日本のアジア主義 (竹内好全集第8巻) 発表者 小林和憲
1 アジア主義とは何か 1963 七月
アジア主義とは何か=定義しがたい。
平凡社 アジア歴史事典より 欧米列強のアジア侵略に抵抗するために、アジア諸民族は日本を盟主として団結せよ という主張 「アジア歴史事典」(平凡社) 民権論者のアジア連帯論 植木枝盛:アジア諸民族の抵抗の正当化・平等な連帯・ユートピア的な世界政府論 樽井藤吉・大井憲太郎:対欧米・アジアの民主化連帯・日本の指導者的立場 ↓ 明治20年代 大アジア主義:大陸侵略政策としてのアジアの連帯
竹内の主張:大アジア主義と非大アジア主義を識別するのは難しい
:一括して扱う
:ある実質的内容をそなえた、客観的に限定できる思想ではなく、ひとつの傾向性
ともいうべきもの。
:明治維新後の膨脹主義から国権論と民権論・欧化と国粋という対立する風潮を生み
出し、その風潮の対立のなかからアジア主義が生み出された。
2
自称アジア主義の非思想性
アジア主義の最小限に規定した属性:アジア諸国の連帯の指向
・「大東亜共栄圏」思想は、アジア諸国の連帯という意味でのアジア主義の帰結点であったが、実際にはあらゆる思想を弾圧することになった。それはいわば無思想化であり、日本ファシズムの完成過程とは直結しない。
・
アジア主義そのものは滅びて、アジア主義を議論することは横行
例:平野義太郎 「大アジア主義の歴史的基礎」→孫文の思想歪曲
・
アジア主義の一類型として、玄洋社流のアジア主義を採用。=ひとつの基準
3 アジア主義発生の基盤
玄洋社=黒竜会イデオロギーによる膨脹=侵略主義
・
幕末から維新後にかけて、対外発展、海外雄飛の思想があり、実行もあったが、それは近代国家としての形成と不可分のものであって是非の別はない。
・ アジア主義を育てるひとつの温床
商業目的で中国へ渡航した者が、政治的任務を自覚したり、反対に軍事目的で渡航した者が、
漢民族のナショナリズムに感化されるというような、動機と行動の複雑な組み合わせと、当時の日本とアジアの状況が重なって、アジア主義の温床となった。
・
欧化主義がその反動としてアジア主義を生み出す母胎のひとつであった。
玄洋社の主義変化(民権論→国権論)は明治末期
→ 社長の交代・清の日本に対する暴挙
4 玄洋社の転向と天佑侠〜1880年代の状況
1880年代 日本と清は朝鮮の支配権をめぐって争っていた
※ 歴史の記述は省略
玄洋社は天佑侠という秘密結社をつくって朝鮮へおくりこみ、東学党と連携して甲午農民戦争を誘発。農民指導者と日本の「志士」の間に意思の疎通ができ、日韓併合の伏線となった。このような連携は一種のアジア主義の発現形態と見ることができる。挑発のみが目的ではなく、一種の連帯の意識が働いていた。
5 大井憲太郎と大阪事件〜1880年代の状況2
大井の主張:朝鮮に対する侵略が目的ではい。アジアを改良するという意味もあるが、自由平等の主義において朝鮮を独立させて、日本の内治にも活力を与えることこそが目的である。
→大義名分は自由民権にあるのであって、新秩序なり共栄圏なり、皇道なり、それ自体にあったのではなかった。
6 樽井藤吉と『大東合邦論』〜1880年代の状況3
樽井藤吉の「大東合邦論」
日韓両国を対等な立場で連邦制度によって結合することが東亜の大局を安定させる最上の策であるという主張。日韓の紛争解決のため、そして韓国の近代化を推進し、列強の侵略を共同防衛するために、日韓両国が平等合併せよという主張。
7 福沢諭吉と中江兆民〜1880年代の状況4
福沢諭吉の「脱亜論」
日本は地理的にはアジアにあるが、国民の精神はアジアからすでに脱却しており、西欧文明を受け入れることを拒むような中国・韓国と友好的であることによって、西欧から三国を同一視されることになるので、中国韓国から脱するべきであるという主張
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アジア主義とは対極の概念ではあるが、アジア主義と微妙に触れ合う表裏の関係をもつ。
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民権運動の敗北と政府の近代化政策の成功によって主張されはじめた。
テーゼとしてのアジア主義の確立
1890年代に福沢の批判をテコにして生まれた。
→西欧文明をより高い位置によって否定(岡倉天心)
→滅亡の共感によってマイナス価値としてのアジア主義を価値としての文明に身を持って対決させた
(宮崎寅蔵・山田良正)
中江兆民「三酔人経綸問答」
内容
南海先生を訪れた洋学紳士と豪傑の客が議論し、南海先生がしめくくるという話
洋学紳士の主張:およそ現在の日本国憲法と同義
豪傑の客の主張:軍国主義・鉄血主義・拡張主義
南海先生の主張:天皇を中心とする立憲君主制
→アジア主義は非アジア主義化し、非アジア主義はアジア主義化される。(?)
