「中華人民共和国外交部档案に見る中国研究所―1952年『文物参考資料』交換をめぐる―」[1]
川島真
(中国研究所所員、北海道大学大学院法学研究科助教授)
●関心の所在
(1)中華人民共和国外交部档案館における档案の公開
http://www.juris.hokudai.ac.jp/~shin/06/toan/waijiaobu.html
(1955年まで。ただし、先週、1960年まで公開された)
(2)戦後の日中関係史への包括的な検討への関心
「帝国」から「国民国家」へと回帰し、新たな国民国家としてスタートする日本
分断された国民国家として、社会主義陣営の一員として、新国家を建設する中国
(3)日本の中国研究の展開に対する素朴な関心
●本報告の課題
中国研究所の活動の一こまを中国側から見ること
史料紹介
●史料の内容
(<對日本京都大學研究所及日本中國研究所要求交換資料的處理意見>, 中華人民共何國外交部檔案館, 檔號105-00237-04(1))
【史料@】外交部情報局收 1952年5月8日中央人民政府文化部社會文化事業管理局發(報告)
事由 呈報對於日本的二個機構在他國內反動統治下逕函我局索要資料情況及我局初步意見請鑒核由.
主送機關 文化部
抄送機關 外交部
檔案號碼 (52)會化字第399號
擬辦 送情報司會亞洲司辦
批示 送亞洲司提意見後退
附件 抄錄原函及概況各一份
一九五一年十一月十三日我局收到日本京都大學科學研究所寄來東方學報二冊, 乞求來交換「文物參考資料」, 我局決定未與交換, 亦未覆信, 旋於本年五月五日又收到日本東京都代田區九段四丁二丁番地六十四號中國研究所函一件附概況說明, 懇求我局贈送「文物參考資料」, 查前後兩機關在它們國內反動政府統治下能夠與新民主主義國家的文化機關通函索要資料是值得懷疑的, 雖不能肯定他是個變相情報機關, 但可能性是有的. 我局初步意見擬不送「文參」不覆信, 可是這種機關可能還另向其他機關索要資料, 是值得注意的, 因此抄錄原函及說明連同東方學報一併呈報
鑒核.
局長 鄭 振鐸
副局長 王 治秋
王 書莊
一九五二年五月八日
@-2. 附件(1)
敬啟者: 佩服貴局工作日有成績, 敝研究所原來以介紹貴國實行於日本人民, 貴國人民的經驗於日本人民為任務, 茲特懇求
貴局出版之「文物參考資料」自第一卷第一期起到現在既出版之各號, 以及以後按期出版者, 繼續惠寄, 以推進我們的工作是昐導
此敬
一九五二年三月一七日
東京都千代田區九段四ノ二
中國研究所
@-3. 附件(2) <中國研究所概況> 省略
【史料A】1952年5月13日 外交部亞洲司發給外交部情報司
情報司: 中國研究所是較進步的組織, 曾介紹毛主席著作及中國革命文獻, 其主要領導人平野義太郎是中日友協副會長, 過去曾兩次被日本政府以同情共產黨名義逮捕. 因此, 我們原則上同意□□□交換一些一般性的研究資料. 但為了慎重與方便起見, 以學術團體名義與其聯繫為宜. 請參攷. 亞洲司. 13/5
(□部分は外交部亜洲司の印と重なり判読困難)
【史料B】外交部收 1952年5月15日中央人民政府文化部(報告)
事由 為日本的兩個機構近函索資料. 除拒覆外, 報備案
主送機關 文化教育委員會
抄送機關 外交部 / 社會文化事業管理局
檔案號碼 (52)文秘字第222號
擬辦 參閱(16/5)
批示
附件
據本部社會文化事業管理局報告稱: 「一九五一年十一月十三日我局收到日本京都大學科學研究所寄來東方學報二冊, 乞求來交換「文物參考資料」, 我局決定未與交換, 亦未覆信, 旋於本年五月五日又收到日本東京都代田區九段四丁二丁番地六十四號中國研究所函一件附概況說明, 懇求我局贈送「文物參考資料」, 查前後兩機關在它們國內反動政府統治下能夠與新民主主義國家的文化機關通函索要資料是值得懷疑的, 雖不能肯定他是個變相情報機關, 但可能性是有的. 我局初步意見擬不送「文參」不覆信, 可是這種機關可能還另向其他機關索要資料, 是值得注意的, 因此抄錄原函及說明連同東方學報一併呈報鑒核.」本部除同意該局意見外謹報請備案.
中央人民政府文化部 一九五二年五月十五日
【史料C】中央人民政府外交部(公函)稿 1952年5月24日
事由 建議與日本中國研究所建立交換關係由
擬稿單位 情報司
主送機關 文化部辦公廳
抄送機關 社會教育委員會辦公廳
一九五二年五月十五日(52)文秘字第二二二號函抄件收悉. 查日本中國研究所係一較進步之組織, 將亞洲司附予內容備案在這部, 特建議你部考慮以學術團體之名義與該所建立交換一般性的研究資料之關係. 特此函件查照.
