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中国の大学における社会問題(2005.4.29)

毎日主要新聞には目を通すようにしているのだが、北海道には『産経新聞』がない。
だが、その『産経』の福島香織さんの取材記事をはじめ、中国側の公式発表のアレンジ翻訳ではなく、独自に取材して記事を書くタイプの記者の文章には常日頃目を通すようにしている。

4月29日付けの『産経』に、「中国 大学生悲哀」という福島さんの記事が掲載された。中国の主要大学で自殺者が増加し、社会問題化しているという記事である。反日デモの背景にこうしたことがあることを示唆するものである。小生は、反日デモとそうした社会問題の因果関係については別途議論が必要と思っているが、大学内部の社会問題それじたいについては、確かにそういった問題があるのだと思う。

実は、この一ヶ月ほど前から、清華大学などの主要大学のBBSが外部から見られなくなったことについて、それが何故かと考えていた。ネット統制が全体的に強化されたこと、二月に幹部教育が徹底され、三月くらいから学生への思想統制、学習が強化されたからだろうかなどと思っていたが、BBSに学生たちの日常生活の不満が噴出していたことを考えれば、それだけ学生それじたいの問題が深刻化したことを示しているのだと思う。

実際、三月にゼミ旅行で訪れた上海の復旦大学における学生交流会でも次のようなことがあった。

突然、中国側の(服装からして地方出身者ではないかと思わせる)男子学生が、大学内部の貧富問題、大学内部を歩くだけで気づかされるあまりの格差について、日本ではどうなのかと日本側の学生に訊ねたのだった。日本側の学生は、一瞬、反応できずにいた。日本では外見から豊かさを判断することさえ難しい。学生間の経済格差は厳然として存在するが、程度は中国ほどではないし、またそうしたことを学生が問題に感じて議論することは稀である。とりあえず教員で回答を引き取り、多元化した社会状況と、日本ではもっとも豊かな地方自治体とそうでない地方自治体の格差が二倍程度におさまっている事情を説明した。

このやりとりが、その後もずっとひっかかっていた。

復旦大学側の教員は、この問題提起について、学生内部の格差が激しいこと、また学内で働いている労働者はさらにその下をいっており、そういった可視化され、あまりに単線的な経済格差が学生たちの日常生活、感情などに不安を与えているといっていた。これは、この福島さんの記事に通じる内容である。無論、明確な解決方法は、ない。

努力が報われないと若者が感じる社会。これは先進国がみな通ってきた道である。しかし、中国は数値的には発展途上国でありながら、この状態を迎えているというのだろうか。「三つの代表」をはじめ、新たな正当性構築を始めている共産党にとって、こうした状況は困ったものであろう。かつてのように就職を「分配」にすることもあるのかもしれないが、それでは「単位」制度の復活ということになるし、国営企業、国有企業に頼る体質の再現を招く。もしかしたら、別のかたちの「就職支援」が、学生に対するカウンセリング強化(思想教育ではない)とともに必要になるのかもしれない。

この点、北海道大学ふくめ日本の大学も笑えないところがある。自殺者、就職指導、カウンセリング、それぞれ緊急の課題である。

旧帝七大学が足踏みしている北京大学との大学間交流はこういったところが突破口になるのかもしれない。

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