第七回中国近代外交史研究会参加記録

  • 2006年12月23日

日時 12月23日(土) 10:00-12:30
場所 東京大学駒場キャンパス二号館 308号室
参加者 16名(岡本、本野、茂木、中村、箱田、谷渕、小林、早丸、根無、倉嶋、阿部、金、李、小野、孫、川島)

1.研究報告

 早丸一真(東京大学大学院総合文化研究科修士課程)
  「出使欽差大臣の洋務-郭嵩燾と曾紀澤-」
 谷渕茂樹(広島大学大学院文学研究科博士課程後期)
  「日清戦争講和にいたる清朝対日外交」

早 丸報告は、初期の出使大臣に関するケーススタディを郭嵩燾と曾紀澤でおこなったというもの。材料としては出使前の召見の内容を使用し、両名が出使欽差大臣 という役職そのものを洋務と位置づけていたこと、出使大臣の位置づけは当初から明確に定まっていたわけではなく、この両名の時期からし第二定まっていった ことなどを指摘した。議論は多岐にわたった。まずなぜ召見史料を用いたのかのかということ。召見以外の史料も多いのに、郭の『日記』の召見部分に検討を限 定するのはなぜか。召見については、果たして召見という場で考えていることが表現できたのか、「艱苦」と表現される出使も、他の仕事でも同様の表現がなさ れている可能性があるのではないか、という問いも提起された。また洋務とはそもそも何かという問いには賛成できるものの、それを検討するのに出使大臣だけ でいいのかということも提起された。そして、洋務に関する議論に就いて見る場合、それに反対する人の議論も無視できないということ。さらに、この二名の事 例を一般化しすぎで、張蔭桓などの事例もあるのではないかという見解も提起された。

谷渕報告は、先行研究をしっかり踏まえながら、清朝の 意思決定の背景や経緯をトレースしたもの。今後の課題を挙げつつ、日本の大連・旅順占領が清を講和へと転換させたこと、デトリングなどの先行派遣に関する 清側の意図などを明らかにした点がオリジナリティと思われる。大連・旅順の意義については、大連・旅順に先行する成歓の戦いや黄海海戦に対する清の認識が 明らかになればいっそう明確にになるであろうという意見が出された。また、日本が戦争に際して、北京に攻め込んで決定的勝利を得ることを躊躇った背景に、 参謀本部における普仏戦争に対する認識があったのではないかという問題が提起され、それについては清の崩壊が日本の利益に成るのかという考慮が重要であっ たという回答がなされた。そして、戦時講和を外国にておこなうことま稀であったのかという問いが出され、清は多くの場合国内で交渉したので、下関は例外的 ではないかという回答がなされた。他方、史料に就いて、翁日記の有用性やイギリスなどの史料を利用する可能性も指摘された。

2.事務連絡
 (1)論文集について
 (2)次年度の研究会の予定(三回開催予定)

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