外交部辦公廳
一九五二年 五月 日
【史料D】中央人民政府外交部(公函)稿 1952年6月5日發
事由 建議與日本中國研究所建立交換關係由
擬稿單位 情報司
主送機關 文化部辦公廳
抄送機關 社會教育委員會辦公廳
一九五二年五月十五日(52)文秘字第二二二號函抄件收悉.查日本中國研究所是較進步的組織, 曾作過介紹毛主席著作及中國革命文獻, 其主要領導人平野義太郎是日中友協副會長, 曾兩次被日本政府以同情共產黨的名義逮捕. 據此我部特建議你部考慮以學術團體之名義與該所建立交換關係, 供給一般性的研究資料, 為荷.
外交部辦公廳
一九五二年 五月 日
【史料E】外交部收 1952年6 月14日 中央人民政府政務院文化教育也院會(公函)
事由 對日本兩團體要求交換資料的意見
主送機關 文化部
抄送機關 外交部 / 社會文化事業管理局
檔案號碼 文教辦122號
擬辦 送情報司並轉亞洲司閱(16/6)
批示 孫科長閱
附件
一九五二年五月十五日(52)文秘字第二二二號報告悉.關於日本中國研究所及京都大學科 學研究所索寄資料事, 經本委向中共中央對外聯絡部調查, 擬覆稱: 中國研究所是個進步團體, 其所長平野義太郎是一位進步學者, 可以交換「文物參考資料」京都大學科學研究所的情況尚不清楚可暫不贈送或交換.
一九五二年六月四日 中央人民政府政務院文化教育委員會
【史料F】外交部收 1952年6 月18日 中央人民政府文化部(批覆)
事由 同意與日本『中國研究所』交換資料由
主送機關 社會文化管理局
抄送機關 外交部辦公廳 / 北京圖書館
檔案號碼 52文秘第342號
擬辦 送情報司並轉亞洲司閱(17/6)
批示
附件
本年五月八日(52)會化字第三九九號呈報日本京都大學科學研究所暨日本『中國研究所』函請寄贈資料一事已悉. 茲經呈奉 文化教育委員會本年六月十四日文教字第一二二號批覆, 以日本『中國研究所』係一進步團體, 其所長平野義太郎為一進步學者, 可以與之交換『文物參考資料』. 至日本京都大學科學研究所之情況尚不諳悉, 應暫不與之發生聯繫.
中央人民政府文化部
一九五二年六月十八日
●簡単な考察
(1)中国研究所と中国の交流の一端を示す史料
実際に残される国立北京大学からの寄贈書。
⇒ 中国側から「友好団体」として認知されている姿の確認
(2)当初の方針が覆り、中国研究所が認められていく過程
中国研究所の活動、および平野義太郎の存在
外交部の亜洲司における判断能力
★逆に文化部系統の対日情報収集能力
(3)図書交換というシンボリックな行為による文化交流
関連状況
1946年 中国研究所設立総会(47年社団法人として設立認可)
1949年5月4日 日中貿易促進会結成(平野義太郎会長)
1949年5月24日 日中貿易促進議員連盟結成(苫米地義三階調、帆足計幹事長)
1949年6月20日 北京から日本へのラジオ国際放送(日本語)開始
1949年10月10日 日本中国友好協会準備会発足 (参議院会館第一会議室)
1950年10月1日 日本中国友好協会結成大会(一橋教育会館)
平野義太郎(中国研究所所長)理事に就任。
1950年6月 朝鮮戦争勃発 ⇒ 日中友好協会への「弾圧」
(『人民日報』『世界知識』の配布なども問題となる)
1951年5月26日 日本現代中国学会創立大会
1952年6月1日 日中民間貿易協定
1952年9月13日 第一回日中友好文化会議(蔵前工業会館)
1952年10月 北京にて、アジア太平洋地域平和会議開催
1952年10月 日本学術会議、政府に対して中ソ間との学術交流を要請
1953年1月 日本学術会議、中国科学院に対して学術文献の交換提案
1954年1月 第16回日本学術会議総会、平野義太郎、日中間学術交流促進を提起
1954年10月 日本学術会議学術調査団訪中(団長:阿部能成・学習院院長)
参考資料
【参考】中国研究所における図書館建設
社団法人中国研究所『創立十周年記念 十年のあゆみ』(中国研究所、1956年、18−19頁)
「研究の質の向上のためには、資料の十分な整備が絶対に必要であるが、五一年に建てられた社屋は図書室の整備がなかったので、五三年二月には各界の経済的援助をあおいで別館として図書館をたてることにし…(中略)各方面の援助をうけて、八月末には工事にかかり、鉄筋コンクリート二階建の小図書館が同年十二月に落成した。この図書館は、たんに所員の使用に限定せず、研究所賛助会員および確実な紹介者のある研究者に広く利用されている。
これより前に、五三年度には、研究所は、「現代中国研究の基礎資料の集成とそれに基く綜合研究」という研究テーマによって、文部省の科学研究費をうけ、その一部によって元東亜研究所が所有し、其後政治経済研究所所有となっていた中国関係書籍約二千冊(七十万円)を購入することができた。また、資料の充実のためには、かねてより可能なかぎり海外の大学や研究機関と資料の交換をおこなってきたが、五四年六月には、中国の国立北京大学図書館から新刊書一三三冊が寄贈され、同図書館からはその後もひきつづき多数の図書が寄贈されているし、研究所からもわが国の中国研究の重要な著作を北京図書館に贈っている。図書館成立当時の蔵書は約一万五千冊に達していた。」
