「台灣的日本研究之回顧與展望」國際研討會 時間:93年5月28日(週五)
地點:中央研究院民族所舊館三樓第一會議室
主辦單位:中央研究院蔡元培人文社會科學研究中心亞太區域研究專題中心
「從日本看台灣的日本研究」
川島 真 KAWASHIMA,Shin, Ph.D.
(Associate Prof., School of Law, Hokkaido University)
shin@juris.hokudai.ac.jp
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contents 1.なぜ台湾の日本研究をめぐる議論が必要なのか 2.世界の日本研究 3.台湾の日本研究 4.台湾における日本研究の課題 5.日台文化交流の可能性 |
1.なぜ台湾の日本研究をめぐる議論が必要なのか
なぜ「台湾の日本研究」というテーマが注目され、回顧し、展望することが求められているのであろうか。これまで、台湾の日本研究は、さまざまな形で論じられてきている[1]。だが、昨今あらためて日本を論じる必要性が強調されるのには、台湾社会の変化がその背景にあるからであろう。ひとつには、台湾において世界全体に対する関心が急速に高まり、外国に対する見直しが進んでいること、また国際政治の変動の中で日本との関係が見直されてきていることがあろう。これらは一般的な背景として重要と思われる。他方、日台関係それじたいを見ても、隣国であり、経済・観光・文化的な関係が緊密な日本への関心が台湾で改めて高まっていること、またこれまで日台関係を担ってきた、いわゆる「日本語人」が高年齢化したこと、などがあろう。他方、日本においても、台湾への関心が急速に高まりっている[2]。こうした意味では、現在のところ「日台関係の見直しおよび再構築」の時期にさしかかっていると理解できる。
日台関係全体を見渡したとき、外交的な交流については制限が加えられているものの、経済・文化の各方面における交流は、昨今急速に活発化してきている。また学術界の交流も、10年以前に比べれば隔世の感があり、大学間の交流も国立大学法人含め進展している。こうした意味では、日本の台湾研究ともども、台湾の日本研究を改めて考える時期に来ているものと思われる。
2.世界の日本研究
まず、台湾の日本研究の定位を考えてみたい。
世界の日本研究を見た場合、一般的にアジアの日本研究、日本語研究には以下のような判断が下されがちである。それは、欧州の日本研究はルイス・フロイス以来の500年の伝統があり、きわめて水準が高く、『源氏物語』研究などの深まりを見せているのに対して、主に戦後独立したアジア諸国などでは日本の近代化や日本的経営などの実践的な内容が対象と成っており、他方日本語についても『日葡辞書』以来の高度な伝統をもつ欧州と、日本語の実践的応用に重点を置くアジアという構図ができあがっている[3]。そして、日本における日本研究(歴史学、文学など)でもまた、欧米の日本研究は頻繁に邦訳され、国内の研究に強い刺激を与えるようになってきている[4]。
そして同時に、一般に日本研究の歴史がうすい地域では、研究者の層が薄く、また研究が文学や民話などに限定されがちになり、高度な社会科学訓練を受けた日本研究者が育ちにくいので、ほかの社会科学者の中で日本研究者が市民権を得ることが困難という指摘もなされる。そしてこうした状況を打破するための方法として、日本語はできずとも社会科学の訓練を受け、欧米の日本研究の成果をフォローできる研究者に支援をおこなうことなどが議論されがちである[5]。こうした議論は台湾にも適用されがちである。
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【図1 海外の日本研究者・機関数(台湾は含まれていない)】[6]
欧米優位が指摘されるのは、「歴史」や蓄積だけではなく、その研究者数および機関数にもよるのかもしれない。図1は、単純に研究者数や機関数を示したものだが、欧米優位は一目瞭然であり、世界の日本研究が欧米を軸としているという印象のひとつの根拠と成っている。
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【図2 世界の日本研究(分野別。台湾は含まれていない)】[7]
次ぎに分野別に状況を見れば、実のところ確かに欧米のほうが社会科学、語学文学などが多くなく、人文科学への傾斜が見られる。そしてそれは、語学文学が次第に縮小していくことも示しているようである。一般的に、欧州の日本研究のありかたが「成熟」していると見られているようであり、中国のように語学文学が突出していたり、韓国のように社会科学が多いことは、「実践志向」と受け取られるようである。
