東アジア国際政治史分科会

  • 2005年11月20日

岡本隆司「清末の在外公館と出使日記」は、清末の外交史研究における在外公館の位置づけが見直される中で、出使大臣(在外公使)の残した出使日記を改めて検討する必要があるとし、その旅行記、執務日記、報告書などを兼ね備えた性格(士大夫が通常つける日記と異なる)、またその出版のあり方、さらには出使大臣の性格をめぐる外国語史料を紹介した上で、戊戌変法以降に出使日記が急速に減少することなどへの疑問を投げかけた。箱田恵子「薛福成の滇緬界務交渉」は、薛の中国・ビルマ国境をめぐる交渉(「中英続議滇緬界務商務条約」1894年)に関する従来の研究が基本的に「失地か拓地か」という評価に基づいており、外交家としての薛の活動の背景にある思想などには分析が及んでいなかったとし、特にその「野人山地」を「無主の地」として分割要求する姿勢などから、薛の国際法受容のありかたを反映したものとして位置づけた。コメンテーターの川島真からは主に岡本に、出使日記の減少する外務部時期への見通し、また1880年代に中国で急増する世界地理書との関係について、また片岡一忠からは主に箱田に対して、中国の駐英公使館に勤務し、後にパミールにも派遣されたマカートニーと中国の公使たちとの関係、そしてパミール問題とビルマ問題との相関性、また交渉における李鴻章の位置づけなどについて質問がなされた。またフロアからも在外公使としての出使大臣の制度や日記の性格などについて質問がなされ、活発な討論がかわされた。(川島真)

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