【参考】山根幸夫編・大山茂著『大安社史1951−1959−日中出版文化交流の一時代−』(汲古書店、1998年)にあらわれる中国研究所
@「社団法人中国研究所は一九四六年すでに創設され、国電お茶の水駅に近い駿河台通りの一室にあったが、五二年に市ヶ谷一口坂へ新築移転したこともあって、大安の開店場所とかなり近く、相互の往来も親密頻繁になった。平野義太郎理事長以下、…研究員が机を並べて、新入荷の中国出版の新聞・雑誌や文献・書籍を材料に研究・討議を展開し、爾来発注・提供を通して大安書店との実質的な相互補完性が醸成されていった。そしてこの事が中国研究所員にも伝播し、取り扱い図書の種類と部数は徐々に拡大し、大安創世期の確かな支えともなった。(1951年、7頁)
A「この図書館(北京図書館:報告者)は日本の国会図書館や社団法人中国研究所その他代表的な大学図書館・研究所とも、この数年来継続的に文献交流を実施しているが、双方の有効増進に役立つ公共機関との交流発展には格段の熱意を示し、もっと日本の図書を充実することにより、体制を整備したいと強調され、大いなる感銘を受けた」(1959年、80−81頁)
【参考】『京都大学附属図書館六十年史』(昭和36年)
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/60his/MOKUJI.html 数字は種類、()内部は冊数
|
国際交換国別統計(受領分) |
||
|
国名 |
中華人民共和国 |
中華民国(台湾) |
|
年度 |
||
|
昭和 24 年度 |
|
|
|
昭和 25 年度 |
1(1) |
2(2) |
|
昭和 26 年度 |
2(7) |
2(6) |
|
昭和 27 年度 |
1(3) |
8(8) |
|
昭和 28 年度 |
1(3) |
9(10) |
|
昭和 29 年度 |
2(4) |
17(17) |
|
昭和 30 年度 |
1(2) |
18(31) |
|
昭和 31 年度 |
8(10) |
24(42) |
|
昭和 32 年度 |
13(48) |
23(72) |
|
昭和 33 年度 |
53(263) |
20(103) |
|
昭和 34 年度 |
55(341) |
24(151) |
昭和28年、北京図書館と第二次交換開始
国際交流国別統計(発送分)
|
国名 |
中華人民共和国 |
中華民国(台湾) |
|
年度 |
||
|
昭和 24 年度 |
|
|
|
昭和 25 年度 |
|
|
|
昭和 26 年度 |
|
|
|
昭和 27 年度 |
|
|
|
昭和 28 年度 |
5 |
5 |
|
昭和 29 年度 |
6 |
5 |
|
昭和 30 年度 |
8 |
13 |
|
昭和 31 年度 |
188 |
6 |
|
昭和 32 年度 |
82 |
1 |
|
昭和 33 年度 |
53 |
9 |
|
昭和 34 年度 |
123 |
15 |
【参考】プランゲ文庫 Gordon W. and Prange Collection and Archive(メリーランド大学所蔵)に含まれる中国研究所関連の雑誌、新聞など。
*Control No. Chinese
Newspapers*
NC0437 中研ニュース
*Prange
Collection -- Chinese Magazines*
C242 中国資料月報
C243 中国資料月報
C244 中国資料旬報
【参考文献】
中華人民共和国外交部档案 <對日本京都大學研究所及日本中國研究所要求交換資料的處理意見>, 檔號105-00237-04(1)、中華人民共和国外交部档案館所蔵
Gordon W. and Prange
Collection and Archive(メリーランド大学所蔵)
『人民日報』
『京都大学附属図書館六十年史』(昭和36年)
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/60his/MOKUJI.html
社団法人中国研究所『創立十周年記念 十年のあゆみ』(中国研究所、1956年)
山根幸夫編・大山茂著『大安社史1951−1959−日中出版文化交流の一時代−』(汲古書店、1998年)
[社]日中友好協会編『日中友好運動五十年』(東方書店、2000年)
[1] 報告題名を届け出る際に、本档案の内容の起点が1951年であったので、1951年からとしたが、それは京都大学人文科学研究所が『東方学報』を送付した時期であるので、中国研究所については1952年から案件が発生していることから、題名を1952年と変更する。