3.台湾の日本研究
台湾の日本研究は、外交面での国交がないために、外務省の外郭団体である国際交流基金の調査対象からはずれ、その日本研究は「世界の日本研究」のデータにも含まれていない。だが、交流協会が台湾との交流を担当し、そこで日本語や日本研究に関する調査をおこなっている。筆者も2001年度に交流協会からの委託を受け、「台湾における日本研究」について調査し、『台湾における日本研究』(交流協会、2002年)を公刊した。
この調査でおもにおこなったことは、特に日本研究(修士論文、博士論文、そして雑誌論文および一部単行本)に関する目録化であった。目録作成に際して、台湾の日本研究における中心的存在である日本語学・日本語教育学については、対象としなかった。それは、台湾に派遣されている交流協会の日本語専門家などにより、この方面のサーベイが頻繁になされるであろうことを予測してのことであり、またあるいは筆者自身の専門および作業工程の問題でもあった。
この調査の結果、台湾では1970年代に従来は政治外交に限定されていたジャンルが多様化しはじめ、80年代には全面展開し、分量的には80年代後半から90年代に飛躍するということが感得できた。こうした状況は、まず内容面では(果たして台湾における日本語学・日本語教育学がどの程度のシェアを前提で占めているかわからないのだが)、韓国と中国の間くらいの構造、すなわち「大洋州」型か、あるいは中国に近い構造をもっているのではないかと感じる。分量的な増加は韓国や中国と軌を一にするものであろう。
台湾における日本研究の特徴は、世界の日本研究の中から見れば、おそらくは「実践重視」であり、語学・文学を中心にした「アジア型」ということになろう。これは同時に社会科学の分野で市民権を得ることに難渋し、なかなか世界の日本研究全体、あるいは国内の知的枠組みにインパクトを与えきれないというアジア共通の課題を抱える構造だということもできる。台湾には10数万人の日本語学習者がおり、また80年代後半以降、日本を知ろうとする方向性も強いのだが、それは「実践的」な需要によるものであり、アカデミックな関心にはなかなか結びつかない、あるいは社会科学的に成熟しないのではないかという予測が一般的になりたつことになる。
このような予想は、当然、ヨーロッパの日本研究を成熟したものとして捉える視線においては当然沸いてくるものであろう。
《戦後台湾における日本研究 修士論文・博士論文数》
(年数は1956年から五年毎。1=1956−1960、2=1961−65、3=1966−70、4=1971−1975、5=1976−80・・・を示す。10は2001年のみを示す。棒はそれぞれ分野を示す。系列1から政治外交、2=経済経営、3=社会、4=文化、5=人文社会、6=理系)。
4.台湾における日本研究の課題
それではアジアの日本研究は、やはり欧米の日本研究に対して未成熟なのだろうか?それとも「アジア型」として日本研究が習熟していくのだろうか。これについて筆者は、たとえば日本の中国研究や台湾研究について、欧米のそれと異なるコンテキストを有するように、台湾をふくめアジアの日本研究には欧州とは異なる前提条件があるように思われる。それは、単なる距離感とか、ありは漢字を使用しているとか、文化的に近いとかいうことではなくて、政治的、あるいは歴史的に問題となる点である。それは第一に、台湾それじたいがかつて51年間にわたり日本に植民地として統治されていたことである。第二に、中華民国が、その日本との戦争、抗日を大きな正当性の根源としてきたいことである。この二点は、複雑に絡み、ポジティブにも、ネガティブにも見える現象を生み出しているように思える[8]。このような背景からして、単純に欧米型を成熟と見なして行くことには無理があるように感じる。
筆者が北京日本学研究センターで副主任をしていた当時(2000年)、また同センターの新施設検討委員会、また第三次五ヶ年計画評価委員会委員であたっとき(2001−2004年)、そのときのひとつの柱が「中国における日本学」ということであった。これは、日本から、日本の大家と言われる専門家が派遣されても、結局のところ日本での「日本文学」などのディシプリン、トレーニング方法、価値観をそのまま持ち込み、そして学生らとかみ合わないなどといった経験を重ねる中で出てきた概念であり、中国に特徴的で、日本における日本研究とは異なる「何か」を模索しようとするものであった。そして、欧米のJapanology あるいはJapan Studiesとも違うものとして意識された。無論、これは到達困難な課題であって、実現できるものではなかったが、日本のスタイルをそのまま持ち込んだりするものではないという意識には結びついたように思われる。「台湾における日本研究」は果たしてどのようなものであろうか。
