北大政治研究会にて拙著書評会が開催されました。

  • 2004年07月25日

25.Jun.2004
於 北海道大学 人文社会科学総合教育研究棟 W301講義室

北大政治研究会6月定例研究会

「川島真著『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、2004年)をめぐって」

報 告: 古矢 旬 氏 (北大大学院法学研究科教授)
      松浦 正孝 氏 (北大大学院法学研究科教授)
      遠藤 乾 氏 (北大大学院法学研究科助教授) 

2004年6月25日、北海道大学において、北大法学研究科政治研究会6月定例研究会が、川島先生の近著『中国近代外交の形成』をめぐる合評会として開催され、数多くの参加者が集まり、活発かつ有意義な議論が展開された。

(1)古矢報告
 最初に、アメリカ政治外交史を専門とする古矢旬先生の報告が行なわれ、はじめにこの著書に対する全体的な評価として、ストーリー・物語を拒否した歴史記述であり、従来の西洋・日本から見た視点の脱構築、歴史の再解釈に成功したものであるとの高い評価が与えられた。次に、アメリカからみた辛亥革命前後の中国について、バーバラ・W・タックマン『失敗したアメリカの中国政策』を例として、アメリカにおいても、中国は分裂していて外国から侵略を受けているというイメージや、ナショナリズムを重視するという視点が存在していることが示された。
また、本書の課題とアプローチを検討した中で、本書において運動や革命と切り離された領域としての「外交」の自律性が強調され、また中央政府のみが外交を行なうという国民国家を基礎とした枠組みからも切り離され、外交により国家の枠組みが維持された、すなわち外交によって「想像の共同体」としての中華民国が維持されたことが示されたことは、新しい外交観につながるものではないかとの評価がなされた。また、職業外交官の誕生については、中国とは事情が異なるが、アメリカにおいても19世紀までは正式な外交官制度がなかったことが指摘された。そして、従来は西洋の基準による国民国家化ととらえられていたこの時期の歴史が、档案を広く用いた問題の「同時代化」によって、かつての西洋的進歩史観が克服されたと評価された。この同時代史的な視点や同じ論題へ視角を変えて繰り返し言及するアプローチなどが、徹底した歴史性として高い評価を受けた。
 おわりに、ナショナリズムと外交の関連、ナショナリズムなどが「近代世界」の焦点となって以降の中国外交の様態とそれへの民国初期外交の影響、今後脱構築された中国外交論を同時代性を重視した中国的観点から再構築するための戦略、などについて質問が提起された。

(2)松浦報告
 次に、近現代日本政治史を専門とする松浦正孝先生の報告が行なわれ、まず史料について、「秘峰征服型」という位置づけがなされ、中国の外交档案という従来あまり使用されていなかった豊かな史料の山脈を調査し、日本の学界に紹介するという基礎的かつ重要な作業を行なったことが改めて高く評価された。ここで、本書において、外交文書によるバイアスがかかる恐れについて、北京政府外交档案群全体を見通すことによってその問題を回避したいと述べられているが(69頁)、それは具体的にはどういうことか、という質問が出された。
 また、民国前期の外交は、一方で多重心的・重層的でありながら、華僑保護の問題などを契機として、日本をモデルとして外交の一元化・中央集権化を進めていく過程であるととらえられるが、日本も、対馬・琉球の外交権を回収していく中で外交の中央集権化を進めたが、後に総督府、拓務省、興亜院、大東亜省が設立されるなど、中国とは逆に外交権の分裂が進んでいったことが指摘された。またここでは、本書において外交における伝統的な側面の継続を強調することに慎重な理由が質問された。
 そして、分裂した中国という創出されたイメージがすでに戦前期の日本に定着し、日本の汎アジア主義の中国イメージの原型になっていったことが指摘された。また、本書で示されているように中国は日本ではなく英米依存へと傾斜していったが(546頁)、これが後の日本による蒋介石の対英連携への批判、英国と中華民国との提携による排日を膺懲するという「東亜新秩序」の議論につながっていくことも指摘された。
 なお、本書に触発されて考察したこととして、「帝国」のモデルについて述べられ、通商と外交を分離し、華僑を送り出す「吐き出す帝国」としての中国、移民を受け入れる「吸い込む帝国」としてのアメリカ、その中間の対抗型として各国と衝突する閉じた島国日本、華僑・インド商人などに依存した「寄生する帝国」としてのイギリスというモデルが示された。そして、中華帝国モデルと大英帝国モデルに対抗するモデルとして、劣等感ナショナリズムに規定された「第三帝国」としての日本、大東亜共栄圏が立ち現れたのではないかとした。つまり、日中対立はナショナリズム対立であったのではなく、日本と「中華帝国」との衝突であったと言えるのではないかという指摘がなされた。ここでは、中華民国前期を知ることにより、その後の歴史もわかるのではないかということが強調された。
 質問としては、中国研究者には自明であろうが、専門的な中国史の用語の説明及び中国国内の状況説明がやや不足していたのではないか、孫文などの歴史的人物の顔があまり見えないのはなぜか、第四部第3、4、5章は本書の文脈とは少し異なるのではないかなどの質問が出された。

