2006年度アジア政治論/現代アジア政治外交論採点講評
(1)学部学生向け
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授業の内容をふまえ、@中国の不平等条約締結および改正の過程について述べ、Aそこにおける日本との関わりおよび、日本との比較についてもあわせて述べなさい。(1600字) |
このようなレポートの場合、ともかく与えられた問いに対して真正面から応えることが大切であり、自分で問いを変えたり、勝手にバランスを変えたりするのは妥当ではない。このもっとも基本的なことができていれば「良」を与えた。今回は、「不可」を出さないように注意したので、「可」とつけたレポートの中には、例年なら迷わず不可としていたものも少なくない。
その与えられた問いというのは明快である。まず中国の不平等条約締結、そして改正の過程について述べる。ついで、そこにおける日本とのかかわり、および日本との比較を述べることになる。さらに全体的に「授業の内容をふまえ」という縛りがかかっている。要するにある条件の下で、四つの問いに応えればいいのだ。そして後半では、Aの「そこ」に留意して不平等条約締結および改正の過程における日本との関わりや比較について述べればいい、ということになろう。
実際の答案を見ると、この単純な問題そのものの理解が至らぬものが全体の三分の一はあった。ここまでは一種の形式要件だから、何とかクリアしてほしいものである。
次に内容について見ていこう。
[@−1]中国の不平等条約締結の過程
まず不平等条約かという問題ある。一般的には南京条約およびそれに関連する協定などから説明するのであろうが、条約本文における不平等性を重視して天津・北京条約から説明しはじめることも可能である。大枠としては、中国における不平等条約のマグナ・カルタと言われる天津条約と辛丑和約(およびマッケイ条約)あたりを軸に説明すべきだろう。
[@−2] 中国の不平等条約改正の過程
改正の過程については、後ろに日本との比較が控えているので、敗戦条約であることを銘記した上で、強国化/文明国化/革命の三点が条約改正の柱になったことを述べ、さらに過程としては1900年代から文明国化が進められ、1920年代には革命外交というスローガンが掲げられたものの、最終的な撤廃は1940年代の第二次大戦時になったことを述べればいい。なお、ここで留意すべきは、中国の場合、租借地、租界、勢力範囲の撤廃、ひいては国内資源を担保とした借款などもともなうため、「国権回収」として意識され、国権回収運動が生じたことも特記すべきだろう。
[A−1]その日本との関わりについて
後半の日本とのかかわりと比較については、まずかかわりについて、(1)1871年の日清修好条規を締結し、対等な関係であったこと、(2)日清戦争によって、日本は列強の一員として中国における不平等条約体制の担い手となったこと、(3)二十一カ条要求によって、日本は突出して中国における不平等条約の拡大、維持を主張する存在になったこと、(4)その利権の保持こそが日中戦争の原因となったこと、などがまず挙げられる。次に、日本が自らの条約改正を進める過程で、自らが近代国家、文明国家であることを強調するために、ことさらに中国の非文明国家性を訴えたということも重要。
[A−2]日本との比較
日本が進んでいて、中国が遅れたという単純な比較だけでは不十分。また、治外法権と関税自主権のどちらが先であったかという順序論も指摘するのはいいが、それで十分ということではない。加えて、中国が伝統的で、頑迷でなかなか伝統を放棄できなかったなどという説明になると苦しい。授業でも説明したとおり、たとえば自国民の海外渡航を前提にしない領事裁判権は必ずしも自国民に不利にはならない。特に攘夷運動、排外運動が盛んな場合には、自国民の裁判権を自国に保留するという点で、自国民保護につながる面がある。関税自主権の喪失は確かに大きな問題だが、これも税率をよく見る必要があろう。日中の比較では、まず上記のような、条約改正の方法について述べたうえで、日本の場合には文明国化をベースとし、外交交渉と行政権回収などの方法によってそれを実現していったのに対して、中国の場合、文明国化とともに、革命(によって前政権の締結していた諸条約を無効だとする)、ひいては強国化、大国化もそこに加わっていたことなどを述べることになろう。
最後に成績について。
優=6名、良=3名、可=7名であった。今年度はなぜか受講が四年生に限定された(小生自身はそうした覚えはないのだが…)ために、四年生だけとなったので人数が少なかった。
(2)法学研究科大学院学生
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法学あるいは政治学の立場から見て、「不平等条約」とは何であろうか、またそれは主権国家においてそれを克服することはいかなる意味を持ち、そしてそれを克服するにはどのような方法があると考えられるであろうか。自らの専攻するディシプリンに於ける研究成果も踏まえ、自分の考えを示しなさい。(2000字) |
