台湾史研究会関東部会
2005年11月5−6日、お茶の水女子大学
1950−60年代の日台関係と「台湾」の表象
北海道大学大学院法学研究科
○関心の所在[1]
「帝国」から「国民国家」へ
これまでは、「脱植民地化」という議論。これは(定義にもよるが)台湾にとっての議論。
⇒ 日本にとっては、「脱帝国化」。
⇒ 東アジア全体が「帝国化」から「脱帝国化」「脱植民地化」へと移行
⇒ ここの過程こそが極めて重要、現在言われている多くの「歴史」をめぐる問題なども、その一つの「根」をこの「脱帝国化」の過程の中に見出すことが可能
(「未完の脱植民地化」 *木畑洋一「現代世界と帝国論」『歴史学研究』776号、2003年)
⇒ 昨今、盛んになっている、「引揚」「補償」などの研究も、この過程の中に位置づけられる。
⇒ しかし、全体としてみた場合、日本の「脱帝国化」研究はほとんどおこなわれていない[2]。
◆三谷太一郎
「戦後日本においては、植民地化の研究は蓄積されてきたが、脱植民地化を自国の問題として省察することは、ほとんどおこなわれなかった。ひるがえって考えれば、そのことが戦後日本の国際意識に及ぼした影響は決して小さくない」(三谷太一郎「まえがき」(三谷太一郎編『岩波講座 近代日本と植民地8 アジアの冷戦と脱植民地化』岩波書店、1993年)
◆戴国W
「わたしはこの四、五年自分のテーマとして、日本人の台湾認識と日本人の台湾研究を考えてきたんですが…、なぜそういうことを考えるようになったかというと、本来われわれの側から“日本による台湾統治”を整理しなくてはいけないのですが、われわれの先輩がそれをやってこなかったからなんです。ところが、日本人の方もこうしたことをあまりやっていない。両方から正しく位置づけあって、つき合わせるとかなり生産的なものがでてくるのではないかと思うのですが…。日本のアジア研究の関連学会はどうも総括や、過去の研究遺産(マイナスのプラスの双方がありうる)を整理位置づける共通の執念みたいなもののがないようですね。…日本人の先学が中国や台湾をどう見ていたか、あるいはどう考え研究史どのように行動したかということの総括を、学界全体のレベルでシンポジウムなりを開いて、やってもいいのではないかと思うんです。(戴国W・新島淳良「思想方法としての台湾」(『新日本文学』26(11)、6-18頁、1971年11月)
◆池田敏雄
「戦後の日本人の台湾研究が断絶したり、低調だったというのはいろいろ理由がありましょうが、それは戦前の優越的な台湾観をぬぐいきれないからです。社会的責任問題をさけてとおったのでは、新しい台湾研究は成り立ちえないでしょう。2.28事件の評価を例にとっても、…(中略)要するに国民政府と台湾総督府を比較した場合に、日本時代のほうがよかった、それをきらってあの暴動を起こしたのだと、見方がかなり一般的におこなわれている。戦後二年目に起きたあの暴動を日本人にとって都合のいいように受けとったことが、無意識のうちに植民地支配の責任をあいまいなものにしてしまった面が少なくなかったとの思いなのです。
(幼方直吉「台湾研究 問題提起(尾崎秀樹、池田敏雄などが参加した戴国Wの論文に対する座談会記録)」(『アジア経済』11(6)、65-75頁、1970年6月)
○「近代帝国」から「国民国家」への「脱帝国化」
◆近代帝国: 主権国家体系の下で国民国家の形態を採る本国と異民族遠隔支配地域から成る複数の政治空間を統合していく統合形態 (*山室信一「『国民帝国』論の射程」、山本有蔵『帝国の研究−原理』・類型・関係−』名古屋大学出版会、2003年)
◆脱植民地化: 国民帝国の帝国性への拒絶であるとともに、国民国家製の需要による自立であり、それによる国民帝国の破壊であった」(*山室、同上)
★国民国家形成の中から、その原理を否定しつつ、ひとつの発展的な形態として「国民帝国」(近代帝国)が生み出され、その所産である植民地が植民地を離脱する際には、植民地は国民国家とならざるを得なかったという背理がある。
若林正丈の見解:「このような意味で脱植民地化は、互いに表裏一体である二つの側面を持つことになる」。
狭義の脱植民地化: 植民地の国民国家性の受容による自立による国民帝国の破壊の側面
脱帝国化 : 帝国性を否定されたことによる国民帝国自身の国民国家への変容とその対外関係の再編の側面である[3]。
○台湾のケース
台湾の脱植民地化は、中華民国による台湾・澎湖・金門・馬祖における、新たな「国民国家形成」の中で行われた。すなわち、台湾自身の脱植民地化と、中華民国の国民国家の再編としての双方の側面が折り重なって進行した。台湾の脱植民地化は、台湾の国民国家化としてはなく、新たな外来政権としての中華民国の国民国家再編の下におこなわれることになったのである。
これは、日本の脱帝国化にも影響を与えることになる。台湾は、台湾としての脱植民地化=国民国家化ではなく、あくまでも国民国家を再編する中華民国として日本に向き合った。日本もまた、中華民国を大陸全体を(理念的に)支配する政権としてではなく、あくまでも実効支配領域に限定したかたちで条約を締結(1950年日台通商協定[但し、締結主体は日本政府ではない]、1952年日華条約)。台湾人による台湾がやがて形成されることを想定しつつ、「中華民国」に向き合うことになる。
(川島 真「日本人眼中的蔣介石:以戰後日本外交文書為例的探討」(「蔣中正與近代中日關係國際學術研討會」報告原稿、2004年11月19-21日、中央研究院近代史研究所、公刊予定)
○日本側の根本的問題
◆三谷太一郎「まえがき」
(三谷太一郎編『岩波講座 近代日本と植民地8 アジアの冷戦と脱植民地化』岩波書店、1993年)
日本における非軍事化それじたいが脱植民地化と同義に考えられた。
「脱植民地化を容易に受け入れさせると共に、他方では非軍事化と次元の異なる脱植民地化固有の問題を長きにわたって看過させた。」
「脱植民地化はそれ自体として他国の問題であり、にほんにとって自らの深刻な体験として受け止められたことはなかった。」
川島 真「戦後日本の台湾史研究−政治史・経済史を中心に」
(2005年台日国際学術研討会「日本之台湾研究」報告原稿、司会・檜山幸夫、コメンテーター:栗原純、2005年10月29−30日、台湾国家図書館、公刊予定)
1970年代以前にも、日本には多くの台湾研究があった。学術面での「脱帝国化」も進行せず。人類学、民族学、社会学、建築学…この分野での戦前からの連続性(但し、あらたな調査ではなく、戦前の調査資料利用。やがて中国の代用としての台湾。利用価値の否定。また一般的に、「左派」知識人における「台湾」の忘却。1960年代末から1970年初頭にかけて、ようやく「台湾を中国研究の中に位置づける」必要性が提起される。これは脱帝国化ではなく、友好運動の中にあるもの。)[4]
