2006年6月16日
2006年度第7回国際地域政治研究「中国・台湾」
前回の授業のレジュメ⇒ http://www.juris.hokudai.ac.jp/~shin/
歴史認識問題(1)教科書問題
[シラバスの変更]6月9日の休講のため
【変更前】
第7回 6月9日(金) 歴史認識問題(1)教科書問題
第8回 6月16日(金) 歴史認識問題(2)戦後補償、賠償問題、ODA問題
第9回 6月23日(金) 歴史認識問題(3)東京裁判、国際連盟
第10回 6月30日(金) 歴史認識問題(4)植民地支配をめぐる問題
第11回 7月7日(金) 歴史認識問題(5)靖国神社参拝問題
第12回 7月14日(金) 総合討論
第13回 7月21日(金) 総合討論
【変更後】
第7回 6月16日(金) 歴史認識問題(1)教科書問題
第8回 6月23日(金) 歴史認識問題(2)戦後補償、賠償問題、ODA問題
第9回 6月30日(金) 歴史認識問題(3)東京裁判、国際連盟
第10回 7月7日(金) 歴史認識問題(4)植民地支配をめぐる問題
第11回 7月14日(金) 歴史認識問題(5)靖国神社参拝問題
第12回 7月21日(金) 総合討論
●各国ごとに異なる教科書
歴史教育、国民の形成、国家史
パブリックメモリーと歴史観
The
history / a history
●日中教科書問題の発端
1914年9月13日の『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』に掲載された新聞記事[1]
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支那当局ノ日支親和ヲ公言シ、親日主義ヲ標榜スルヤ久シ。然レトモ之ヲ事実ニ徴シ来レバ、排日ノ事ノミ多ク親日ノ精神ヲ発見スル能ハス…支那全国小学校ノ用ヒテ教科書トナセル『高等小学校論説文範』ナルモノ、内ニ激越ナル排日ノ文字、痛烈ナル日本侮辱ノ言辞ヲ存スル少ナカラズ、支那ノ小国民ヲシテソノ父兄ト共ニ、日本ヲ敵国トシテ取扱フノ精神気迫ヲ涵養セシメントスル方針ヲ寓セルハ即チ之ナリ。…日人ノ朝鮮ヲ併呑スル野心ノ勃々タルヲ怒リテ之ヲ創ラント思フ、・・・区々ノ島国、猶時ニ神州ヲ席巻セントスル野心ヲ存セバ、異日必ズ彼土ヲ糞除シテ吾族ノ公園トナスノミ… |
日本のメディアの批判 ⇒ 「国際儀礼に反する」、「日支交戦の原因、動機を培養している」。
★問題となった教科書は、邵伯棠の著した『高等小学校論説文範』(全4巻)。著者は、民国誕生以前に逝去しており、したがって清末に記された教科書ということになる。この教科書について第一に留意すべきは、本書があくまでも審定を受けていない個人的な編集によるものだということである。
▲外交問題に発展
1914年9月26日には日本の在華公使館から教育部への抗議
(『教育雑誌』(6巻8号、1914年)
中国側の反論。「審定を受けていない」、「清末の一私人の個人的な感想」
世論の代表でもなく、偏った言論だと言えるが、他方で出版の自由を認めている以上、取り締まれないとする。さらには日本にも「東亜の覇権」を主張するような過激な言論がある事を指摘[2]。
1914年10月2日、中華民国政府は大総統命令を発し、こうした私的な教科書における「友邦排斥」言論を取締り、修正するように教育や地方政府に命令した[3]。
●教科書問題の頻発
『中華教育界』(第八巻第一期、1919年)の「新式教科書与日本」という記事
「排日運動」と連動して理解される教科書問題
日本側からの抗議。
▲外交問題化
外交部から教育部、教育部から上海交渉員経由で中華書局に伝達。上記の「新式教科書与日本」には、問題とされた教科書(『国民学校用新式国文教科書』)における問題箇所が明示されている。それによれば、「日本」という項で、以下のように批判されている。
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日本は島国である。明治維新以来、国勢が隆盛した。我が琉球に県を置き、我が台湾を割譲させ、我が旅大を租借し、朝鮮を併呑し、奉天吉林に職員氏、さらに航運業・商務を我が内地で拡張しようとしている。…日本は弾丸の国であり、朝野上下が力を合わせて国家を運営している。日本はわが国を標的とし、すきあらば動こうとしているが、わが国が弱いことを利用しようとしている。もしわが国が強くならなければ、いったい何時になったら国恥を雪ぎ、国威を張ることができるのだろうか。 |
現在から見れば、この内容は中国側がこの後一貫して歴史叙述として用いる手法と同様に思え、奇異ではない。また同教科書の「国恥」の部分でも、「わが国の対外交渉は、清代においてもっとも失敗した。…日本は琉球を取り、朝鮮を併合し、上国の主権を奪い続けている」としている。」
●教科書問題の国際問題化(1920年代末から1930年代初頭)
▲ 1932年1月21日国際連盟調査委員会
1932年1月28日に上海事変が発生すると、排日基地であるとされた「上海商務印書館が」攻撃されるなど、「教科書」が日中関係の焦点のひとつであることが一層明確になった[4]。日本側の調査は各領事館を通しておこなわれた。各地では、科外教科書・教材などについても「排日」と認められるものをピックアップし、国際連盟の日本代表には最終的に100点を超える「排日教科書」が送付された[5]。
▲ 他方、中国側も対策を講じていた。教育部が作成した1932年3月21日初稿の「対日交渉関於教育之事項」は、その対策のあり方を物語る[6]。甲「日方如要求『停止排日教育』我方応付之擬議」によれば、その原則は「教育はわが国の内政に属し、全く主権の範囲にあるので、いずれの国家の干渉も受けない」とするものであり、逆に日本側に対して「児童及び青年に対して中国を侮辱し、侵略することを励ますような教育を停止する」ように求めることにあった。無論、中国としては「排日」の意思はないことも含まれていた。
