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9月27日(火)

早朝、国家図書館分館に向かう。外交孤本について調べ、購入するのと、国家図書館分館の所蔵史料について理解するためである。まず、外交孤本には「続編」が出ており、出たばかりであった。民国期の本編と続編を買おうと思っていた。先方は配慮をしてくれて、45パーセントオフでいいとのことであったので、1万元もっていく。しかし、清代の目録を見ると、清代のほうがほしくなる。日露戦争部分がほとんど入っているのである。外務部については、ここにあったのだ。由来についていろいろ聞いていると、北京に残された外交档案だという。そして、日本統治時代には興亜院の駐京事務所に接収され、そこの印が押してある蔵書が本図書館には多いというのである。少なくとも、南京や重慶、あるいは洛陽に運ばれたものでないことは確かなようであり、性質からして外交档案の一部を構成するものと理解していいようである。そうなると、外交档案地図を改める必要があり、興味深い。結局、清代のものを買うことに。お金が足りないので、あらためて北京大学の学生に払いに行ってもらうことになる。

北京大学にいったん戻る。午後は三時から北京外国語大学北京日本学研究センターにて座談会。早めに出かけて図書館にて原稿を書き、また厳安生先生の研究室に顔を出す。例の愛知大学の『中国21』の座談会で、言うべきことを言っておいてよかった、とのこと。座談会は、北京大学から二人の日本人留学生が参加して学生が11名、それに徐先生。テーマは、「所謂《歴史問題》与中日関係的現状」。言語は、こちらの中国語能力よりも、彼らの日本語のほうが上なので、日本でおこなう。こちらから30分程度話題提供。それぞれから質問が出てくる。小泉政権の問題、日本人の一般的な歴史認識など。日本人学生からも発言がある。日中間で大きな認識の隔たりがあることを確認できたであろうが、センターの学生のように、もっとも日本に近いところに居る学生でさえ、こうであることを考えると、「認識」問題は絶望的にも思える。だが、国交がなかった時代、また戦争をしている時代、そして「友好の時代」に比べれば、これだけ率直に意見を交換できる空間が得られるというだけ、まだよいのかもしれないと思う。

19時から近くの焼肉屋でかつての学生たちと宴席。徐先生を連れて行く。学生というのは収支を終わって二年経つ16期生である。小生は、北京日本学研究センターに赴任して、14期生の口頭試問(社会コース)を担当するなど彼らの日本からの帰国後の時間をともに過ごし、15期生とはすごした時間が一番長く、16期生については入試を担当し、一ヶ月強い彼らと時間をすごしたことになる。16期生は、入試を行ったということだろうか、いまでも比較的交流がある。今回は、鄭州大学に就職したHさんと、出版社に勤務するLさんが呼びかけてくれた。在京の8名が集まった。みな、国際放送、日系機関・企業、中国側の対外友好交流機関、そして大学教員など幅広く活躍している。昨日徐先生からいただいた『校友通訊録』を回覧する(大平学校以来の北京日本学研究センターの卒業生の詳細な名簿。大平学校以来をまとめたことで連続性が確認できる。また大平財団が支援しているということも合理的。ただ、国際交流基金が相変わらず、こういった人的紐帯に強い関心を見せないというのも考え物である…こういう不満はなるべく忘れることにしている)。

各企業、機関の状況、日中関係などについて幅広い情報交換がなされる。やはり、こういった場が重要である。現在の中国のメディアにおける、「情報」の扱われ方、ニュースの検閲方法、中宣部からの通達などについて教えてもらう。また、それぞれの日系企業のこと、友好交流事業の状況など幅広い。

李敖のことも話題に。やはり清華大学では低調。北京大学での議論も言論自由化にふれているので、敏感となった模様。先般の呉儀の帰国についても話題に。やはり、呉儀のことは国内向けに扱わないようにメディアに通達があったという。また、これは「据説」という範囲であるが、呉儀の帰国については、直前まで王毅大使も知らず、結局呉副首相自身が小泉総理に会って話すことがないということを理由に、会わないという方針を固めて中南海に打診。中南海がそれに「批准」を与えて、呉が王毅大使に伝えたという。大使もご苦労なことである。

中国国際広播電台に勤務するR君から『中国国際広播電台』(上下)をいただく。大変有意義な本だが、この放送局もやはり延安時代の対日本人放送から始まっている。北京外大もまた延安時代も外語翻訳大隊から始まっている。結局すべてが抗日戦争に帰っていく。ほとんどの政府関連機関などが抗日戦争に「起源」をもたせている。

国際政治学会の11月の大会の分科会調整。報告者のレジュメなどを送る。
関東の国立大学から集中講義依頼。話をしてくださった方とゆっくり話したいので引き受ける方向で調整。10月末の国史館でのシンポの原稿の催促が来る。次の次の優先順位。締め切りは9月末だが、10月5日までには出すと返事する。間に合わないことが多い。北海道大学から、10月に北京である日本側の諸機関会議にでられないかと打診。これは無理とお断りする。

来年1月のグローバリゼーション研究会、3回分の調整がほぼ終了。京都大学の浅田正彦先生に大量破壊兵器の件、外務省の分析二課長に六カ国協議の件となったが、あと東アジア共同体論を通商産業省にと思ったが断られ、内閣府に打診したら内閣府は外で講演ができないことになっていると断られる。そこで当初から遠藤乾先生から提案のあった、北大の中国研究をしている教員でのラウンドテーブルにすることに。遊川和郎先生、諏訪一幸先生から(条件付?)了解を得てほっとする。

会議で購入した図書代金や、档案複写代金を科研費で支出する方法を会計係に問い合わせると、手続きや書類のハードルは高くない。便利になった。少し気楽になる。

講談社の原稿の途中経過を編集者に送る。まあまあの反応。書き進めたい。

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