○想定される「脱帝国化の局面」
若林の想定したフェイズ
フェイズT「植民帝国の政治的・軍事的解体」 フェイズU「新興国家との外交関係の樹立」
フェイズV「植民地・占領地に残された植民地支配の負の遺産の克服問題の噴出」
報告者の取り組みたい課題
近代帝国から国民国家に移行するに際して発生する、国内行政、国際行政面での調整側面。国の仕組みは実際にどのように変わっていくのか。そこにいかなる問題があり、どのような制度が形成されていくのか。それが、戦前のいかなる状況の反映であり、戦後の諸問題にいかに影響していくのか。
○本報告での作業
1945年8月14/15日以後の帝国議会、また47年以後の新国会における議論(昭和25年まで)
当時の「論点」の調査
○論点と暫定的な結論
1.「帝国」における多様、重層的制度を「国民国家」的な平面に移し変える作業(資格など)
2.「帝国」から「国民国家」への継承性(年金など)
3.中華民国=台湾を「外国」として移し変える作業(貿易、関税、また通信など)
(日本側にとっては国内資格が、国際的資格に向上)
4.中華民国と台湾の断層(法的地位など)
【中央政府の行政組織の改編】
○國務大臣(吉田茂君) 勿論考えてはおりますが、御承知のように國土は非常に小さくなり、曾ては朝鮮、台湾、満洲まで拡がつておつた行政機構が、四つの大きな島に限られたようなわけで、戰前といつても場合によつては比べものにならない、例を採りにくいような、例えば大東亞省のごときはやめになつてしまつたのでありますけれども、必要の上からいつてみて、日本の行政組織は相当縮小していいものであるべきだと思います。その観点から一つは申すように、財政の必要上から歳出を成るべく切る。
○堀眞琴君 おつしやる通り、大東亞省とか或いはその地戰爭中にできた官廳は是非なくなさなければいかんと思いますが、併し昭和六、七年頃はそういう官廳はなかつた、拓務省ができておつたかも知れませんが、そういうものを除いたとしても、あの頃の行政事務と今日の行政事務とは大分違つております。先程首相もお話になりましたが、統制事務のためにできた官廳が多いとか、或いは向う側からの希望によつてできた官廳も相当あるという話で、そのことが今の行政事務の内容に掛かつて來ると思うのでありますが、併し例えば人口の点から考えまして、昭和六年頃は、朝鮮、台湾、樺太その他を除いての内地人口が六千四百万、今日は八千万であります。約一千六百万の増加になつている、その上に統制事務であるとか、或いは戰爭によつて生じた復旧事務であるとか、或いは進駐軍関係の事務であるとかいうような事務の性質も、量も、大分違つて來ているわけであります。そういう違つて來ている事務を担当するための行政機構が大きくなつて來たと思うのであります。これをどうしてもやはり簡素化することが必要だと私は思うのでありますが、そのために一方に基準或いは科学的な根拠が必要であると思うのであります。首相は、本多さんのやられた三割減には自分は余り満足しておられん、政治的に解決されるのだというお話なんですが、政治的に解決される科学的な根拠を承わりたい。(5 - 参 - 内閣委員会 - 8号 昭和24年04月22日)
○吉田国務大臣 お答えをいたします。行政の簡素化、また局課の廃合その他による合の整理をますますいたしたいということは、私の施政の演説の中にも述べておきました。戰前戰後を通じて、あるいは剰員と言わなくとも、復員とダブつてよけいに公務員の数がふえたということもありますし、また事情が変化したとかあるいは国土が狭くなつたというようなところから、整理をすべき局課がずいぶんたくさんあるはずであります。台湾を持ち、朝鮮その他に手の及んだ日本が、四つの島に限られた狭小な領土になつただけでも、相当整理の余地があるはずでありますし、さらにまた行政を簡素化することによつて、国民がまたその恩沢をこうむるので、今日みたいな複雑な行政機構では、これは国民としては迷惑であるのみならず、日本の経済発展、復興なりに非常な妨害を来しますから、行政は簡素にする、そうして局課の廃合をいたして、機構も簡素にするということが、さしあたつての必要と考えますが、それによつて相当の経費を倹約する、そうして将来の復興に備えるということが、政府として、あるいは国として、進むべき道だと考えおりますから、ますます行政の整理なり何なりはいたすつもりであります。これは中央、地方を通じていたす考えであります。(7 - 衆 - 予算委員会 - 24号 昭和25年03月08日)
【植民地官僚の給与】
○野田政府委員 お答え申し上げます、本年度、すなわち昭和二十一年度の豫算におきまする人件費がどのくらいになつているかといふことでございますが、これは本年度の改定豫算の本豫算竝びに追加豫算合計六百五十八億圓になつております、この中で人件費と認められるものは四十八億七千七百萬圓、この人件費の中にはいわゆる行政費でないものを含んでおります、すなわち同胞引揚げ關係の費用でありまして、朝鮮とか臺灣におりました總督府の役人、こういう者に對する給與がはいつております、これは跡始末でありまして、行政費に入れるべきものでない、また海外におります軍人、これに對する留守宅渡しをしております、またそういう軍人が内地に歸つて參ります場合、今まで支拂いの滯つているものを、一時に支拂うというような費用がはいつております、その金が約三十二億五千萬圓くらい含まれておりますから、それを差し引いた殘りがいわば行政費の中に含まれている人件費と見られると思います、
【衆 - 内閣法案委員会 -
3 号(回) 昭和21年12月11日】野田政務委員=大藏事務官・野田卯一
【日本在住の台湾人の法的地位の問題】
○國務大臣(植原悦二郎君) (前略)朝鮮臺灣其の他三國人のことについての御話がありましたが、現在朝鮮人は約六十萬、臺灣人は約一萬三千人程居ります、是等の歸還に關することは、厚生大臣の所管でございますから、厚生大臣から御答へして然るべきだと思います、私として御答へ致しますのは、内務省の所管として、是等の不法行爲に對する主として取締に付ての御尋だと了解して居ります、是等の六十萬人の朝鮮人、一萬三千人の臺灣人の中には、善良なる者も居ります、併し其の或者は多數集團して物資保管倉庫を襲ふとか、或は隱匿物資の摘發なりと稱して恐喝するとか、官公署又は物資配給所に對して聯合軍の名を藉りて莫大の配給物資を騙取するとか、或は又集團の威力を以て鐵道不正乘車を爲し、客車の一部を不法占領して、主食等の大量買付けを爲す等の行爲に出づる者が相當に上つて居ります、是等の惡質行爲の放任は國内治安の上から見ましても寒心に堪へないので、之に對して警察取締を強化致して居ります、又全國に互る鐵道關係の取締も引續き之を實行し、警察官を列車に乘り込ませて車内秩序の維持、列車利用に依る集團買出の取締等を目標に、嚴重なる取締を勵行し、相當の效果を收めて居るのであります、臺灣及び朝鮮人と雖も日本人同樣一切の日本法令に從ふ義務があり、其の法令適用に付きましては何等の例外を認めて居らないのであります、此の法令遵守の義務を強制し、之に罰則を科する取締竝に裁判權は、客年二月十九日附聯合軍總司令部より日本政府宛裁判管轄權の行使と題する覺書に依り、完全なる權限が我が方に認められて居るのであります、日本政府は朝鮮及び臺灣人に對しまして、法と秩序を維持する責任と義務とを固より感ずるのであります、從ひまして、主食販賣等に對しましても警察取締は、朝鮮人たると日本人たると問ふことなく、本月七日より一層嚴重な取締を實施して居るので、相當の效果を擧げ得ることと思うて居ります、(貴