8 岡倉天心
→西欧文明をより高い位置によって否定(岡倉天心)・・・・「7より」
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美術界で活躍、美術行政の建設に努めるが、欧化主義からの圧迫を受け、排除、追放されたので、独自で「日本美術院」を創立。しかし明治国家の統制には逆らえなかった。
・
エセ文明化しつつある日本国家を弾劾する目的で、著書出版。
岡倉の主張:美が最大の価値であり、文明はこの普遍的価値を実現するための手段である。美は人間の本性に根ざすから、西欧だけが独占すべきではない。そのためには「西欧の光栄がアジアの屈辱」である現状を変革することが急務であり、したがって「アジアはひとつ」であらねばならない。
→日本ファシズムによってこの思想は悪用されるが、原意は美の破壊者たる西欧を排斥するというものであり、汚辱に満ちたアジアが本性に立ち戻る姿をロマンチックに理想として述べただけにすぎない。
9 宮崎滔天と吉野作造
宮崎滔天
頭山満らと中国革命、アギナルドのフィリピン独立を支援、その後辛亥革命、第二、第三革命をも支援し、生涯にわたって中国革命を支持し続けた。
「三十三年の夢」:宮崎が恵州蜂起に加わり、その後桃中軒雲右衛門の弟子となって江湖に放浪するまでの半生
10 問題の再設定
・
二十世紀以降、どうしてアジア主義が玄洋社=黒竜会的なチャンネルだけに流れ込んでいったかという問題。
問題
→もちろん玄洋社=黒竜会的なものだけになったわけではなく、宮崎寅蔵的なものは心情としては続いていた。しかし、その心情は思想に昇華しなかった。=滔天と天心は出会わなかった。
すなわち、この時期1900年代以降のアジア主義では、心情と論理が分裂している。あるいは、論理が一方的に侵略のほうに身をゆだねてしまった。黒竜会イデオロギーの最悪の部分のみが生き残った。
それはなぜだろうか。
例:北一輝が幸徳らの平民社に失望して黒竜会に接近したエピソード
右翼と左翼の対立の中で、アジア主義は右翼が独占し、左翼はプロレタリア・インターナショナリズムをこれに対置させる布陣となる。そして左翼からは、民族問題をネックに脱落者が続出し、右翼のアジア主義に合流する。
尾崎秀美:プロレタリア・インターナショナリズムとアジア主義の間に橋をかけようとした
アジア主義が右翼に独占されるようになったきっかけ:左翼と右翼が分離する時期(明治末期)
石母田正:日本の社会主義が黎明期にコスモポリタンの直輸入の傾向にあった
→コミンテルン時代の問題(?)
