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南京第二歴史档案館訪問報告

川島 真
(北海道大学大学院法学研究科)

 2000年9月22日~23日、中華民国史研究国際学術討論会参加のため南京を訪問した際、南京第二歴史档案館を利用部主任の馬振犢教授の招きで訪れた[1]。北京日本学研究センター赴任直後より、小生は同館所蔵の日本語図書の整理問題について馬教授から相談を受けていたことによる[2]。筆者にとって同館は、1994年以来頻繁に通っている場所であるが、今回提起されていた日本語図書については閲覧はもちろん、所蔵情報さえも把握していなかった(立命館大学の金丸裕一教授から所在については聞いており、また今後の保存などについても相談をうけていた)。

 南京第二歴史档案館は、現在中国の二大歴史档案館の一つであり(いまひとつは北京にある第一歴史档案館=清代以前の档案所蔵)、中華民国時期(1912~49年)の文書・図書を所蔵している[3]。世界の中国近代史・中華民国史研究者は誰でも同館を訪れ、日本人研究者にも広く利用されている。この第二歴史档案館に日本語の史料群が存在していることは、昨今一部の研究者により紹介されているところであるが[4]、ここの日本語図書については詳細な紹介はなされていない。

 本稿では、まず同館に所蔵されている史料の性格を知る上でも、その組織的変遷と文書・図書の流れについて概観し、次いで訪問時に耳にした日本語図書群に関する説明、次いで大連や天津と比較した場合の意義について北京日本学研究センターの視点で簡単に述べてみたい。

 この中国第二歴史档案館は、1951年2月に誕生した(中国科学院歴史研究所第三所 南京史料整理処)。そこは明代の妃の屋敷と伝えられ、中華民国期には中国国民党党史史料編纂委員会として利用されていた。日中戦争開始後、ここに残されていた文書や図書群は運び出せるものだけ国民党軍とともに西南各地に逃れた(一部は日本軍に接収されたが、その一部は日本に送られた)[5]。日本の敗戦後、西南各地の档案や図書類が南京にふたたび集められた。しかし、国共内戦が勃発すると、今度は台湾に向けて諸文書や図書群が移転されることになった。だが、慌しい状況の中で、あらゆる文書・図書が運び出せたわけではなく、一部は同館にそのまま残されることになった。49年4月に南京が解放されると、南京市軍事管制委員会が同館に残されたものを接収、それが51年2月になって中国科学院歴史研究所第三所南京史料整理処として再スタートをきることになったのである。その後、同処は重慶など国民政府のかつての所在地に残されていた文書・図書群を再統合し、1956年には中華民国期の文書類を同処が管理することが制度化され、文革前の1964年に中国第二歴史档案館となったのである。その後、文革期は業務が一時停頓したが、78年2月に業務体制を再建し、80年代以降、内外の研究者に史料の公開を開始した。

 さて、前掲趙銘忠ほか主編『中国第二歴史档案館指南』を見ると、同館にも約20万冊にのぼる図書・雑誌類があることがうかがえる。これらの多くは『政府公報』などのギャゼット類である。さきに日本語図書のことは所蔵状況さえも把握していなかった旨を記したが、詳細に同書をみれば、「日本在華侵略機構」の図書として満鉄などの図書・公報類が8点紹介されていることに気づく[6]。これは同館が所蔵する日本語図書の一部分ではあるが、外部にその存在は示していたのである。

 筆者の訪問時における馬教授の説明によれば、同館には中国語図書・雑誌のほかに英語・ロシア語、そして日本語の蔵書があり、そのうち日本語蔵書が一万冊と最も多いとのことであった。これらの日本語図書・雑誌の来源は、「汪偽政府(汪兆銘政権)」/中国国民党党史委員会・国史館/新書という三つがある。この一万冊のうち、8000冊が中華民国時期に収集された「民国旧書」である(中国社会科学院の定めた分類方法による手書きカードがある)[7]。また数10冊は未整理本、そのほかが戦後に収集された百科事典類などであるとのことであった。