- 本会議 - 5 号(回) 昭和22年02月18日)
○政府委員(鈴木俊一君) (前略)それから二十一條の「戸籍法の適用を受けない者」と申しますと、是は主として朝鮮人、臺灣人を指稱致します、其の外に樺太土人等も入ります、尚朝鮮人、臺灣人でも、内地の戸籍に入夫、婚姻、其の他に依つて入籍して居る者は入りませぬが、それ以外の一般の朝鮮人、臺灣人は戸籍法の適用を受けないと云ふことになります、それ等のものに對する選擧權、被選擧權を停止すると云ふ規定であります(92
- 貴 - 地方自治法案特… - 2 号(回) 昭和22年03月24日、鈴木俊一、内閣参事官(内務官僚)、後の東京都知事
○花村委員 國または公共團体とそうしてこの費用負担者の方の側すなわち損害を被らしめた方の側の内部的都合、内部的の便宜、内部的の関係を簡易に処置するというような観念からして、損害を受けた権利者の請求権にかような制限を付することは、これは私は理論の上から申しましても、また保護の趣旨から申しましても、妥当なものではないのでないかと考えるのでありまするが、この点はその程度にいたしまして、さらに進みまして第六條に「この法律は、外國人が被害者である場合には、」云々と、こう規定してありまするが、この外國人の中には朝鮮並びに台湾の人がはいるかはいらぬか、それをお尋ねいたします。
○奧野政府委員 その点は朝鮮及び台湾の人の國籍の問題は現在のところ未確定でありまして、やはりこれは講和條約等によつて明確になるまでは外國人であるというふうに申し上げかねるのではないかというふうに考えております。(1
- 衆 - 司法委員会 - 4号 昭和22年07月16日、国家賠償法案に関する審議)
○野木政府委員 台湾人につきましては、支那側の総督官憲から発行しました証明書を持つている者については裁判権が及びませんので、從つて刑事訴訟法も適用がないということになるわけであります。(刑事訴訟法をめぐる審議。連合国人は適用外。
衆 - 司法委員会 - 46号 昭和23年06月30日、法務廳事務官 野木 新一君)
○青木國務大臣 先ほど野坂委員から御質問がございました点でありまするが、外國人の財産取得に関する政令についての問題でありまして、この政令は一月十四日付のスキヤツプの覚書に基いて、制定をいたしたのでございます。覚書は非日本人という問題であります。この非日本人の財産取得を認可事項とせよということの指令でありまして、この非日本人の概念が問題になつたのであります。そこでまず外國人が非日本人であるということは、これはもうだれも疑う余地はございませんが、問題は朝鮮人と台湾人、ことに華僑でございます。どういうふうに考えるかといえば、國際法上は対日平和條約の締結を持つて確定せられるべきものでありますが、外國の國籍を新たに取得するか、それに準ずる意思表示をした者のほかは、大体法律上日本人と同様に取扱うことになつております。從つてその政令におきましては、終戰の際――二十年の九月の二日でございますが、この終戰の際、日本の國籍を有していた者で、その後も引続いて日本の國内に居住している者は、一般日本人と同様の地位に置く。ただ同日以後、外國の國籍を取得するか、または連合軍最高司令官の任命、もしくは承認した外國使節團の発行する登録証明書といいますか、この登録証明書の交付を受けた者は、推定外國人として一般外國人と同様の地位に置くことにしております。そこでこの政令の第二條第一項は、以上申し上げたような趣旨をもつて規定されておりますものでありまして、一般華僑及び中國使節團より登録証明書を受けた台湾人は、外國人として取扱われておるし、右の証明書を受けていない者は、一般日本人と大体同様に取扱われるのであります。以上の趣旨によりまして、先ほど御意見のございました華僑につきましては、約三万人ぐらいでありまして、目下事実上華僑がこの政令によつてなるべく迷惑をいたさないようにという方法を、ただいま考究中でございます。その結論が出ましたら御報告いたします。(5 - 衆 - 外務委員会 -7号 昭和24年04月20日、青木孝義 経済安定本部総務長官)
○苅田委員 その入つて来ている麻薬の種類を見ると、大体中国とかあるいは朝鮮から入つて来るものが多いというようなお話であつたのですが、そういう不正所持に関係している人たちの中には、日本人以外に朝鮮人、中国人というような人がいるわけですか。
○里見説明員 台湾人、朝鮮人、中国人、そういうものが入つております。そうして台湾人と中国人は軍事裁判の方にまわります。朝鮮人だけが日本の裁判の方にまわる。申し上げました数字の中には中国人と台湾人は入つておりません。今まで向うのCIDと協力してやりました事件には、相当たくさんの人があるのでありますが、これは令部連合軍の軍事裁判によつて処理されておりますので、私どもの持つている資料には入つておりません。(7 - 衆 - 厚生委員会 - 12号 昭和25年03月13日)
【植民地における「有罪」となったものの「恩赦」】
○霜山精一君 此の恩赦は日本の裁判所で言渡した犯罪或は刑に付て行はれるのでありますが、從來は普通の司法裁判所の外に、陸海軍の軍法會議とか或は朝鮮、臺灣、關東州、南洋群島等に裁判所がありました、さう云ふ所で矢張り有罪の判決を受けた者に付ても恩赦を行ふと云ふことになる譯であります、今日では軍法會議も廢され、朝鮮、臺灣もなくなり、關東州もなくなる譯ですから、普通の裁判所以外で裁判する場合は殆どまあないと考へていいと思ひまするが、復員の關係で尚復員裁判所と云ふやうなものが現在でも殘つて居るのぢやないかと思ふのでありますが、さう云ふ場合に、復員裁判所でやつた判決に付きましても矢張り本法に依つて恩赦を行ふと云ふ風なことになるのでありませうか、其の點がはつきりしないのですが、一つ御伺ひ致します
