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北京滞在雑感(2003.8)

 7月末から8月初旬にかけて史料調査のため北京に滞在した。この間、北京大学や社会科学院の研究者、また日本の大使館員らと話しながら、いくつかの問題について議論してきた。ここでは、そこでの内容を簡単にまとめておきたい。

 胡錦濤体制については、結論として「まだまだつばぜり合い中」という評価が大半である。江沢民と正面で争うことも無く、一つ一つの局面でゲームをしているところだろう。胡側が香港の中国銀行から出た汚職の線から上海閥の地盤を揺らし、江沢民がインドとの外交では正面に出て、その地位を誇張する。胡錦濤らが北戴河会議を中止すれば(会議じたいは北京で開催)、江沢民らが小会議を北戴河で開くといった有様である。政権内部についても、曾慶紅らが江沢民派で、胡錦濤とどうなるのかなどという指摘があるが、このあたりもまだまだ結論が出ているわけではない。

 対日外交についても、こうした状態はそのまま当てはまるだろう。唐・前外交部長と曾慶紅の双方の間で対日外交の「パイ」をめぐる「つばぜり合い」が起きていて、曾の背後には江沢民がいるという話である。ただ、この見方は、曾をバックとする馬・時の両論者がともに「日本に歓迎されやすい」言論をおこなっていることと、依然として日本に厳しい姿勢を見せている江沢民の意向のずれをどのように考えるべきかという課題を突きつけてくる。ちなみに馬氏はすでに香港のテレビ局への異動が決まっている(いまのところは番組のコメンテーターなどとして出ている)。だが、唐に連なる学者たち、特に日本研究者や日本専門家たちがこぞって馬・時の両名を非難することも確かである。これはインターネットでの、「売国奴」的な扱いとは異なる。要するに「馬・時の論文は、米中関係を機軸に考えており、日本を主体的なアクターとは認めておらず、日本がどうするかという視点、日本にたった視点が無い」と謂うのである。それはそうかもしれないし、日本のメディアが過度に馬・時を持ち上げるのはいかがなものかとも思う。だが、90年代以降、アメリカから国際関係や国際政治を学んだ若手が帰国し、彼らが言論界で力をもつ中で、世界的な観点から日中関係を位置付けようとする傾向がうまれたものとして考えれば、「日中二国間関係」を軸とした従来の視点とは異なり新鮮であるし、胡錦濤体制の発足と前後してこうした言論がおきたことは日本側に大きな期待をもたせる面がることは否めない。「日本」という話題も内容も一部の論者から「解放」されたのである。しかし、台湾における「親日的言論」が決して日本をほめているわけではなく、内的な符号操作として結果的に日本を持ち上げる(たとえば日本を攻撃していた国民党を非難するために日本を誉める)ということがあるということも考慮すべきであるし、日本それ自体を相手にしない言論は、日本とは異なる部分の変化に左右されやすいということは考慮しなければならない。台湾の著名な台湾史研究者が2000年にふらりと北京に遊びに来て、友誼賓館にあった拙宅に泊まった際、筆者に対して「日本的現代中国学者都是算命的!」と述べたことがあった。日本の現代中国研究者は、きちんとした取材・資料収集に依拠しているのではなく、まるで占い師のようにああだこうだと謂っているという批判である。これが妥当性を有するかどうかは別にして、経常的な聞き取りや資料収集をおこなうことが、今後一層求められていることは間違いないだろう。

 新幹線も一つの話題であった。だが、新幹線については、基本的に日本側の勇み足的な感が否めない。そもそも、NHKの先走り報道によって、あたかも中国側が日本の新幹線に決めているかのような報道を朱首相の末期に流していながら、中国側が慎重になると文句を言い出すあたり、日本側の自作自演のようでもある。周知のとおり、ネット上で十数万の反対署名が集まるなど、日本側の過熱反応は中国側を逆に刺激しているが、あくまでもこれは外国側の公共事業の話し。公共事業をほとんど外国企業に公開していない日本があまり大声でアピールできないはずである。また、扇大臣の「ヴィジット・ジャパン」キャンペーンのための訪中という名義も、いくつかの意味でマイナスであった。そもそも、このキャンペーンじたいの問題性(何故今頃やるのか、日本側の組織も、人員も、予算も基本的に欧米からの観光客志向でアジア人観光客の受け入れ態勢が整っていない状態でこのようなことをやるのには無理がある、先進国並みの観光客数をという数字あわせが丸見え)があるが、観光交流は文化交流の第一歩であり、やる必要は無いというわけではない。だが、もしやるなら、中国人観光客がいったい何をほしがっているのか、旅行会社のカウンターでどのようなやりとりがあるのかといったことを理解するようなことをしてほしいものだ。北京でも日本人相手の仕事をしている官公庁の出先や旅行会社、航空会社が多い。中国人の嗜好を把握しなければ、先は無いだろう。そうした意味で、扇大臣が長富宮でおこなったパーティに中国のそういった現場の人たちを招聘していたか、疑問の残るところである。

 対日関係全般については、依然として調整中であるにしても、大勢としては国際政治や国際関係の観点から日中関係を捉える向きと、二国間関係として日中関係を見る向きとの間でいささか異なる見解が出てきているということであろう。

 北朝鮮の話については、多くの研究者が難しい問題だとしている。(1)朝鮮戦争前後の枠組みでは対応できないので外交部の幹部を派遣して新たな枠組みを示唆し、(2)朝鮮戦争50周年の儀式には参加しなかった、(3)「古い友人」という北朝鮮の位置づけから無下に見捨てることは困難だが、中華人民共和国はあくまでも国益に則って行動する、(4)アメリカの勢力が長白山の東側まで来ることは中国の安全保障上大きな問題となる、(5)北朝鮮問題をめぐる外交で国際的な地位の向上をアピールしたい、などといったことは大方の一致した見解である。だが、(6)中国が経済的にどこまで抱え込めるのか、ということは未知数である。他方、これは個人的な見方であるが、先のUNESCOの世界遺産をめぐる中国の行動は、周恩来によって棚上げされたはずの中朝国境問題を再燃させる可能性があるものとして重要だと考えている。UNESCOでは、中国の猛烈な反対で、平山郁夫が進めていた高句麗遺跡の登録が棚上げされたのだが、このUNESCO総会で演説をおこなったのが教育部の章・副部長である。筆者は章氏と話したことがあるが、元・蘇州市長で胡錦濤のブレーンといわれるだけあって、頭脳と冷静さ、圧倒的な雰囲気などを備えた人物である。中国が中朝国境にまたがる高句麗遺跡の問題を国際的に提起したことは、むろんこれは北朝鮮側が提起したこととはいえ、棚上げされた国境問題が二国間ではなく国際的な場面で出てきたことからも、中朝が「一枚岩」ではないことを印象付けることになった。
(了)

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