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比較政治論第8回講義レジュメ

第8回講義  2001年5月28日

比較政治論講義ノート

テーマ:北朝鮮

■時事関係
 ASEM

■ 北朝鮮現代史
【第1ステージ】
1945年12月 モスクワ会議(英米ソ)⇒朝鮮半島を5年間の信託統治下に置くことで
        合意。北部がソ連、南部がアメリカ。
        当時、北部では共産勢力優勢。
        接収線としての三八度線。
1947年    アメリカが国連における問題の処理を企図。国連監視下での総選挙。
        分断への道が加速。
1948年8月  選挙結果をふまえて李承晩を大統領とする大韓民国成立。
1948年9月  朝鮮民主主義人民共和国の成立。
         ⇒1949年朝鮮労働党の方針転換(南北の同時解放を断念)

【第2ステージ】
1950年6月25日 朝鮮戦争勃発
1953年7月27日 停戦協定提案(国連軍、中国、北朝鮮合意、韓国拒否)

 ⇒朝鮮戦争は金日成の権力基盤を固める契機になる。しかし、「満洲」パルチザンから
  極東ソ連軍の一員となった金日成は、延安派・ソ連派の代表人物の双方を追放する
  ことで、北朝鮮内部の、また南朝鮮労働党の朴憲永などを批判することで朝鮮半島
  全体の共産主義運動の中心になっていった。

1953年8月5日 「停戦協定締結と関連して戦後国民経済復旧発展のための闘争と党の
          今後の任務」
1954年      ジュネーブ会議
         「すべての力を祖国の統一独立と共和国北半分における社会主義建
          設のために-わが革命の性格と課題に関するテーゼ」
           ⇒1956年4月 朝鮮労働党第3次大会で承認
1954年11月    農業集団化開始
1955年       スターリンの死と路線対立(マレンコフ路線)
          「思想活動において教条主義と形式主義を一掃し、主体を確立す
           るために」 ☆主体演説
          ⇒8月全員会議事件、中ソ幹部の訪朝
1956年12月   「千里馬運動」(大衆動員)
1958年3月    朝鮮労働党第1回代表者会議

【第3ステージ】
1960年8月14日  連邦制提案(両国政治体制の温存、経済文化面での統一促進)
1966年8月12日  「自主性を擁護しよう」(『労働新聞』) 
            第二次代表者会議での「自主性」確立
            …「全党を首領の革命思想、主体思想で一色化する」
            「唯一思想体系」
【第4ステージ】
 1980年代…対南強硬路線

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