また、これも北京で北京大学現代日本コースの講師を担当していたときのことであるが(2000年4月)、 「日本を学ぶ意味」が盛んに問われていた。すなわち、かつては日本の経済発展、近代化こそ、学ぶべき対象であったが、日本の経済発展が失速し、そして中国がこれほど経済発展してくると、日本を学ぶ意味があらためて問われてしまうということであった。これはまさに「実践型日本研究、日本語学習」と捉えられるアジアの日本研究に特有の問題かもしれない。しかし、日本自身、経済大国、あるいは文明国家といった戦後以来の自らのアイデンティティに揺らぎが生じる中で、この問題を解決することは相当難しい。「台湾において日本を研究すること、日本語を学ぶこと」にも同様の問題があるのであろうか。
そして、中国において問題となっていることには、語学から社会科学への転換、そして修士から博士への転換ということがあった。北京日本学研究センターには、言語・文学・社会・文化の修士コースがあるが、結局、博士課程となると「博士指導教官」の資格の問題もあって、言語が中心となってしまう。言語以外を研究していた修士の学生たちは、修士課程を終えると日本語教師になったり、あるいは社会に就職口を見つけたりしている。筆者が、『台湾における日本研究』において示したように、台湾では、修士論文数が急増しても、なかなか博士論文が出てこない。すなわち日本研究で博士号を取得する者がほとんど出てこない、あるいは修士から博士、そして研究者に至るキャリア形成をおこなう場が十分に形成されていないということを示している(日本語学、日本語教育学については、東呉大学が担うことであろう)。博士学位は、社会科学系から地道に少しずつ輩出されている。「日本研究」は修士学位を多く輩出する日文系、そして細々と博士を輩出する社会科学系に分かれているのであろう。
中国の場合、こうしたキャリア形成の弊害を、日本への留学で補っている部分がある。だが、博士から留学しても十分なトレーニングが受けられないまま、純粋な日本研究ではなく、日中関係などに置きかえられる傾向がある。だが、そうであるにしても、頻繁な学術交流、学生の往来などによって少しずつ状況が変化しているように感じられる。台湾の日本研究についても、日本との戦略的、また建設的な交流はポジティブな要因になる側面があるように感じられる。
5.日台文化交流の可能性
文化交流は安全保障の手段のひとつとされるほど、昨今それへの注目が集まっている。日本国内でも、海外の対日世論に影響を与えうるものとして重視されている。そして次第にノウハウも議論され始めており、特に「社会科学において十分な日本研究が展開できない途上国」では、日本語や日本研究者よりも、日本語ができなくても、欧米の日本研究を参照しうる社会科学者を招くべきだとする見解がある。昨今、日中間では「日中新思考」が話題に成っているが、これもまた日本が中国のアメリカ研究者を盛んに招聘した成果だとする向きもある。
では、台湾と日本の交流はどのような可能性があるのであろう。一般的に、文化交流は利権化してはならないが、かといって砂漠に水をまくようなことをしても効果が期待できない。そうした意味で、可視的で効果的なものが求められるのだが、この局面で重要となるのが、インフラ整備と人材育成である。そして、これらについては、一定程度の多様性を担保するための制度と、「累積効果」を産むための拠点形成が求められるのが通常である。これまで、日本は交流協会を通じて、留学生支援、日本語教育支援、専門家支援などを展開してきた。そして、日台交流センターの歴史研究者交流フェローはインフラ整備と人材交流の面で従来見られなかったほどの大きな成果をあげた。
だが、「台湾における日本研究」、「キャリア形成」、「日本を研究する意義」といった側面についてはどうであろう[9]。また、拠点形成という点はどうであろうか。このあたりについては、奨学金制度を2年から容易に延長できるようにすること、留学に際して日本研究枠を設けること、またあるいは台湾に専門家を派遣する拠点を形成することなどが考えられる。その際には、日本語学習者が多く集まる日語系、日本研究所を中心としつつも、他方で博士学位を出している社会科学系や自然科学にも十分に配慮していくことが求められよう。