これは実質的に自由論題に近い問題。法学、政治学、それぞれからアプローチの方法があるだろう。また、書かれたレポートも興味深いものが多かった。成績は秀=1、優=3、良=1であった。「秀」を出した答案は、政治学、あるいは国際政治的な観点から、へドリー・ブル『国際社会論』(岩波書店、2000年)を引く。そして、「無関係な差異による差別」(=不平等)を認める根拠は、「文化における近代性」であり、その「文化における近代性とは何かと問うならば、支配的な西洋列強の文化であると言う以外、それに対する答えのしかたは明らかでない」という有名な一節から議論をはじめている。そして、ブルが用いている、オットー・ギールケの議論を取り上げ、西洋諸国が、元来、グロティウス的な「共通利益と共通規則によって拘束されている可能性」を持ち、「キリスト教徒とそのほかの人々との間にも、社会的きずなが存在」するという自然法的な思考も持ち合わせていたと指摘する。だが、これもブルが指摘するように、18世紀から19世紀にかけて、その「自然法的な思考による緩和的な影響」が衰退し、世界を一体化して捉える思考よりも世界を明確な二分法で捉える思考のほうが強まったとする。それはすなわち、「ヨーロッパと両アメリカ大陸の国民から構成され、国際社会の構成員として完全に承認される」文明的な人性と、「自然的・人間的承認を受ける権利をもつ」ものの、主権国家から成る国際社会の範囲外に立つ野蛮な人性および部分的に国際社会に承認される未開の人性(アジアに代表される)との二分構造である。それは、西洋列強の国際政治に「国内類推」されることによって、不平等条約の存在へとつながっていくとする。だが、ブルは同時に、この不平等条約体制の別の側面も説明する。それは、こうした「第三国の領域に関する植民地保有者間の合意」は、大国間の衝突、摩擦を避けるという、国際秩序の形成に貢献した面がある、とするのである。むろん、このようなブルの議論だけで、すべてが説明できるわけではない。そのような合意によって分割せられた地域、勢力範囲として設定された地域が、そうすることによってグローバル化するとしても、それは世界における構成員における競争の平等化、自由化などの点において、著しい不利益と不公平を生むことにもなる。「秀」の答案は、こうしたブルの議論の問題性にも言及、自分なりの解決法を示そうとしている。
このほか、法学的な観点から不平等条約に迫ったものも少なくなかった。しかし、自分の考え、議論を展開できていないものについては、「優」を出すことはできなかった。
(3)公共政策大学院学生
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日本や中国など、不平等条約を締結した国々が欧米との間で条約改正をおこなったという外交史のストーリーとは別に、十九世紀の末には別の重要な外国史、国際政治史の動きがあった。それは国際公共財をめぐる問題である。十九世紀後半は、東アジアもまた主にイギリスの提供する国際公共財を享受し、また一定のルール、秩序に加わっていくという点で、グローバリゼーションであったともいえる。これを踏まえ以下の課題について考え、論じなさい。@まず国際公共財とは何か。Aその19世紀後半における展開については、どのようなものが想定されるか。Bそこに日本や中国などはどのようにコミットしたと考えられるか。Cそこにおける問題は何か。Dその将来に及ぼした影響にはどのようなものがあるか。(2000字) |
たとえば、7月に発売されたカプリオ・マーク編『近代東アジアのグローバリゼーション』(明石書店、2006年)などを手に取っていたら、課題の意味をより正確に把握できたであろう。あるいは上記で紹介したブルの『国際社会論』(岩波書店)などを読んでいれば、もう少し的を射た回答を書けていたと思う。成績は決してよくなかった。秀=1、優=2、良=2、可=3という結果であった。
まず、国際公共財とは何かという点だが、これにはさまざまな定義があろう。だが、経済学、環境学などといった、あるディシプリンにおける定義をそのまま持ってくるというのは軽率に過ぎないか.
International
をglobalと同義と捉えていいか議論があるかもしれないが、国際連合のdevelopment programme にある【global public
goods】というページなどには行き着いてほしかった。http://www.undp.org/globalpublicgoods/ ウェブ上で検索用語自分なりに考え出し、的確なページへとたどり着くのもひとつの能力になっている。
では、そのサイトにある「Introducing global public goods」という 部分を見てみよう。
To
understand better the roots of global crises, whether loud (financial crashes)
or silent (poverty), we propose to look at today's policy challenges through
the lens of global public goods.
