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厦門・鼓琅嶼小遊(2003.1.13)

新年は厦門で過ごした。

厦門は3年ぶりだろうか。前回は外務省の派遣で、中国課の方々と厦門大学を訪問し、台湾問題について議論するという生々しいものだったが、今回は比較的余裕をもっての厦門滞在となった。厦門はアヘン戦争後に開港された中国沿岸部を代表する都市である。現在も海外からの投資が多く、たいへん綺麗な街である。日本からも、ANA、JALともに直行便がある。

厦門には汕頭からバスではいった。4時間近く高速道路を走ったのが、・・・このようなことを書くと多分台湾人に怒られるが・・・景観的には台湾の中南部によく似た風景の中を走っていた。田、果樹(バナナ、マンゴー)、そして園芸用作物など。村は山村。バスは汕頭から厦門で100元程度。高速道路網が整備されるにつれ、高速バスネットが中国を網羅していくのであろう。

厦門市内についてしばらく散歩をしたのだが、店の雰囲気、言葉、いずれをとっても台湾にいるような錯覚におそわれた。それも90年代初頭の台湾のような感じである。道の歩道は例のごとく建物の一部にとりこまれたようになっていて、歩道ががたがた。小吃や果物生ジュース店が点在する。台湾と中国の経済一体化がこのような変化を沿岸部にもたらしているのか。「三通」は実際にはそこまで効果が出ていないから、これはみな香港経由の影響か、などと考えてしまう。しかし、厦門としては「台湾」という資源を上海や北京にわたしたくはない筈である。ここは福州とならんで台湾への窓口であり、また台湾人にとっての大陸への窓口であったのだから。

実は20世紀前半、台湾が日本の統治下におかれていたろ、富裕な台湾商人たちは、厦門に競って洋館を建てた。それも租界にである。その租界が著名な小島、鼓琅嶼(コロンス島)である。汕頭もそうだったが、イギリスという国は開港場の湾口にある小島を拠点にすることが多かった。汕頭でもそうした島にいったが、厦門のコロンスは規模が大きい。実は厦門という都市それじたいも島であるが、コロンスはそれに付属する小島である。

そこには厦門市街から船で行く。決して綺麗とはいえない海。片道二元のフェリーでいけば5分ほどの船旅であるが、行きはモーターボートで行ったので1分で着いた。小金門が見えるかと思ったが、方位が悪く見えなかった。このコロンス島にはいまでも洋館が立ち並ぶ。鼓琅嶼賓館(現在改修中)は風格ある人気のホテルである。この島にある洋館をめぐると、19世紀末から20世紀前半の「植民地建築」に数多く出会える。興味深いのは、台湾人を含む「華僑」の建てた洋館が多いことである。現在の厦門市博物館もまた、台湾人の豪商林家のものである。保存状態がいいかどうかは議論があろうが、それぞれ番号がふされていて、誰のものであったかはわかるようになっている。

また、この島は「ピアノの島」としても知られている。ここは「文明」を中国にもたらす島だったのかもしれない。だが、そのピアノをひ
いたり、聞いたりしたのが誰かということになると難しい。無論西洋人ということもあるが、やはり華僑たちがそうしたものを日常化していた可能性も見逃せない。台湾人も含めて、彼らの多くは「登録民」あるいは「(台湾)籍民」などで、中国人たちとは「身分」が違った。つまり不平等条約を締結している外国の国民の浴している特権を享受できる立場にいたのである。それを証明するように、彼らは富だけでなく、「文明」もまた身にまとっていたことだろう。解放後(厦門が完全に解放されたのは49年ではなく50年-51年と考えられる)、中国は租界の財産を同盟国、枢軸国の如何に関わらず強制収用した(補償はない)。この島の華僑たちも、彼らの財産も中国から追放され、おそらくは上海資本どもども香港に逃げこんだのだろう。いま、その資本がまた厦門に流れ込み、現在の発展をささえているのだろうか。ホテルで食事をすると台湾人のほかに、シンガポールやマレーシアのひとたちが目立つ。(厦門にはフィリピンの総領事館がある。マニラが福建華僑の拠点だからであろうか)

厦門の空港には福建華僑の拠点からの直行便がどんどん着いている。クアラルンプールなどはその代表である。飛行場の管理体制はまだまだ地方空港の域を出ないのだが、次が楽しみになる厦門訪問であった。

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