○國務大臣(木村篤太郎君) 只今の御質問の御趣旨の通り、矢張り復員裁判所で言渡された判決に對しても將來恩赦を施したいと思ひます(92
- 貴 - 恩赦法案特別委… - 1 号(回) 昭和22年03月05日)
【植民地の検察官、裁判官、弁護士などの資格の継承問題】
○檢察廳法案 第三十八條 裁判所構成法による檢事若しくは判事の在職又は同法による檢事たる資格を有する者の司法省各局長、司法省調査部長、司法省調査官、司法書記官、司法研究所指導官、司法研究所事務官、司法省参事官、領事官、朝鮮総督府檢事、朝鮮総督府判事、台湾総督府法院檢察官、台湾総督府法院判官、関東法院檢察官、関東法院判官、南洋廳檢事若しくは南洋廳判事の在職は、第十九條第一項第一号の規定の適用については、これを二級の檢事の在職とみなす。
(92 - 衆 - 本会議 - 20
号(回) 昭和22年03月18日)
○政府委員(國宗榮君) 蒙彊にも全部こちらの判檢事又は弁護士法による弁護士の資格を有する方が行つておられまして、現実に向うで以て、そういうふうな資格を有せられている方は一人もいないのであります。それから朝鮮は、昭和二十一年の法律第十一号によりまして救済規定ができております。台湾におきましては、台湾の裁判官並びに檢察官は、裁判所構成法の資格を有する者に限られております。弁護士も、弁護士法による弁護士の資格者に限られております。南洋におきましては、全部こちらの資格ある者が行つております。將來外地からの帰還者につきまして、今後かような救済方法を取る必要はないと、こういうふうに考えております。1
- 参 - 司法委員会 - 4号 昭和22年07月26日
○兼子政府委員 次に第二の方策としては、裁判所法に規定せられておりまする裁判官の任命資格に関する経過規定の改正でありまして、現在これに関する規定としては、裁判所法施行令の第八條ないし第十條及び第一回國会を通過成立した裁判所法の一部を改正する法律(昭和二十三年法律第一号)の附則第二項ないし第四項等がありまして、裁判所構成法による判事もしくは檢事の在職、これらの職につく資格を有する者等の朝鮮、台湾、関東州、南洋廳及び満州國における裁判官の在職、これらの外地もしくは満州國における檢察官の在職または行政裁判所評定官、司法研究所指導官、司法書記官等の在職の年数は、これを裁判所法による判事、判事補、檢察官、司法研修所教官または法務府事務官――現在の法務廳は、別に法案を提出して法務府と改称いたしたいと思いますが――等の在職の年数とみなすこと等が定められておりますが、この際これらの規定をさらに拡張して、内地、朝鮮、台湾、満州國または蒙古等で実質上右に述べた諸官職と同樣な法律的の事務を取扱う職にあつた者についても、一定の條件のもとに、その在職年数をこれに算入することとし、なお、朝鮮、台湾及び関東州の弁護士の在職年数をも、弁護士法による弁護士の在職年数とみなすこととして、実質上十分なる知識と経驗とを有しながら、形式上の資格要件を欠くために、判事簡易裁判所判事、または判事補等となり得なかつた者に、それぞれその資格を與えて、これを十分に活用することが必要であり、かつ適当であると存ずるのであります。この法律案は、以上申しましたよな趣旨で立案提出いたしたのでありまして、第一條は、判事補で裁判所法第四十二條第一項各号に掲げる判事補、簡易裁判所判事、檢察官または弁護士等の職の一または二以上にあつて、その年数を通算して五年以上になる者のうち、最高裁判所の指名する者は、当分の間、判事補としての職権の制限を受けないものとし、またその属する地方裁判所の判所官会議の構成員となり、管内の簡易裁判官の職務を行う権限を有することを定め、第二條は、裁判所構成法による判事または檢事たる資格を有する者が、同條に掲げる内地、朝鮮、台湾、満州國及び蒙古連合自治政府等における各種の職にあつたときは、その在職年数は、裁判官の任命資格に関する裁判所法第四十一條、第四十二條及び第四十四條の規定の適用については、これを判事、判事補、檢察官、法務府事務官または法務府教官の在職年数とみなすこととし、第三條は、弁護士たる資格を有する者が、朝鮮、台湾、関東州等の外地弁護士の職にあつたときは、裁判所法第四十一條ないし第四十四條の規定の適用については、その在職の年数は、これを弁護士の在職の年数とみなし、外地弁護士の在職年数、もしくは外地弁護士及び弁護士令による弁護士試補として実務修習を終え考試を経たものは司法修習生の修習を終えたものとみなされることを定め、さらに附則では、この法律の施行に必要な規定を設けたのでありまして、その第四條は、この法律の施行期日を定め、第五條は、第一條に定める判事補の裁判官、檢察官または弁護士等としての経驗年数の計算についての経過規定を定めたものでありまして、(兼子一=法務調査意見長官(2
- 衆 - 司法委員会 - 30号 昭和23年06月12日)
【在外預貯金の処理】
○政府委員(村上好君) 日本内地の記号、若しくは朝鮮とか台湾とかいう所で預けたものの記号を持つて行つて野戰郵便局に預けたものが六億八千万円その外にございますので、原簿ではつきりしておるものは三十八億六千万、総体ではそうなります。それで三十八億六千万がはつきりしておつて、蔭に濳在しておるであろうと見られるものが三十五億四千万あるのであります。合せて七十四億というような大きな軍事貯金がまだ残つておるだろうというふうに考えられます。その次に一般外地の郵便貯金について申上げます。これもこの資料の前のページの二というところにございます。地域別にいたしまして朝鮮、台湾、関東州、南洋、樺太、こういう地域の終戰時の現在高が十三億九千六百三十二万七千円、その後の預入が二億三千百何万、その後の拂戻が十億五千百万余り、差引現在高が五億七千六百万という数字を示しております。それで最近における預拂の状況を見ますと毎月四千万円から、最近は二千六百万円に減つております。本年度に入りまして二億三千五百余万円の拂出がございます。かようにいたしまして現在の支拂状態を継続いたしますと、先ず一ヶ年前後で外地貯金は全部拂われるという見通しでございます。現在の拂戻の方針は、樺太、南洋群島の分に対しましては、昭和二十年九月三十日以前に預入したものは内地貯金同様に取扱つております。その他の地域で昭和二十年九月三十日以前に預入したものは一家族を通じ一ヶ月五百円以下の拂戻及び租税の支拂いに充てる拂戻の取扱をするという取扱の方法を採つております。(1 - 参 - 通信委員会
- 5号 昭和22年11月20日)
【外地での恩給・年金、共済組合などの取り扱い】