▲1932年6月25日には国際連盟調査委員会で顧代表が排日教育について照会を発した。その内容は、(1)教科書にこうした内容を盛り込むのは、国権回収のときの一般的方法と考えられること、(2)過激な内容はあるので、友好親善的な観点にたって修正をくわえる必要があること、(3)だが同時に日本におけるそれについても修正を求めること、であった。また顧は、日本が排日教科書だとしたものについても反論を加えている。そこでの反論は、日本側が排日教育の証拠としてあげているものの多くが、審定を経ていないもの、すなわち教科書ではない「教材」に過ぎず、また誤謬や誤訳が多く見られるということである。同時に、日本の教科書の中で中国に対して侮蔑的な内容を含むものを列挙した。
▲ 1932年10月、国際連盟での議論において顧維鈞は以下のように訴えた[7]。「支那の国民主義は急速に進展を見せつつあるがその根底に排外思想はない」[8]。松岡はこれに対して、「排外思想は支那に厳存する。・・・リットン報告にもある通り長年に亘って排外教育がおこなわれているが、その結果は如何なるものとなるだろうか」[9]。これに対する顧維鈞の反論は、「国民主義運動について松岡氏は排外教育の結果の恐る可き所以を弁弁と述べられたが、かかかるものなきことは既述の通りである」といったものであった[10]。議論は水掛け論的になっていたが、「排外」であるか否かという点、国権回収に際しての一般的な方向性であるか否かという点、日本における有無の問題といった争点があった。
▲国際連盟での議論における中国側の見解は以下のようなものであった。
国権回復の運動はこれを日本の経過と比較すれば抑制と中庸とでおこなわれていることは事実である。19世紀中葉の徳川幕府の条約締結は、その結果として種々の惨事を演出した。治外法権撤廃に関する交渉は一般の不満を買い、在留外人に対する暴行となった。大隈侯はそうした不満の為一足を失った程である。日本の学校に用いる教科書にも外国との関係についてこの国の苦心経験を少年に始終想起せしめる目的を以て挿入された文章が多数ある(『小学日本歴史』第二巻第二課、『小学国史』第47課、『中等学校歴史』(三省堂発行)第32章、第34章皆これである)。リットン委員会の報告に「近代支那の国民主義は支那が今や通過しつつあるような政治的過渡期に伴う通常の現象である。これと同様な国民的感情及び要望は同じ状態に置かれてある凡ての国について見られる処である」と述べているのは正しい。誠に不思議なことは、日本はその同じ経験に鑑み支那に対して同情するかわりに、支那国民の正当の要望を誤解し、その実現に反対している第一の国であるということである[11]。
●教科書問題のなし崩し的拡大
日本占領地域 ⇒ 日本側の教科書
中国側 ⇒ 中国側教科書
●戦後日本の教科書制度の変更
未完の教科書問題、
教科書問題の封印
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国際地域政治研究「中国・台湾」受講者にお知らせ
今学期の成績は以下のようにして採点をします。
1.出席点(20点)
第一回目 5月19日(金) すでに終了
第二回目 未定
2.レポート(80点)
(1)第一回レポート(40点)
5月26日配布の「教科書内容比較(5)教科書比較のまとめ」をよく読み、特に関心をもったテーマを一つ選び、それについて(プリントでの質疑応答をふまえながら)自分の考えを示しなさい。自分の考えについては、根拠、事例などを明示し、単なる感想文とならないこと。
字数 1200字程度、A4の用紙一枚で提出すること。
提出期限 6月23日(金)12時まで。
提出場所 法学部事務室。
プリント 川島真研究室ウェブサイト
http://www.juris.hokudai.ac.jp/~shin/04/hokkai2006/06hokkai6.html
★レポートは返却する。
(2)第二回レポート(40点)
テーマなどは未定。
第一回目のレポートを提出していない学生が単位を取得できる可能性はきわめて低い。


[1]1914年9月13日「支那政府に厳談せよ−排日文字に満てる支那教科書の絶滅を期せよ」(『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』)
[2] 『教育雑誌』(6巻8号、1914年、72−73頁)
[3] 『教育雑誌』(6巻8号、1914年、69頁)
[4] 被害の状況については、『日本帝国主義中国侵略資料集』(中華書局、1988年、641頁)
[5] この過程で中国における排日教科書に関する書籍も出版された。たとえば、保々隆矣監修『打倒日本 支那の排日教育』(邦文社版、1931年)では、「排日教科書」について「教科書の文章は流石文字の国と言われる丈あって誠に巧妙である。従来は例の如く慷慨悲憤の文句で児童の感情を高調せしむるのみであったが、最近の教科書に於いては其の行き方を異にして、表面は尋常平静な叙述の如く見せて内容は頗る深刻を極め児童をして不知不識の間に、其のやわらかい未完成の脳裏に深い印象を刻ましめんと欲して居る」などと記されている(P.4)。
[6] 「関於所謂排外教育問題」(中央研究院近代史研究所档案館所蔵、国民政府外交部档案、档案番号なし)
[7]国際連盟事務局東京支局編纂『国際連盟に於ける日支問題議事録 後編』(国際連盟記録刊行会、1933年)参照。
[8] 同上書、34頁。
[9] 同上書、40頁。
[10] 同上書、44頁。
[11] 同上書、68頁。