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アジア政治論・質疑応答(3)

アジア政治論・質疑応答(3)

■進めかた
(1)プリントはちゃんと人数分用意しなさい(3年女子)
 おっしゃるとおりです。初回の講義は70部用意して少し足りませんでした。三回目は 
 55部でしたが足りないようです。65部にします。
(2)最初のエッセイについて「リベラリスト」「リアリスト」の解説を事前にしたら意見がもっと出たのではないか(4年男子)
   そうですね。次回からは何か簡単な背景説明をしてからにします。

■内容
(1)サバルタン・スタディーズについて(3年女子)
従来の侵略⇒植民地支配⇒抵抗⇒独立といった図式で歴史を理解するのではなくて、インドに内在する歴史展開のありかたを重視する方向性。イギリスによる統治がはじまったことよりも、各地域に内在するコンテキストを重視。また、インドが統一されている状態を必ずしも善とせず、地域ごとに自立した形態をとっていることも肯定的にとらえていくような歴史観。
(2)インドで国家史が形成された理由(M3男子)
これは、インド独立に際して必要となったものでしょう。抵抗のコンテキストの中でできたものですね。
(3) 地域・民間を重視する方向性は中国史にも可能か(文3年女子)
これは可能です。たとえば山川の『地域史とは何か』のシリーズにある諸論文などはその好例ですし、むしろ最近は中国史でも地域・民間の歴史が主流です。卒論などでテーマ選定が必要なのでしたら、相談にのります。
(4) インド統治について(3年男子、4年女子、4年男子、M3男子)
インドはイギリスの直轄植民地でしたが、その内側を見るとインド総督による直接統治部分と、藩王のいる地域の間接統治があったということです。東インド会社のときは直轄ではなく、東インド会社をとおして支配していたわけです。また、イギリスが東インド会社を使用してインド支配をおこなったのは何故かという点については、当初あくまでも商業利権をもとめて行動していたということで、国家が関与していたわけではなく、次第に国家が関心をもって資本家と綱引きをしながら、最終的に東インド会社結んだ条約などを継承するかたちで国家事業にしていったということであると認識しています。(東インド会社は資本家が投資してできた会社です。決して国策会社というわけではありません。)
(5) マハラジャは藩王か(3年女子)
 出ると思った質問です。マハ=大、ラージャ=王ですから、マハラジャは大王とか大藩王とかいう意味です。因みに、makhaマハが中国を伝わる間にマカになって摩訶となり、摩訶不思議(とっても不思議)となるから面白いですね。また、映画では「躍るマハラジャ」という不思議な作品がありました。http://www.sankei.co.jp/mov/review/98/muthu/
(6) イギリスがムガールの宗主権を認めることで不利益はなかったのか(4年男子、M1)
難しい問題ですね。ただ、ベンガルにおける「実質」的支配を正当化するためにムガールの権威が利用できたということだと思います。上か下かということは二の次であったのではないでしょうか。他方、ムガールにしてみれば、実質的な支配ができなっている中でイギリスに対してそうした行為をおこなうことで自らの権威をビジブルに提示できるということになるのでしょう。
(7)保護国化された地域と直轄地とされた地域の違いは(4年男子)
 そこにイギリスが直轄して収奪したいもの(資源など)があるかどうかが第1ですね。また、そこにおける統治者とイギリスとの関係もあると思います。イギリスに恭順の姿勢を示したかどうかということもあります。
(8) ラージプート諸侯がムガールを迎え入れた理由は(文3年女子)
それは外敵の問題が一番大きいと思われます。東方、南方の。また諸侯・藩王の間の関係は極めて重層的なようです。すなわち、すべてが対等というわけでもなく、上下も斜めもあるような状態であったようです(2重帰属があったかどうかは分かりません)。
(9) カシミール問題に関する見解(4年男子)
イギリスのインド支配の際の扱い、宗教問題などが密接に関わっています。授業でも申し上げたシーク戦争によって、ジャンムー・カシミール藩王国がカシミール地方に誕生。この藩王国が1947年まで継続して存在します。インドとパキスタンが分離するに際して、この藩王国がインドにつくことを表明したことが問題なわけです。つまり、藩王はヒンドゥーなのに、住民の8割がムスリムであったわけですね。手続き的な正当生ではインド、しかし統治のあり方から考えればムスリムということになりましょう。
(10)これほど多様なインドがどうした独立に際してインドとして独立したのか(3年女子)
これはおっしゃるとおりですね。ただ、この独立があくまでも植民地支配への抵抗という論理で正当化されていたために、植民地インドの解放が第一にあったということがあります。しかし、当時のインドにあっても、ムスリムを分離するのか、それともしないのかという点で論争がありました。ガンディーは、こうした状況の中でムスリムとヒンディーの融和を説いたわけです。従って、彼はヒンドゥーの原理主義者に殺されてしまいました。そして、結果はパキスタンの分離であったわけです。また南北インドの分裂などということはそこまで議論がされていません。インドがどうしてインドたりえるのかということは実に興味深い課題だと思います。それから、そもそも国家とは何かという問題もあります。インドにおける諸国家の形態と、近代国家は異なりますから。
(11)お茶・香辛料よりも侵略では?(3年女子)
お茶や香辛料は言い訳で要するに侵略したいのではないかというご意見でした。またお茶を議会で議論するのも贅沢三昧の生活がみてとれる…そうなのかもしれません。そKにマーケットがあり、そこに資本が流れていれば、議会の話題にはなるわけです。葱と椎茸で大騒ぎする国、それから同じ米でもタイ米は食べられないとか、パンでは腹にはたまらないとして自国米を求めつづけた国もあるわけですから。
(12)日経の投資を煽るような記事について、そうした新聞の役割をどう思うか(4年男子)
新聞には啓蒙的な役割もあると思いますから、取材結果をきちんと読者に伝えるということもありますし、また読者の関心に則してそれを伝えるということもあると思います。しかし、やってはいけないのは、取材の結果が読者が期待したとおりでないときに、読者が聞きたい・見たいと思う内容に修正すること、また世の中を動かすのは自分達であると報道人が考えて妙にオピニオンリーダー的な発言をすることです。今回の記事内容はこの双方を含んでいるような気がします。

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