○説明員(都村新次郎君) 私外務省の都村でございます。一應それでは外務省といたしまして処理しております状況を先ず御説明申上げたいと思います。終戰後朝鮮、台湾、樺太、関東州、南洋群島、こういいました外地に関しまする残務整理の事務は外務省の官制、それから先般の外務省設備法によりまして外務省が主管官廳となつてこの事務を行なつておるわけであります。恩給事務につきましては、それで外務省の中にございます各外地の残務整理事務所と、それから外務省の人事課の恩給係とがこの事務を伺つておるわけでございまして、特に人事課の恩給係におきましてはこれを統一的に調整しますし、恩給局への申達の事務を行なつております。それで外地関係の職員の恩給事務を大別いたしますと、新規の恩給とそれから会計の恩給との二つの事務に大別されます。この新規恩給と申しますのは外地官廳が終戰によりまして廃止されました結果、自然退官になつた者、或いは現地で死亡した者、こういつた方々の新規請求に係る恩給事務でありまして、これが総計約六万五千件に及んでおります。そうして現在まで処理が済んでおります件数が三万一千件に達しております。それから会計恩給と申しますのは、すでに朝鮮、台湾等の外地の長官が発行いたしました恩給証書を書替えまして、そうしてこれを恩給局に申達する事務でございます。これが件数といたしましては約三万七千件でございまして、現在までの処理件数は一万七千件でございます。(5
- 参 - 在外同胞引揚問題に関す… - 閉2号 昭和24年09月02日)
○淺岡信夫君 局長にこれは御要請して置きたいと思うのですが、この前の委員会におきまして、とにかく恩給という問題に対して三万七千円今度処理されることになりましたことは、非常に喜ばしいことでありまするが、私共が各地に講演に行つたり、或いは座談会なんかもやり、殊に台湾或いは朝鮮地区から引揚げられるそうした未亡人、或いは遺兒を抱えた老人なんかの話を聞きますと、とにかくこの恩給の問題に関して言及されますと、非常に國家として、或いは政府として、もう我々は捨てられておるというようなことですね。(5
- 参 - 在外同胞引揚問題に関す… - 閉3号 昭和24年09月06日)
○安田政府委員 終戰後廃止になりました官業の共済組合で海軍共済組合以外のものは、陸軍共済組合、製鉄所共済組合、台湾総督府鉄道戰員共済組合、台湾総督府逓信局及び通信官署戰員共済組合、台湾総督府営林共済組合、台湾総督府專売局現業員共済組合、台湾警察共済組合、朝鮮総督府鉄道局現業員共済組合、朝鮮総督府逓億官署現業員共済組合、朝鮮総督府專売局現業員共済組合、朝鮮警察共済組合、関東庁逓信官署戰員共済組合、関東庁警察共済組合、樺太庁鉄道及び郵便局現業員共済組合、以上でございます。この中には年金制度のないものもございますので、現在のところ年金者についての所要額は、従来の規定によりますと千三百八十四万円ばかり、増額後の年金額が三億六千八百四十四万五千円ばかり、これが大体民間では三千七百円ベースだと思います。ちよつとお断りしておきますが、実は終戰後海軍の共済組合が解散になりまして、そのあとが共済協会という公益法人になつております。共済組合といたしましては、所管は大蔵省の所管でございますが、ただそういうような関係で解散になりまして公益法人になりましたので、これが厚生省の所管であるということで厚生省に参つておるわけであります。私どもといたしましては、今大臣の御答弁のように、旧海軍共済組合は現存共済協会となつておるわけであります。その公益法人の主管大臣として内容はなるほどごもつともではあるし、平素お世話をしておりますので、ひとつできるだけ大蔵省において、今申されたような立法的措置、財政的措置をとつてもらいたい、こういうふうにお願いしておるわけであります。主管は大蔵省の方にありますから、大蔵省においてこの法律に手を着けるといたしますと、今申しましたような外地関係などはもう少しはつきりさせてもらいたい。こういう意向ではないかと思つております。(7 - 衆 - 厚生委員会 - 5号 昭和25年02月15日)
【国際貿易港指定の調整−帝国内貿易から国際貿易へ】
○後藤政府委員 (前略)外國貿易港といたしましては、從來横浜、神戸あるいは名古屋、大阪というような大きなものもありまして、これはアメリカ航路あるいはヨーロッパを目標にしたものでありますが、非常に取扱数の多かつたところの台湾、朝鮮というものが外國貿易にはいりましたために、外國貿易港というものの考え方をかえねばならないということがあるのであります。そういうことに対するあらゆる整備をあらためてやり直さねばならないという事態に立ち至つておるのであります。(2
- 衆 - 運輸及び交通委員会 - 2号 昭和23年01月30日、後藤憲一=運輸技官)
【関税そのほか貿易関連の税金の取り扱い】
○中野政府委員 ただいま議題となりました関税法の一部を改正する等の法律案について、提案の理由を御説明いたします。(中略)次に朝鮮、台湾等は密貿易取締り及び税関統計作成上の見地から、関税法の手続面では現在も外國とみなされているのでありますが、関係方面の意見も一致しましたので、当分の間これを関税法上全面的に外國とみなし、あわせて関税定率法、トン税法上も同樣外國とみなして、これらの地域をわが國関税法規しまつたく外國と同樣の取扱いをしようとするのであります。(5
- 衆 - 大蔵委員会 - 25号 昭和24年05月06日)
○政府委員(伊藤八郎君) 大体において戰時中は殆んど輸出入の積出し船もありませんのと、それから終戰になりまして逐次いろいろな物價が昴騰して参りましたけれども、今度この法案を御審議願いまして初めて朝鮮、台湾いわゆる旧外地に往復する船も外國貿易船に認められる関係になりますので、從來は朝鮮、台湾を往復する船は法律に関係しませんので、トン税を掛けるわけには行かないのであります。かたがた関係方面との関係もありまして、いわゆるチヤーター船その他にもトン税を余り掛けることが実は円滑に行かなかつたために、今まで改正しなかつたのでありますが、今回いろいろの方面と交渉しました結果、台湾、朝鮮を関税上外國扱いにすることも御了解を得、又チヤーター船等日本側が運営する船についてはトン税を掛けることも支障なしということに見極めが付きましたので、この面を改めて御審議を願う次第であります。
○政府委員(伊藤八郎君) これは総司令部からの指令の多分九百九十六号かなんかによつて、終戰直後に指令がありまして、朝鮮、台湾等からの密輸入を取締れという指令がありました。それによりまして、止むを得ず朝鮮、台湾等から輸出入する荷物については、税関に申告をすることを義務付けたのであります。併しながらこれを課税面、外國より輸入する面には、別表により関税を課すというのがあります。その條項を除けまして、手続だけについて外國扱いにしたのであります。今回朝鮮、台湾等に輸出する品物について物品税、消費税を免税しろという指図があつてのであります。でありますから、輸出する際に消費税を免税するならば、向うから入れる場合には関税を課せなければ話が合わないというふうに持つて行きまして、幸い御了解を得ましたので、今度は課税する面をも入れて、全面的にこういうようにするのだということを書いたのであります。(5 - 参 - 大蔵委員会 - 23号 昭和24年05月07日)
