府は最初から、それは「目にしたくない」ことだと表明している。しかし、デモの組織の仕方から見ると確かにそれを利用しようとしている影が見え隠れする。
そのような情況の中で、日本政府が事態収拾のために中国政府との対話を求め、中国もそれに応じた。中日友好は最重要課題だと確認した上で、中国政府は政治的な大きなリスクを犯しながらも、反日デモの再発を抑制した。その政治的なリスクはどれくらい大きなのかということも想像できるだろう。それに対して、日本政府はどのような決断があったのか。
「分かってて分からぬと言う分からずや」(朝日川柳)
「適切に」この日本語の曖昧さ(自作)
五、「愛国主義」教育なのか、「反日」教育なのか
「愛国主義」教育は決して「反日」教育ではない。
「愛国主義」教育の根底には、中国自身の近代史への反省がある。
歴史事実の確認はどうして「反日」教育といえるのだろうか。そして、この教育の中でも、中国政府が一貫して表明している立場は、「日本軍国主義者」と一般の「日本国民」を区別して、中国侵略戦争の責任は日本軍国主義者にあったのであり、一般の日本国民にあったのではない、ということである。このような「愛国主義」教育は、「反日本軍国主義」教育と言えても、決して「反日」教育とは言えないだろう。
それから、世代から言えば、私たちの世代こそが、いわゆる完全に「抗日戦争」の教育を受けた世代であり、映像で見た日本人はすべて戦争映画に出てくる日本軍の姿でしかなかった。
今の若者たちはどのような日本のイメージを形成しているのだろうか。
1972年に中日国交正常化し、それをきっかけに起きた日本語学習ブーム。今は約39万人の学習人口があり、世界においては2番目に多い位置につけている(もちろん、これでも人口比率からいうと決して多くないと私は思っている);
70年代に日本から入ってきた映画(『君よ憤怒の川を渡れ』、中国語訳『追捕』)、ドラマ(『赤い疑惑』、中国語訳『血疑』)が熱狂的なブームを起こし、それらに出演した高倉健、中野良子、山口百恵などは今でも中国では国民的な日本映画スターとして知られている;
80年代に入ってから、村上春樹の『ノルウェーの森』が150万部を突破するベストセラーになる;
90年代からカラオケが大流行;94年に「哈日族」が現れる;95年日本のトレーンディドラマ(『東京ラブストーリー』など)が大流行;
2002年、村上春樹全集21巻本が300万部突破;
2004年、「日本文化年」と称し、歌舞伎、大相撲などが中国で公演と巡回、満場御礼の観客を迎えた;
2004年、『人民中国』アンケート調査、日本語勉強の動機は、日本の「日本の映画・ドラマ・アニメ・漫画・ゲームなどをもっと楽しむため」ということが大きな割合を占めていた。
このような時代に成長した若者はわれわれの世代と全然違う日本のイメージを形成しているに違いない。これだけ日本との交流を積極的に推進し、日増しに開放されていく中国は、「反日」教育を行い、意識的に日本との交流を拒否しているのだと言えるのだろうか。それなのに、この間起こった「反日」デモが何故起きたのか、何故多くの若者が参加したのか、やはり日本側として深刻に考える必要があるだろう。簡単に中国が「反日」教育をしているからと簡単に片付けてしまうのは、あまりにも無責任な判断だといわざるを得ないだろう。
「日本の植民地支配と侵略による『癒しがたい傷』が『アジア近隣諸国』の人々に『いまだに』『残っている』と語りながら、みずからの靖国神社参拝によって、その『癒しがたい傷』に塩を塗るようなことをするのは矛盾している。」(高橋哲哉『靖国問題』)
「南京でデモが無かった訳は」(6月7日、無職87才)
終わりに
井戸水は汚れてしまったら飲めないな(自作)
もっと中日友好の大木に水をやり、枝を修理し、中日友好の井戸の疎水工事を行う人材が成長し、何時までの世代でも、この友好の大木の木陰で涼め、友好の井戸の甘い水が飲めるのをお祈りしているのである。