最後になるが、日本研究のためのインフラ整備として「台湾における日本学 学習・研究・情報リソース」などといったプロジェクトが立ち上げられ、そこに日本側が支援するといったことを提案したい。ここで教育ツールだけでなく、文献検索、研究目録、そして留学情報などがウェブ上で得られるようにしてはどうであろう。そして、交流協会がトヨタ財団のように、大学関係者などからなるプログラム・オフィサーを有機的に組織し、台湾側の拠点と連絡しながら、基盤整備を進めることも重要と考える。(了)
[1] これまで台湾における日本研究の状況をまとめたものとしては、(1)蔡茂豊『台湾日本語教育の史的研究(上・下)』(大新書局、2003年)、(2)徐興慶「現代の台湾における日本研究」(『天理大学学報』第190輯、1999年2月)、(3)徐興慶『我国的日本研究現況及其未来展望―兼談中国大陸及韓国之日本研究現況』〔中央研究院東北亜区域研究演講系列2〕(中央研究院東北亜区域研究・台北、2000年7月)などがあり、日本語教育の概況をまとめたものに、(4)財団法人・交流協会『台湾における日本語教育事情調査・報告書』(改訂版)(財団法人交流協会、1998年)、(5)拙稿「日本政府の対東アジア文化交流政策の現状と課題−『北京日本学研究センター』を事例 として」(徐興慶主編『第一届 日本研究・台日関係・日語教育 国際学術研討会論文集』(中国文化大学日本語文学系・日本研究所、2000年所収、P.47-61)、(6)拙稿「戦後台湾における日本研究動向と中国の比較に関する一考察」(政治大学外国語文学院日本語文学系『「大学日文教育與社会結合度」国際研討会』(大新書局、2002年)、(7)拙稿「台湾の日本研究」(『アジア遊学』48号、2003年、P.164-169)参照。また口頭報告であるが黄智慧が昨今この分野に関する研究報告を公にしている。なお、台湾における日本語教育については、国際交流基金のホームページに文献目録が掲載されている。http://www.jpf.go.jp/j/urawa/index.html また谷口龍子『台湾における日本語教育事情調査 報告書(1999)』(改訂版)(財団法人交流協会、2001)がある。
[2] 日本における台湾への関心の高まりには、Post Colonialな議論や地域研究としての台湾研究、またあるいは政治学や経済学などの社会科学における学術的な関心の高まりということ、また反中感情の高まりにともなう想定的なし「親台論」の進展の双方があろう。拙稿「方法としての台湾」(東アジア文史哲ネットワーク編『小林よしのり「台湾論」を超えて−台湾への新しい視座−』作品社、2001年、P.42‐54)。
[3] 「国際交流基金が関わる日本研究支援のあり方に関する提言 世界の日本研究とのかかわりを求めて」 http://www.jpf.go.jp/j/intel_j/topics/proposal/pdf/proposal.pdf このレポートは国際交流基金が石井米雄・神田外大学長らに委託して平成14−15年度にかけてまとめたもの。ここには16世紀以前の日本に関する記述の殆どを中国や韓国などのアジア諸国の漢文史料に依存していることが記されていない。
[4] それに対してアジアの日本研究が日本の学界にインパクトを与えることは決して多くない。上記の提言においても、厳安生『日本留学精神史』(岩波書店、1991年)など、二点が挙げられるだけである。こうした中で、黄自進『吉野作造對近代中國的認識與評價 1906-1932』(中央研究院近代史研究所、1995年)、同『北一輝的革命情結 : 在中日兩國從事革命的歴程』(中央研究院近代史研究所、2001年)日本の学界でも話題となるアジアの日本研究が増加しつつある。他方、張源妹『源氏物語の救済』(風間書房、2000年)などのように、留学生として訪日し日本で日本研究の研究成果を公刊するケースも出始めている。
[5] 同上提言書参照。
[6] http://www.jpf.go.jp/j/intel_j/topics/proposal/pdf/attach.pdf に示された国際交流基金作成の数値をもとに筆者が作成。
[8] Post Colonialな領域では、旧宗主国から旧植民地への視点を主に問題とするが、旧植民地における旧宗主国の研究がどのような視線を持ちうるのか議論が待たれる。
[9] 台湾と日本の交流を考える場合、台湾側から日本への文化交流政策も重要である。たとえば、教育部奨学金が昨年から短期留学生(大学間交流などに基いた交換留学生)を対象外としたことは、日本側からすれば大きな痛手である。