2006年4月5日 第一回アジア政治論ゼミ

 

東アジア共同体論をめぐって

川島 真

 

1.東アジアとはどこか

 北東アジアと東南アジア → 従来の東アジアとのずれ(新たな地域概念)

                  → 地域アイデンティティの形成が必要??

 

2.共同体とは何か

 機能の重なりか、アイデンティティか、それとも何かほかの「意識」か

 地域的な限定はどの程度か、それとも地域へのコミットメントか(アメリカ?)

 安全保障についてはどうか

 

3.背景

 (0)ASEANの成立(於:バンコク)

   1967年8月。「東南アジア諸国が地域としての独自性を確固なものとし、地域の問題を自らの手で解決していくことが、地域の平和と安定に繋がる。」

@域内における経済成長、社会・文化的発展の促進

A地域における政治・経済的安定の確保

B域内諸問題の解決

当初の加盟国: インドネシア、マレーシア、フィリッピン、シンガポール、タイ

 (1) 東南アジア友好協力条約(Treaty of Amity and Cooperation in Southeast Asia: TAC)
1976年2月締結。国連憲章を土台として、
@独立・主権・領土保全などの相互尊重、A外部からの干渉なしに自国を運営する権利、B相互の内部問題への不干渉、C紛争の平和的手段による解決、D武力行使と武力による威嚇の放棄、E諸国間の効果的協力を国家間関係の規範とする。

(2) 東アジア経済グループ(EAEG)、東アジア経済協議体

1990年12月10日、マレーシアのマハティール首相が提唱

 → 経済問題について、より密接に討議する場所をつくろうという提案

    1992年2月 マハティール。東アジア経済協議体(EAEC)を改めて提唱

   ★アメリカからの反対(オーストラリアも)、日本やインドネシアについては消極的とされる。

1989年「アジア太平洋経済協力会議(APEC)」(アメリカも含めた、アジア太平洋という枠)

   ★中国が周辺外交を積極的に展開しはじめたのは2000年前後。90年代前半では明確な姿勢をとれなかったと考えられている。

 

4.アジア通貨危機という転機

  (1) 1996年3月 ASEMの開催

      「AS」は誰なのか。アジアの枠=ASEAN+3.日本は、オーストラリア、ニュージーランドを含めた枠組みを提案。

  (2) 1997年夏のアジア通貨危機

    1997年1月 橋本総理のASEAN歴訪。緊密な関係を形成することを強調。

              → 東アジア共同体構想には言及していない

                 → ASEAN+日本の会議定例化案提案、マレーシアなどから「+3」案

   1997年7月 タイで金融危機。バーツ暴落。

   1997年8月 インドネシアでルピア暴落。

   1997年8月 日本がアジア通貨基金構想を提案。→ アメリカ反対

              ★頓挫。IMFの枠の中で緊急融資制度枠をつくる。

   1997年10月 金融危機の第二波(台湾、シンガポールへ)、そののち香港、韓国

 

5.地域枠組みの必要性の認知

 (1)危機への認知と多様な可能性

 1998−99年 新宮沢構想、新宮沢構想第二ステージ 

   ASEM蔵相会議、APEC蔵相会議などで、通貨・金融面での協力の必要性が提案される。

   ASEAN+3 ⇒ チェンマイ・イニシアティブ、アジア債権市場イニシアティブなど

(2)「東アジア」への収斂

  「ASEAN+3」 ⇒ 成熟した「かたち」になっていく。 

                 首脳会議、蔵相会議、外相会議、経済大臣会議、農業担当大臣会議などの定例化、積み重ねられる会議、多元的な協力プラン(通貨、金融面など)

(3) 1999年EAVG(East Asian Vision Group) →  2001年 EASG(East Asian Study Group)

  意識される限界、可能性の模索/AESANが三国を招聘しているという「かたち」

 

6.中国の新たな動きと地域統合

 (1) 中国の「地域外交」 → 周辺に新たな危機感、あるいは契機

 (2) 中国でも日本でもない、ASEANを軸にした地域統合の方向性

    ・ ASEAN+X というFTA締結(中国、日本、インド、アメリカ、オーストラリア)

    ・ TACの拡大:中国、インド、日本、オーストラリア、ニュージーランド、ロシア、パキスタン

 

7.東アジア共同体構想の具体的な提案

 (1)2001年1月 EAVG報告書 : 東アジア共同体の提案 Toward an East Asian Community

   (地域的な安定、繁栄、そして発展が提唱される)

 (2)2002年11月 EASG報告書 : ASEAN+3を東アジアサミットにすることを提唱

 

8.日本のイニシアティブ(→日本自身の過大評価??)

 (1)2002年1月 「拡大東アジアコミュニティ(共同体)」構想=小泉総理

    ASEAN/+日本/+中国、韓国/+オーストラリア、ニュージーランド

    → しかし・・・この路線が延びていったかどうか不明

 (2)2003年12月 東京でのASEAN+日本特別首脳会議、「東京宣言」

   「普遍的なルールと原則を尊重しつつ、外向的で、豊富な創造性と活力に満ち、相互理解ならびにアジアの伝統と価値を理解する共通の精神を有する東アジアコミュニティの構築を求める」

 (3)2004年6−7月、ジャカルタでASEAN+3の会議。マレーシアが東アジアサミット2005を提案。→2004年11月のビエンチャンでのASEAN+3の会議で正式決定。

  [サミット参加国] ASEANが決定した基準に基づく。ASEANが議長国を出す。

             TACへの加盟、ASEANの対話国、ASEANと協力関係にあること 

[付記]

★本レジュメ作成にあたり、大庭三枝先生(東京理科大学)が、2006年2月27日に早稲田大学でおこなった報告「東アジア地域主義」のレジュメを参考とした。