First, what
is a public good? We know that the marketplace is the most efficient way of
producing private goods. But the market relies on a set of goods that it cannot
itself provide: property rights, predictability, safety, nomenclature and so
on. These goods often need to be provided by nonmarket or modified market
mechanisms. In addition, as discussed in our chapter on "Defining Global
Public Goods", people need both public and private goods, whether or not
they engage in market transactions-peace is a case in point. Public goods are
recognized as having benefits that cannot easily be confined to a single
"buyer" (or set of "buyers"). Yet once they are provided,
many can enjoy them for free. Street names are an example. A clean environment
is another. Without a mechanism for collective action, these goods can be
underproduced.
Or take
education, which benefits the person being educated. To calculate the benefits,
we take the income a person earns over a lifetime with education, and subtract
that which she would get without an education. But that figure does not tell
the whole story. What about the numerous employers the person will have over a
lifetime, and the savings realized because these employers do not have to train
her in-house? What about the benefits that literacy brings to all the companies
that rely on the written word to advertise? The benefits to those who issue
public warnings, put out signs or seek to implement laws? If one were to
put a figure on all these benefits, they would dwarf the amount that accrues
strictly to the educated person. This difference between the public and the
private benefits is called an externality. And because of its substantial
externalities, education is a public good.
Financial
stability, like many topics covered in this volume, has public good qualities.
A bank or financial institution can generate much profit through risky lending.
All it stands to lose is its capital if it fails. But in a complex and
interdependent financial system, the costs of a single institution defaulting
are in fact much higher-often a multiple-because one default can lead to more
failures and defaults. The difference between the private cost to the bank and
the public cost, again, measures the externalities in risky behaviour-in this
example, the negative externalities.
While public
goods are understood to have large externalities (and diffuse benefits), a
stricter definition relies on a judgement of how the good is consumed: if
no one can be barred from consuming the good, then it is nonexcludable. If it
can be consumed by many without becoming depleted, then it is nonrival in
consumption. Pure public goods, which are rare, have both these
attributes, while impure public goods possess them to a lesser degree, or
possess a combination of them.
このほかにもフランスの経済省のレポートhttp://www.diplomatie.gouv.fr/en/IMG/pdf/biens_publ_gb.pdf#search=%22global%20public%20goods%20definition%22 など参考になるものは多い。いずれにしても、その定義の多面性に気づかされるであろうし、またある意味で、狭義の定義どおりの国際(地球)公共財はほとんど見られないということも押さえなければならない。だからこそ、19世紀後半について論じる場合には、自分なりにどのような定義に依拠するのか、はっきりと決めてほしかった。
そうした上で、国際的な航海・港運システム、海事関係の企画の創出、衛生・防疫管理などといった、まさに現在の国際公共政策に直結する秩序の基礎が19世紀末に、「近代」という名の下に、あるいは近代的な通商・外交の名の下に広がっていったことを示す。国際商取引の決済に利用された安定的な通貨と、遠隔地でも通貨を持ち歩く必要のない金融システムなども重要となる。そしてそうした国際公共財(厳密に「無料」であるかどうかを問いだすと、議論が難しくなる)については、問題文にあるようにイギリスが提供してきた面が強い。日本であれ、中国であれ、19世紀の後半に国際市場に強く結び付けられていく過程で、政治的な対立とは別の局面で、こうした国際公共財を受け入れ、消費し、その枠の中で通商などをおこなう存在になっていく。もちろん、貨幣や度量衡など現在に比べれば多様性は強いのだが、そうした一種の標準化圧力が強まったことは確かである。もちろん、この過程において、東アジア内部に形成されていた「国際標準」の問題もある。それは商取引や文書交換などにはじまり、特にソフトウェアや技術の面で、中国がその国際公共財の発信国であった側面が強い。だが、中国のそうした発信力は次第に失われ、日本がイギリスに依拠しながら、それを発信しようとしはじめる。だが、いずれにしても、19世紀後半に日中両国の間で、そうした国際公共財をともに消費しながら、あらたな経済文化交流の枠組みを形成したことは間違いない。
しかし、やはり日本がその発信者になろうとしてことや、中国がその標準化に「遅れている」といった言説が多く生み出される中で、国際公共財を欧米と対等に享受し消費しえるかといった局面でも競争、またあるいは国際公共財を欧米から受けるのではなく、自らで創出できないかと模索する動きが双方に見られるなど、といったことがあった。このような、国際公共財の消費者としての適格性、またはその提供者への夢といったものは、20世紀に通底する問題となっていく。