Athos Bussinger Spinola de Andrade

 

 国交回復の条件(1968年)

 

タイムライン

1931年09月18日 柳条溝事件(満州事変)。【311n】

1937年07月07日 蘆溝橋事件。【311n】

1941年12月08日 日本の対米・英宣戦。【311n】

    12月11日 日・独・伊三国協定。【311n】

1943年11月27日 カイロ宣言。【314n】

1945年02月11日 ヤルタ協定。【315n】

07月26日 ポツダム宣言。【309n】

08月14日 中ソ条約。【318n】

08月18日 満州国皇帝(こうてい)退位(たいい)宣言【320n】

1946年01月    政治協商会議。【320n】

1949年10月01日 中華人民共和国の成立。【323n】

の末     国民政府は台湾海峡(かいきょう)()(おと)された。【321n】

1950年01月05日 トルーマン大統領の不干渉声明(せいめい)。【327n】

02月14日 PRCソの間の友好、同盟及び相互援助に関する条約【324n】

1951年09月08日 サンフランシスコ条約は署名(しょめい)された。【329n】

1952年04月28日 サンフランシスコ条約は発効した。【329n】

                        日華(にっか)平和条約は署名された。【335n】

08月05日 日華平和条約は発効した。【335n】

1956年10月    (日ソ)戦争終結宣言。【337n】

1964年01月27日 フランスと中国は国交を回復した。【309n】

 

はじめに(308n

     中国と日本の間の国交回復の声はまた挙がっている。(過去にもあった。)【308n】

     著者の目的過去の記録を使って、事実に基づくこと。【308n】

     引用➞フランスと中国の国交回復の経験は日中関係に使える。【309n】

     フランスと中国の国交回復は日中のよりずっと簡単である。(講和は必要でないから。)【309n】

     著者の狙い➞正確なテキストを提供し、誤りがあったらそれを教えること。【309n】

参考書@➞フランスと中国の国交回復(中華人民共和国外務省による)。

◦フランスは中華人民共和国と「1つの中国」の概念を承認することに用意ができた。【1n】

 

第二次大戦の結末(309n

     ポツダム宣言は1945年7月26日に行った。 日本側から8月10日に答えて、天皇の国家統治の大権に変更を求めた。 アメリカは8月12日に「天皇と日本政府の国家統治は連合軍最高司令官の下にある」と答えて14日に最終的な受諾になった。【309〜310n】

     日本の降伏(こうふく)のニュースは8月10日に海外へ流した。 しかし、日本国民は15日だけにそれを知った。【310n】

     引用➞日本の降伏のニュース(中国のラジオによる)。【310n】

     中国の期待は短かった。 日本の降伏の後、まだインフレーションや内戦などが中国を苦しめた。【310n】

参考書A➞ポツダム宣言。(合わせて13条。)

◦12条(テキストの329nとつながっている)。

◦13条:無条件降伏(“unconditional surrender”)という概念。【2n】

参考書B➞日本の降伏のスピーチ(by Emperor Hirohito)

 

中国の抗戦(311n

     中国は1937年(又は1931年)から1940年まで独力で(国際援助(えんじょ)なしに)抗日(こうにち)戦争を戦った。【311n】

     1941年に中国は連合国の一員になった。【311n】

     国民政府は中国の唯一の正統政府になって、蒋介石(しょうかいせき)は国家元首(げんしゅ)になった。【312n】

     共産党・国民党の関係は悪化(あっか)した(共産党は国共の内戦を勝った)。【312〜313n】

 

カイロ宣言(313n

     日本と特に関係を持っている会議:カイロ会議、テヘラン会議、ヤルタ会議とポツダム会議。【314n】

     カイロ宣言は1943年11月27日に公表された(英・米・華三国宣言)。【314n】

     カイロ宣言は日本が清国人(きよくにじん)から盗んだ領土(りょうど)(満州・台湾・Pescadores)を中華民国に返すことと朝鮮の独立について論じている。【314n】

     「無条件降伏」という用語は初めてにカイロ宣言に表明された。【314n】

     引用➞日本の首相(しゅしょう)東条(とうじょう)英機(ひでき)のラジオ放送(カイロ会議について)。【315n】

     カイロ宣言はソ連要求を含めなかったからヤルタ協定は行うこと必要になった。【315n】

参考書C➞カイロ宣言。

(ア)満州・台湾・Pescadoresについて。【1n】

(イ)朝鮮の独立について。【1n】

(ウ)「無条件降伏」について。【1n】

 