【植民地で登記された有価証券の取り扱い】
○大藏事務官(前野直定君) (前略) それからもう一点は、例の内地の会社の有價証券類で現物が内地にある、ところが持つておりました株主は、支那とか或いは朝鮮、台湾、満州などにいた、從つて会社の株主名簿でもその株主の住所が外地になつておる。ところが終戦後になりまして、その人が内地へ引揚げて來て、もう純然たる内地居住者になつておるにも拘らず、株主名簿の面上におきまして住所が外地になつておるために、その証券の売買移動等ができなかつたというケースがあるのですが、これにつきましては関係方面とも話をいたしまして、その株主名簿上の住所を内地に変更していいということに話合がつきまして、それについては近日そういうような処置をいたしたいと思つております。從つてこれにつきましては、内地に前から居住しておつた者が内地の株券を持つておつたものと同様な取扱いになる、こういうように期待してよいのじやないかと思うのです。それからもう一点は、外地で内地にあります会社の株式なんかを、例えば焼かれたり、没収されたり、盗難に会つたりしてなくなつて帰つて來ておる方が大分あるわけであります。これにつきましては、会社の株主名簿で見ますと、何の誰それという者は何会社の株主であるということははつきり載つておりますから、これは証明がつくわけでありまして、從來よくそういう方が裁判所へ除権判決の申入れをなしまして、裁判所の方では除権判決の確定をして、それに基いて会社の方へ株券の再発行を申入れるという傾向が大分あつたのですが、これにつきまして再発行できるかどうかという点で、いろいろ疑義がありまして、裁判所の方では、これはできるのだというような話でありましたのですが、それを再発行した場合には有價証券の輸入と同じ結果になるので、取り扱いとしてどうかしらという疑念がありまして、その点交渉を続けておつたのですが、それにつきましてはやはりそういう除権判決自体はできないのだ。從つて外地において喪失或いは盗難、火災により焼却とかいうようなことでなくなつた有價証券については、現在の段階としてはこちらで再発行できないというようなことに話が大体つきました。大体今のところ話の具体的に決まつておりますものは以上のような問題であります。(2
- 参 - 在外同胞引揚問題に関す… - 閉1号 昭和23年08月27日)
【植民地から引揚げた医師・看護婦等の資格】
○説明員(久下勝次君) (前略) 終戰後樺太のみならず、朝鮮、台湾、満洲、或いは中國、南方諸地域に各種の医師制度がございまして、この方面から帰つて参りまする医師、歯科医師につきまして、如何なる取扱をすべきかということにつきましては、私共といたしましても、愼重に考慮をいたした積りでございます。申すまでもなく、医師、歯科医師は人の生命に関する仕事をいたすものでありまするので、この免許につきましても、極めて愼重に考える必要があると思うのでございます。樺太、朝鮮、台湾というような外地につきましては、実は終戰時までは内地の医師制度と異つた特別な医師制度が行われておりましたのでございます。その理由は、主として内地の医師、歯科医師の免許を持ちました者は、外地におきまして医療に從事するということが余り行われませんので、それぞれの外地におきましては、内地における医師、歯科医師よりも程度を下げました医師、歯科医師の制度を設けまして、そうしてその地の住民の医療を担当さしておりましたのでございます。朝鮮、台湾におきましては、これが段々人も殖えて、医師、歯科医師が殖えて参りまして、最近におきましては逐次にその資質の向上を図つておりましたのであります。樺太につきましては、全然内地と同じような医師制度が一方において布かれますと同時に、今申したようないわゆる現地開業医、開業の土地を限りまして、或いは開業の期限を限りまして医師、歯科医師の免許を與えておりましたのであります。これらの以上申上げましたような外地或いは満洲その他の各地におきますその土地々々の医師制度につきましては、終戰後できる限りの調査もいたしまして、先ず第一にこの人々に対しまして、内地の医師免許を與える資格があるかどうかということにつきまして、十分愼重な考慮をいたしたつもりであります。そういたしまして、結局私共として制度として取上げましたものは、先ず全般的に申しました場合は、いずれも先程から申したような趣旨でもあります関係上、内地の医師に比較いたしましては、全般的にその能力が低いということは爭われない事実でございましたが、併しながら朝鮮、台湾及び満洲の開業の地域、或いは期間を限られない、いわゆる私共では現地開業と申しておりますが、現地開業にあらざる医師、歯科医師につきましては、特別な措置を以ちまして、簡便に内地の医師、歯科医師の免許を與え得る道を開きましたのであります。残つておりますのは、御質問になりました樺太の現地開業医、朝鮮、台湾、満洲、更に南方方面でやつておりました医師、歯科医師であります。これらはいずれも今申上げました一應簡易な方法で免許を與えますようにいたしました者と比較いたしまして、更にその程度が低いと考えられます。これにつきましては、現在の医師、歯科医師の制度から申しますると、どうしてもこのまま免許を與えるということにできない事情にあるのでございます。(1
- 参 - 在外同胞引揚問題に関す… - 9号 昭和22年10月14日、久下は厚生官僚)
○淺岡信夫君 これは一つ委員会に宛てましての請願と申しましようか陳情でありますが、勅令第四十二号医師国家試験の受験回数緩和に関する件でありますが、この三月に満州、朝鮮、台湾、樺太、そうした外地から帰つて来た人に国家試験を行うとありますが、それが二回しか行わない、あと二十七年までに一回行われるのであります。これでは到底外地から帰つて来たお医者さんが満足の生計を営むということはでき得ないということでありますので、こうした各位からの請願がどんどん出て来ると思いますし、又現在も出しおるのですか、それを一つ委員会がお取上げ下さつて、どうかこの回数をもつと増して貰いたい。そうして外地で現に脈をとり、又非常に人を助けたというような点を内地にも及ぼして行きたい。それで国内的にも無医村、医者のない村というものが相当あるのでありますから、そうした点も重々御考慮頂いて、この委員会において是非この緩和に対しての手続、或いはその他に対して一段の御努力を願いたいと思うのであります。(6
