国際政治学会2003

分科会名:日本外交史U

 

日露戦争と中国外交

 

川島真(北海道大学)

 

  中国の近代史、外交史において、「日露戦争」は忘れられた事象になっている。確かに、日露戦争における勝利が、専制(ロシア)に対する立憲君主制(日本)の勝利として認識され、中国における立憲運動、ひいては辛亥革命へとつながり、あるいは戦後に大量の留学生が日本を訪れ、彼らが民国期に各方面で活躍するなどの影響が知られているが、中国を戦場とした「日露戦争それじたい」と中国の関わりということになると実際には先行研究が多くない。無論、ロシアの南下に対する抵抗運動としての「拒俄運動」研究や、日露戦争にともなう「中国」ナショナリズムの形成という面については研究があるのだが、これらはあくまでも戦争の背景や影響を論じたものと成っている。このように研究が手薄となった背景には、日露戦争それじたいが、「革命史」・「近代化論」・「ナショナリズム」という中国近代史の主要文脈に対応させにくいものであるということがあろう。「侵略と抵抗」という「革命史」の看板的モチーフを以ってしても、扱いきれないためであろう。

  日露戦争を中国の視点から捉えるとき、上記のような中国史全体の中にいかに位置付けるかという問題のほか、より実証的な問題として、(1)袁世凱や張之洞、あるいは岑春◆(火宣)のらの政治的な対応、および清朝自身の対戦争政策決定、(2)外務部としての対応(狭義の「外交」における対応)および戦後処理、(3)戦地となった地域の状況、(4)当時の戦争をめぐる言論、文化表象、ボイコット運動など、(5)戦争の意義づけ、政治思想史的意味、(6)経済的な問題などの課題が山積している。本報告では、これらの全てを扱うことは当然できないが、特に(2)にあたる中国側の対日露戦争外交を考察すべく、外務部を中心とした外交当局の対応を跡付ける。史料的には、遼寧省档案館の公刊史料、そのほか中国や台湾の外交档案を用いる。

  周知の通り、日露戦争に際して、清朝は「中立」の立場を採った。この「中立」については、さまざまな見方があり、実質的に日本よりであったという指摘もあれば、一部にはロシアとの関係を示唆するものある。外交部にとって、確かに自国土に於いて他国同士の戦争をおこなわさせることには抵抗があったものの、戦後のロシア利権回収への期待があったし(これが日本に味方することを意味するわけではない)、国際法上の「中立」を実行し得るという能力を国際社会に示すことも考えられた。他方、日露戦争の最中、清は1899年のハーグ平和会議での諸条約を批准、またロシアの仲介もあって1907年のハーグ平和会議への参加権を得るなどしていた。

  こうした点を整理することで、清朝の日露戦争との関わりをまとめ、今後の研究の基礎としていきたい。(了)