ヤルタ協定(315n

     ヤルタ会議の必要な議題。【315n】

1-      戦後のドイツ処理(しょり)方針(ほうしん)

2-      対独賠償問題

3-      解放諸国の処理

4-      国際連合の問題等

     ヤルタ秘密協定の内容。【315〜316n】

1- ソ連の対日参戦(ドイツ降伏の2、3ヶ月の後)

2- ソ連の諸要求(領土と外モンゴルの独立)

・ヤルタ協定には中国に関する内容が多かった。 しかし、中国はヤルタ会議に招かれなかった。【316n】

     引用➞ヤルタの機密の理由は(特に中国にとって)秘密の漏洩(ろうえい)の恐れだった。【316〜317n】

参考書D➞ヤルタ協定。

(ア)ソ連はドイツ降伏の2、3ヶ月の後連合国側で参戦する。【1n】

(イ)外モンゴルの独立を維持する。【1n】

(ウ)1904年にソ連から取った利益を戻すこと。【1n】

(エ)アメリカの責任:中国を説得する。【2n】

(オ)ソ連は中国との友好条約を進みたいこと。【2n】

 

中ソ条約(317n

     中国をヤルタ協定の決まった点に説得することはアメリカの責任である。【318n】

     中ソ条約交渉は1945年7月に始まった(モスクワで)。 ポツダム会議を行うため体会して、その後、8月14日に両側は中ソ条約を調印した。【318n】

     外モンゴルのステータスは中ソ条約交渉の最大の問題。(中国の国民党:「モンゴル主権は中国にある」。 ソ連:「モンゴル人民共和国は独立国である」。) 妥協は、日本降伏後、人民投票(とうひょう)で決まること。【318n】

 

戦後の中国(319n

     国民党と共産党の中国国内戦後構想の違い。(国民党側:蒋介石の『中国の命運(めいうん)』。 共産党側毛沢東(もうたくとう)の『連合政府論』。)【320n】

     国民党と共産党は更に米ソ間の冷戦に(から)まった。【320n】

     日本の降伏後、国民党は戦争直前の1936年の状態に戻りたかった。 共産党にとっては1936年の時点に戻すことは現実的ではないと答えた。【320n】

     両側は最終的に妥協が成立せず、1949年の末に国民政府は台湾海峡(かいきょう)()(おと)された。【321n】

参考書E➞毛沢東の論説(中国の内戦について)。

 

講和への歩だし(321n

極東(きょくとう)委員会という国際機関は対日講和を議する。【321n】

     講和委で問題になったこと。【321〜322n】

1-     連合国間の利害関係の調整。

2-     どの国が原案の作製を担当するか。

3-     単純多数決か、3分の2多数決か。

4-     四大国の拒否権の扱い。

 

中ソ条約の改訂(かいてい)(323n

     1949年10月1日には中華人民共和国が成立した。 (PRC[1]に取って、国家の法的根拠は政治協商会議にある。)【323n】

     1949年の末に国民政府は台北へ首都を移した。 1950年3月に蒋介石はまた総統の地位を復した。 ROC[2]は全国の統治権を名目に主張した。【323n】

     PRCは成立した後、ソ連と社会主義国から初め外交関係を結んだ。(次に中立国とも国交を開いた。)【323n】

     1950年2月14日に「中華人民共和国とソヴィエト社会主義共和国連邦(れんぽう)との間の友好、同盟及び相互援助に関する条約」(と他の関係ある条約)は公表された。(中ソ条約の改訂として結んだ。)【324n】

参考書F➞蒋介石の伝記。

参考書G➞PRCの外交政策。

参考書H➞PRCの国交回復について。

(ア)第1に、ソ連と社会主義国。【1n】

(イ)その次、中立国。【1n】

(ウ)その後、西欧(せいおう)(フランス)。【1n】

参考書I➞「中華人民共和国とソヴィエト社会主義共和国連邦(れんぽう)との間の友好、同盟及び相互援助に関する条約」の中華人民共和国外務省のコメント。

 