- 参 - 在外同胞引揚問題に関す… - 2号 昭和24年11月01日)
○小杉イ子君 私もこの外地から来られた人の試験ということには非常に考えておるのでございますが、昔台湾の小学校で教授をしておりましたので、大変程度が低くないのでございます。それにも拘わらず台湾、朝鮮で、例えば産婆、看護婦の試験を取つた者も皆試験を受け直さなければならん、あれなどは非常にむごいような話だと思いますが、実際においてそれだけ程度が低いのでございましようか、どうでございましようか、それを伺いたいのであります。
○説明員(東龍太郎君) (前略)
それから小杉委員からお話の、台湾や朝鮮のそれが程度が低いかどうかというお尋ねでありますが、現在の医師、歯科医師、或いは看護婦等に対する資格を與えまする要求に対してそれらの土地におけるいわゆる限地医の免許証というものが該当していない、ただ現在日本においてそういうふうな資格を持つものは国家試験等による資格に限るということになつておりますので、それに合わない方に対して試験をするということであります。従つて程度が低いかどうかということは、それは個人によりますことで一概に申せんとは思いますが、併しながら現在開業の場所を限られておるということそれ自身がすでに普遍妥当性を欠いておるということを前提といたしておりますので、この点につきましては程度の上下と申しますよりも、その免許の本質がさようになつておりますので、止むを得ず改めて日本の法律に従つての試験を受けて貰う、若しくはその認定をするに足るような審査を受けるという制度になつておるのであります。(6
- 参 - 厚生委員会 - 4号 昭和24年11月16日)
○伊藤(憲)委員 提案者に伺いますが、この興亜医学館一校の卒業生についてだけ、特別なこういうはからいをするという理由。それからもう一つは、興亜医学館は一体どこに存在して、どういう性格を持つていたかということをお伺いしたい。
○大石(武)委員 この興亜医学館というのは、東京の大森にあつた学校でございます。当時昭和十四年ごろ野方次郎という医師の代議士があつたそうであります。この医師が中心になつて、慶応義塾大学の医学部の教授、助教授、講師連中がせんせいとなつて、そして相当の卒業生を出しております。現在まで卒業生の数は、台湾人が百八十四が百八十四名、朝鮮人が百十五名、内地人が百八十四名、朝鮮人が百十五名、内地人が七十名という、これだけの数が出ておりまして、その中の相当部分はすでに医者としての権利を得て、外地において医業を行い、なお帰つて参りましても、朝鮮、満州にいた人々は、特例によつて内地においても医業を営んでおります。台湾人と朝鮮人の方々は、すでにある程度の特例の許可を得て、終戦後も大部分の方は現地で医者をされておるという話を聞いております。ただわずかに残された日本人の数十名の者が、将来に希望を失つておるという現状であります。さらにもう一つの東洋医学院という、やはりこれは外地向けの医者という、やはりこれは外地向けの医者を養成した学校でありますが、われわれはこの法律に含めたいと存じております。その東洋医学院につきましては、法制局第一部長よりお話いたしたいと思います。
○福原説明員 東洋医学院は、昭和十六年四月設立されて、同年ただちに学校として生徒を募集し、その学業を始めた学校でありますが、二十年八月閉校になつております。場所は本郷区春本町に所在しておりまして、初め卒業年限が四年、そして後にこれは三年に改まりましたが、そのような内容で、しかも教授種目その他は相当充実したものがあるのであります。この卒業生は大体二回ほど出たように聞いておるのでありますが、台湾人が六十五名、朝鮮人が二十名、内地人三十名ということになつております。
○伊藤(憲)委員 これは外地向けという表現をされておりますけれども、外地というのは終戦前までは日本の植民地であつて、この植民地政策、従つて侵略政策の一環として行われたのじやないかと思います。私は興亜医学館のそばに住んでおつたのでありますけれども、これは、普通の労働者の長屋をつぶしましてやつた学校で、およそ医学校となどというのとは縁の遠いチヤチなものです。そういうものを医者にするということは、私は内容はよくわからないですけれども、またワクチン禍でも起こすのではないかと思います。数が少ないので、ことに内地人に関して数の少ないことでもありますけれども、ほかにもそういうものがあるのじあないでしようか。これは内地で行われたのですけれども、満州でもこういつた学校がございまして、そうしてこつちへ帰つて来まして、試験が受けられないで困つておるという事例はないのかどうか。特に二校だけに限るというのは、気の毒という意味からですが、もう少しその点はつきししてもらいたいのです。なるべく反対したくないから言うのです。(6 - 衆 - 厚生委員会 - 11号 昭和24年12月01日)
【国際通信をめぐる新たな調整事項】
○政府委員(西村熊雄君) 日本の負担します分担金につきましては、只今仰せになりましたように、マドリツド條約では六等六階級あつたのが、この新條約では八階級になつております。マドリツド條約では日本本土につきましては一等で二十五單位、樺太については六等で三單位、朝鮮については四等で十單位、関東州については六等で三單位、台湾については六等で三單位、南洋群島については六等で三單位、本土が二十五單位、外地関係が合計二十二單位になります。そういう率で負担することになつております。この新條約ではどうなるかという点になりますが、この電氣通信連合條約では分担金の等級範囲はその條約ごとに変りまして、その定めた制度で次の改正條約が締結されるまではこれで行くという制度になります。国際電気通信条約(マドリッド条約)3
- 参 - 外務・逓信委員会連合審… - 1号 昭和23年11月12日
○江崎(一)委員 今のお答えは、二級通信士はなぜ国際通信がやれないかということに対する御回答としては、私不十分なんですが、まあそれくらいにしておきます。それでは二級通信士が国際通信ができぬということになりますと、相当数の二級通信士が船から降りなければならぬという事態が起ると思いますが、現在の二級通信士が、この法律によつて下船を余儀なくされる者が、どれくらいあるだろうか。それがわかつたらお知らせ願いたいと思います。