 これらの図書・雑誌は閲覧者に供されておらず、入り口からみて右手にある倉庫の一室におさめられていた。「参観」した印象では、満鉄調査部の調査記録やパンフレットなどをはじめとして各方面の蔵書がそろえられていた。また背表紙には社会科学院式の図書番号が付されていた。

 だが、大連市図書館や天津市図書館と比べると、蔵書数が1万冊と限定されていることもあるが、中味から見てもやはり見劣りすることは否めない。満鉄の調査記録であれば満鉄調査部の図書を所蔵する大連にかなわないし、またある特徴性からみれば日本人居留民団の蔵書を有している天津にはおよばない。

 北京日本学研究センターで遂行している「中国における日本学 学習・教育・研究リソース」プロジェクトじたいがそうした「史料的価値」にまで踏み込んでおこなうものではないと筆者は認識している。だが、敢えて述べれば、この南京第二歴史档案館の所蔵するコレクションは、日本と戦争をしていた中国国民党が如何なる蔵書を有していたか、ということや汪兆銘政権が如何なる文化政策を展開していたかということを知る上で、十分な価値を有する。そうした意味では、1冊1冊としての価値というよりも、コレクション全体として、歴史学的な価値があるということになろう。

 最後になるが、同館からの具体的な要請内容について触れておきたい。同館は、この日本語図書の整理・保存・ネット化全体について、特に技術面、経費面での協力を日本側に要請してきている。ここの「協力」は些かデリケートである。同館には160名のスタッフがいるが、そのうち図書組は11名、うち実際機能するのが7~8名で、日本語ができる人材一名を擁している。こうしたスタッフを十分に活用するかたちでこの日本語図書の整備を進めることが肝要であり、北京日本学研究センターあるいは日本側がすべてやってしまうということでは、バランスを失することになる。すなわち、これは筆者が同館を訪問した際に「たとえば」として提示した話であるが、まず保存・整理についての経費を支給、他方で入力用のパソコンを供与する。そののち、本センターに人員を派遣していただいてNII基準の整理方法理解や入力のための研修を実施、また同館での入力作業に際にしても本センターからサポーターを随時派遣したりする。一万冊を3年程度で公開できるようにし、閲覧室用にコンピュータ1台を供与して、この事業が北京日本学研究センター事業でおこなわれたことを明示のうえ、図書・雑誌類を原則全面公開、複写も可能とする。

 このような線で馬教授と話をしていた。仮定の話ではあるが、同館の期待とある意味での原則論が含まれているように感じている。

中国第二歴史档案館
南京市中山路309号(〒210016)、電話025‐449―9719、ファックス025‐405-122。

(了)

[1] 档案および档案館については、拙稿「档案館」(天児慧ほか編『岩波 現代中国事典』岩波書店、1999年、P.926)参照。
[2] 本件については、既に立命館大学国際関係学部の金丸裕一助教授より聞き及んでいた(同氏は相談されるも、具体的な対策をとることができなかった)。
[3] 施宣岑ほか主編『中国第二歴史档案館 簡明指南』(档案出版社、1987年)、趙銘忠ほか主編『中国第二歴史档案館指南』(档案出版社、1994年)参照。なお、同館の機関誌として『民国档案』がある。
[4] 金丸裕一「中国第二歴史档案館所蔵の日本語史料をめぐって-「華中水電株式会社」文書を中心に-」(『近きに在りて-近現代中国をめぐる討論のひろば-』31号、1997年5月)参照。但し、日本語図書については言及していない。
[5] 松本剛『略奪した文化-戦争と図書-』(岩波書店、1993年)参照。
[6] 前掲趙銘忠ほか主編『中国第二歴史档案館指南』(p.798)参照。
[7] 南京市図書館(旧中央図書館)にも「民国旧書」が所蔵されている。

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