(3)遠藤報告
 最後に、欧州統合・国際政治を専門とする遠藤乾先生の報告が行なわれ、分厚い実証によって歴史のなかの外交を描き出し、近代・外交・主権・国際社会といった概念に対する含意に富む著作であるとやはり高い評価がなされた。また、民国前期の中国を取り上げる意味について、民国前期は国際政治・国際社会が中国に浸透していく重要な時期だったのではないかと指摘された。
 次に、「主権」の意味内容について、「宗主vs.主権」という二分法をとった理由について質問がなされた。つまり、いわゆる「主権国家システム」の中にも大国・小国というハイアラーキーな(宗主的な)関係が元々含まれるのではないか、という提起がなされ、「主権国家システム」の定義について質問が出された。また、中央―地方関係と外交の分散ないし文節化についても、「中国」を維持しようという力が働く中で、いわゆるナショナリズムではないがNation意識といったものは既に存在していたのではないか、そうだとしたらそれはいかなる役割を果たしていたのか、という質問が提起された。
 そして、国際社会の役割について、国際社会の側にも、中国に主権(体)を求めモザイク状態を嫌うという傾向があり、すなわち、国際社会の側にも「中国」という一つのまとまった枠組を維持したいという傾向があり、必ずしも北京政府が「中国」を維持したとはいえないのではないかという疑問が提出された。
 また、現代への含意の問題について、「伝統」的な連続性の語り口が極めて慎重な理由がここでも質問された。また、非連続的な一面として、現代の党組織と外交との関係について質問がなされた。

<川島コメント>
 続いて、三者の報告に対して、川島先生によるコメントが行なわれた。まず、ナショナリズムについて、ナショナリズムが「近代世界」の焦点となって以降の中国外交は、表面上はナショナリズムを利用しそれを強調しながらも、実際の外交のやり方は民国期に近いことが指摘された。外交史の再構築については、本書は一つの過程であり、まず行なうべき前提作業として従来のディスコースを批判したものであり、これで終わりではなく、今後の課題であるとした。
 次に、外交文書によるバイアスがかかる恐れについては、全ての档案を網羅的に見ることによって、ある程度史料を相対化できるのではないかと考えているとした。外交における伝統的な側面を強調することに慎重な理由については、中華思想などの伝統を過度に強調する従来の決めつけ的な観点を否定するためにあえてそうしたことが述べられた。実際、対シャム・朝鮮外交にやや特殊な関係は見られるが、それが即伝統の継続、中華思想の表われとはならないことが指摘され、「伝統」というものも創られたものである側面があることに留意する必要があることが強調された。また、専門的な中国史の用語及び中国国内の状況の説明不足についてはその通りであるが、孫文などの人物の顔が見えないのは故意にそうしたためであって、つまり、従来のアプローチとは異なる視点を用いたことを強調するためであると述べられた。第四部第3、4、5章については、統一と分裂の実態を知るために必要であり、第5章に関しては、北京政府の外交が次第に崩壊していく様子を記述するため、最後のまとめとして必要であると考えていると述べられた。
 それから、「宗主vs.主権」という二分法をとった理由については、現在において国家間関係の役割が次第に限定されていくなかで、改めて国家間関係を問い直す必要があるのではないかと考え、この問題を考察したとし、主権国家システムの定義については、当時の中国は、例えばチベットやモンゴルには宗主権を主張するが、シャムに対しては必ずしもそうではないなど、主権と宗主の再解釈を行なっていた時期ではないかと考えるとした。
Nation意識については、もちろん存在しており、中国の領域、国民としての中国人などが確定されていくのが1910~20年代であると考えると述べられた。国際社会の役割に関してはもちろんあるが、一方で北京政府の外交を支えた欧米留学の外交官などの役割も無視できないと指摘された。また、現代の党組織と外交との関係については、党と外交部という二つの組織が存在し政策決定過程は北京政府期と異なるが、主権論を強調するなど外交のスタイルはある程度継続されていると考えるとした。

<質疑応答>
 続いて、フロアからの質疑応答が行なわれ、まず、博士課程の田代文幸氏から、日本側の文書を見ると、五四運動はやはりヴェルサイユ条約調印問題に影響したのではないか、という質問が出されたのに対して、政策決定過程をみればそうではなく、五四運動以前から既に不調印の方針が決められており、また影響はあったであろうが決定的ではなく、むしろ外交官側が民衆の運動を煽っていた側面があったことが指摘された。
 次に、北海学園大学名誉教授の藤岡喜久男氏から、本書によっても民国初期の重要性が明らかになり、本書のような档案を用いた研究と、氏が行なってきたような人物研究などの分野の対話によって今後さらに研究を進展させていくことが今後の課題として指摘された。また、東南互保の時期には、地方外交は臨時のものであり正統なものではないという意識が当事者に存在していたが、辛亥革命以後はその意識がなくなっていくのか、という質問がなされた。これに対しては、民国期は各地方が外交を行なっていたものの、最終的には外交は中央がやるものであるという意識は残っていたのではないかと述べられた。そして、各地方が同じことを言っているように見えたとしても、それは各地方の文脈によって意味が異なる可能性もあるのではないか、との指摘に対しては、それはその通りで、各地方の档案を見る必要があり、今後の検討課題であるとした。
 次に、学術振興会特別研究員の川嶋周一氏から同時代史的文脈の重視について質問がなされ、これは今までそうでなかった歴史観に対する批判であるが、一方それがまた新たなイデオロギーになる恐れがあり、それに対しては慎重であるべきとの指摘がなされた。また、後の時代への影響などを実証的に検証する必要性があるのではないかとの指摘に対しては、全くその通りであるが、史料で語れる部分と語れない部分とを厳格に区別する必要性があることが述べられた。さらに、史料実証主義がはらむ問題に関しては、改めて外交档案を踏まえて歴史を見つめ直す必要性があることが指摘された。総じて、近代史と現代史の相違と共通性を意識した議論が展開された。
 また、明治学院大学の半澤朝彦氏から出された、中国が国際連盟に「過度」とも言える期待を示した(329頁)と、なぜあえて「過度」という用語を使用したのか、という質問に対しては、当時の中国には現場と本国との間にギャップがあり、現場の外交官と異なり、本国は国際連盟において文字通り「公理・公道」が達成されると考えていたためであるとした。

 (北大法学研究科博士課程 柳亮輔 記)

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