朝鮮戦争の前と後(326n

     対日講和を推進(すいしん)するためアメリカはJohn Foster Dulles(ダレス)を国務省顧問(こもん)として任命した。(日本は吉田茂首相(しゅしょう)を任命した。)【326n】

     ダレスが日本にいる間(最初の訪問の時)朝鮮戦争は勃発(ぼっぱつ)した。【326n】

     中国は朝鮮講和会議に招かれなかった(中国の政府の正統性の問題のためで)。【326n】

     1950年1月5日:トルーマン大統領の不干渉声明。(アメリカは、台湾とその他の中国領土に干渉しない。)【327n】

     朝鮮戦争は勃発した後、アメリカの台湾政策は逆転した。(トルーマンは第7艦隊(かんたい)を台湾海峡(かいきょう)派遣(はけん)した。【328n】

     朝鮮戦争は前に起こったら、PRCにイギリスの承認はない可も知れない。 後に起こったら、PRCにアメリカの承認は有る可も知れない。【328n】

 

サンフランシスコ平和条約をめぐって(329n

     サンフランシスコ条約(「日本国との平和条約」と「安全保障条約」)は1951年9月8日に署名(しょめい)された(発効は翌年の4月28日)。【329n】

     日本で条約の賛否(さんぴ)はやかましかった。(賛成論:条約は多数国講和である。 反対論:条約は片面講和である。)【329n】

     1950年12月4日にPRCは反対声明をだした。

Ø         PRCは参加しない講和は無効である。

Ø         アメリカ講和案はカイロ宣言やポツダム宣言などに違反する。

 

日華平和条約(334n

     日華平和条約は1952年4月28日に署名された。(発効は8月5日に行った。)【335n】

     「2つの中国論」と「1つの中国論」【334〜335n】

 

中ソ共同宣言(336n

     中ソ共同宣言(日本との関係について)。【336〜337n】

Ø         日本は完全な独立状態ではない。けれども、政府間で平和共存外交を推進(すいしん)することは可能である。

・日本が中ソ共同宣言のためでソ連との国交回復を発展した。 しかし、領土問題のためで平和条約まで進めなかった。 日ソ関係は近くなったから1956年10月に、戦争終結宣言が出された。【337n】

 

その後の働き(338n

     日中関係は基本的には変化がなかった。【339n】

     「日本人忘れても、中国人は忘れてないこと」【339n】

     中国側から何度も講和のための政府交渉を求めた。 日本側から一度も答えがなかった。【339n】

 

 

参考書

@“Establishment of Sino-French Diplomatic Relations”.  Ministry of Foreign Affairs of the People’s Republic of China.

  http://www.fmprc.gov.cn/eng/5689.html.

A”Potsdam Proclamation”.

  http://killeenroos.com/5/Potsdam.htm.

B”Speech by Emperor Hirohito Accepting the Terms of Surrender, 14 August, 1945”.

  http://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/hirohito.htm.

C”Cairo Communique, December, 1943”.  Documents and Statements.

 http://www.niraikanai.wwma.net/pages/documents/cairo.html.

D”The Yalta Agreement”.  Documents and Statements.

  http://www.niraikanai.wwma.net/pages/documents/yalta.html.

E”Chiang Kai-shek is Provoking Civil War”.

  http://www.marxists.org/reference/archive/mao/works/1945/aug13.htm.

F”Chiang Kai-shek, Former President (1887-1975)”.  The Office of the President of the Republic of China.

  http://www.president.gov.tw/1_roc_intro/index_e.html.

G”Formulation of Foreign Policy of New China on the Eve of its Birth”.  Ministry of Foreign Affairs of the People’s Republic of China.

http://www.fmprc.gov.cn/eng/5762.html.

H”The Second Upsurge in the Establishment of Diplomatic Relations”.  Ministry of Foreign Affairs of the People’s Republic of China.

http://www.fmprc.gov.cn/eng/5742.html.

I”Conclusion of the ‘Sino-Soviet Treaty of Friendship, Alliance and Mutual Assistance’”.  Ministry of Foreign Affairs of the People’s Republic of China.

http://www.fmprc.gov.cn/eng/5697.html.



[1] People’s Republic of China

[2] Republic of China