→コミュニストにとってなぜ民族問題がつまずきの石となったか
→アジア主義がなぜ黒竜会イデオロギーによって独占されたのか
中江兆民と頭山満(同士)
幸徳秋水(兆民の弟子)=平民社・非戦論・メンシェヴィキ理論・抽象的な帝国主義論
内田良平(頭山の弟子)=黒竜会・主戦論・レーニンの「ロシアにおける資本主義の発達」
民族的現実の中で革命を考える。
11 玄洋社とその評価
木下半治「日本国家主義運動史」
玄洋社:日清・日露の両役、朝鮮問題―なかんずく日韓合併問題、満州経路等で民間志士として、裏面的工作の仕事をした。
玄洋社の派生組織:黒竜会(のちに一体化・思想的兄弟関係)
「玄洋社史」
国家の隆盛、国威の発揚のため、民権論から国権論へ移行。重要なのは日本の国際的地位の向上であって、そのためには民権論、国権論のいずれかに固執する必要はなく、変通自在であるべき。
→E・Hノーマン 「日本帝国主義の一源流―玄洋社の研究」「日本における近代国家の成立」
竹内の主張・問題提起
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初期ナショナリズムと膨脹主義の結びつきは不可避なので、もしそれを否定すれば日本の近代化はありえなかった。問題は、それが人民の自由の拡大とどう関係するかということだ。
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おくれて出発した日本の資本主義が内部欠陥を対外進出によってカバーする型を繰返すことによって、1945年まできたことは事実である。これは根本的には人民の弱さに基づくが、この型を成立させない契機を歴史上に発見できるか、というところに今日におけるアジア主義の最大の問題がかかっているだろう。
12 西郷の二重性
アジア主義の問題は征韓論争までさかのぼる必要がでてくる。
・西郷隆盛の西南戦争の位置付け
一般史学者:西南戦争は明治維新に対する反動(反革命)
北一輝:西南戦争は明治維新の逆転または不徹底に対する第二革命(永久革命)
これが失敗したことで、黄金大名の連邦制度とこれを支持する徳川そのままの官僚政治が
実現した。
→ アジア主義を媒介にしてこの問題に接近することもまた可能である(?)
まとめ
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アジア主義とは特定の思想ではなく、ひとつの傾向性ともいうべきものである。また、明治維新後の膨脹主義から国権論と民権論、欧化と国粋という対立する風潮を生み出され、その対立の風潮のなかからアジア主義が生まれた。
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アジア主義の一類型として玄洋社をとらえた場合、玄洋社は当時のアジアの状況から次第に右傾化し、民族問題で脱落した左翼をとりこみつつ侵略主義的なイデオロギーに落ち着いてしまった。
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アジア主義の最大の問題は、資本主義の内部欠陥を対外進出によってカバーするというような型を成立させない契機を歴史上に発見できないかということであり、それを考察するためには征韓論争の時代までさかのぼって考える必要がある。
征韓論争を考慮するとはすなわち、西郷隆盛の歴史的評価をすることである。アジア主義は、西郷を反革命と捉えるか、永久革命のシンボルととらえるかという問題と相関的に定義しなくてはならないし、逆に、アジア主義を媒介にして西郷の歴史的評価をすることも可能なのである。
問題提起
P109の「近代国家の形成と膨脹主義とは不可分であって、そのこと自体に是非の別はない」という部分と、P153「日本の資本主義が内部欠陥を対外進出によってカヴァする型を繰返すことによって1945年まで来たことは事実である。これは根本は人民の弱さに基づくが、この型を成立させない契機を歴史上発見できるか」という部分は矛盾しないか。
日本の対外進出が如実にあらわれた征韓論争まで、アジア主義の問題をさかのぼることは容認できることであるが、征韓論争の問題を西郷隆盛の歴史的評価と同義ととらえてよいか。征韓論を考察するならば、西郷の二重性のみならず、当時の自由民権運動や、板垣退助なども視野に入れつつ、この論文をしめくくる必要があったのではないだろうか。
要するに、竹内好は最後に手抜きしたのではないか。
参考文献
ブリタニカ大百科
田中惣五郎 『北一輝』 三一書房 1971年
中江兆民 『三酔人経綸問答』 岩波文庫 昭和40年
宮崎滔天 内田良平 西田税 大川周明 『日本人の自伝』 平凡社