○網島政府委員 私の申し上げていますのは、三級通信士が全然国際通信をやつてはいかんとか、できないということを申し上げたわけではないのでありまして、二級通信士が独立してと申しますか、一級通信士が全然おらない場所において、国際通信を裁量して行くということは、現在の二級通信士の資格の問題からむりであるということを申し上げた次第であります。第二のお尋ねの件でございますが、現在におきましてもいわゆる国際通信――戰争によりましてわが国の領土と申しますか、行政区域がかわりましたが、戰争前の行政区域におきまして、わが国に属していない区域のいわゆる昔の国際通信は、やはり全部裁量は―級通信士でなければできないのであります。ただ問題になりまするのは、戰争後にかわつた部分がございます。具体的に申し上げまするならば、台湾でありますとか、朝鮮でありますとか、千島でありますとか、そういう部分でございまするが、この区域におきましては、従来二級通信士がやつておつたのであります。この区域に関しましては、現在すでにわが国の行政区域から離れておりまして、外国の政府の意図によつて、どういう通信方法がとられるかということができるわけであります。従いましていつ何時純然たる国際通信にかわつて来るか心わからない。そういうふうに考えまするので、今の二級通信士の資格では、むりであろうと考えておる次第でございます。(7 - 衆 - 電気通信委員会 - 8号 昭和25年02月24日)
【食糧自給問題】
○国務大臣(池田勇人君) (前略) 次に我が国の農業政策が、とにかく食糧関係についてどういう考えを持つておるかというお話でございます。これは私は專門外でございますが、御承知の通りに我が国従来の農業政策というものは、朝鮮米、台湾米のことを頭に置きながら、即ち、植民地統治という観点から相当賄なわれておつたのでありますが、御承知の通り朝鮮、台湾を加えますと大体毎年千四、五百万石ぐらいは輸入されておつたのであります。これがなくなつて参りまして、而も片つ方では、千数百万人の人口が増加しております。ここにいわゆる日本の農業政策の何んと申しますか、事情変化が来ておるのであります。お話の通りにできるだけ自給態勢を整えて行かなければなりません。従いまして先ず治山、治水に金をかけ、又できるだけ土地改良、開墾その他に経費を持つて行つておるのでございます。これは予算を御覧下されば、土地改良を加えまして、土地改良につきましても相当増加しておるのであります。これを一気にすぐ沢山出せ、こう言われましても、これは国民負担等も考えなければなりません。経済全体について見て行かなければなりませんので、できるだけ早くはいたしますが、財政経済の事情上、今御審議願つており程度にしか至つておらないのであります。私は全体の経済がはつきり確立いたしますならば、もうどうしても足らない主食の増産に力を入れて行きたいと考えておる次第であります。(7 - 参 - 予算委員会 - 16号 昭和25年03月17日)
★北海道、宮崎の開発など、国内「開発」の議論も盛んにおこなわれた。
【参考文献】
幼方直吉「台湾研究 問題提起(尾崎秀樹、池田敏雄などが参加した戴国Wの論文に対する座談会記録)」
(『アジア経済』11(6)、1970年6月)
川島 真『台湾における日本研究』(交流協会、2004年)
川島 真「日本人眼中的蔣介石:以戰後日本外交文書為例的探討」(「蔣中正與近代中日關係國際學術研討會」報告原稿、2004年11月19-21日、中央研究院近代史研究所、公刊予定)
川島 真「従日本看台湾的日本研究」
(中央研究院人文社会科学研究中心、亞太区域専題中心
『亞太研究論壇』26期、2004年12月)
川島 真「戦後日本の台湾史研究−政治史・経済史を中心に」
(2005年台日国際学術研討会「日本之台湾研究」報告原稿、司会・檜山幸夫、コメンテーター:栗原純、2005年10月29−30日、台湾国家図書館、公刊予定)
木畑洋一「現代世界と帝国論」『歴史学研究』776号、2003年)
駒込武「日本の植民地支配と近代−折り重なる暴力」(『トレイシーズ』別冊思想、第二号、2001年)
戴国W・新島淳良「思想方法としての台湾」(『新日本文学』26(11)、6-18頁、1971年11月)
三谷太一郎「まえがき」
(三谷太一郎編『岩波講座 近代日本と植民地8 アジアの冷戦と脱植民地化』岩波書店、1993年)
山室信一「『国民帝国』論の射程」(山本有蔵『帝国の研究−原理』・類型・関係−』名古屋大学出版会、2003年)
若林正丈「戦後日本と脱植民地化−研究展開のため序説(初稿)」
(「日華外交史・日台関係史研究フォーラム」、2005年1月29−30日、報告レジュメ)
Raymond
F. Betts, Decolonization (2nd
ed.), Routledge, 2004.
Muriel
E. Chamberlain, Decolonization(2nd
ed.) Blackwell Publishers,
Prasenjit Duara, Perspectives from Now
and Then (Rewriting Histories), Routledge , 2004.
John Keay. Last Post: The End Of Empire In The Far
East. John Murray ,1997.
[1] この問題関心は、2005年1月30日に北海道大学で開催された、「日華外交史・日台関係史研究フォーラム」(報告集は近々刊行予定)における、若林正丈の報告「戦後日本と脱植民地化−研究展開のため序説(初稿)」から数多くの示唆を受けている。
[2]脱帝国化・脱植民地化の代表的な「教科書」としては、 Raymond F. Betts, Decolonization (2nd ed.), Routledge,
2004. Muriel E.Chamberlain, Decolonization(2nd ed.) Blackwell
Publishers, Oxford,1999)などがある。個別研究を見れば、第一次世界大戦以後のイギリス帝国を扱う研究など、枚挙に暇がないほどの成果がある。東アジアについてはイギリスに関する、John Keay. Last
Post: The End Of Empire In The Far East. John Murray ,1997.や、ヴェトナムを扱ったPrasenjit Duara Perspectives from Now
and Then (Rewriting Histories), Routledge , 2004.などがあるが、日本帝国に関するものは欧文でも多くない。
[3] 若林によれば、この定義は、駒込武による「脱帝国主義化」という概念にもとづく造語とのことである。駒込武「日本の植民地支配と近代−折り重なる暴力」(『トレイシーズ』別冊思想、第二号、2001年)
[4] 台湾での川島の報告に対して、栗原純からきわめて貴重、かつ示唆的なコメントを賜った。特に195-70年代の日本の台湾史研究のありかた、70年代の台湾史研究の動きなどについて、これまで知られていない動向などが紹介された。この点については別途紹介したい。