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アジア政治論第12回講義レジュメ

2003年 6月27日
第十二回講義
アジア政治論講義

質問などは質問票に記入ください。授業が終わった後にいらしてくださっても結構です。
メイルのかたはshin@juris.hokudai.ac.jpまで。また教務掛前の8番のボックスに質問票をいれてくださっても結構です。レジュメなどは、 http://www.juris.hokudai.ac.jp/~shin/ にあります。

0.時事関係
1.国内改革を再優先課題とする中国
2.特に重視される経済建設
3.政治状況
(1) 中国政治を見る眼(Wank,David,Journal of Contemporary China,7(18),pp.205-227.)
(2) 中国政治を見る日本の眼
(3) 国家体制の基本(鈴木賢ほか『現代中国法入門』有斐閣、1998年を参考にした)
   <全国人民代表大会>
   <国家主席>
   <人民政治協商会議>

6月27日の講義は、後半に中国人民大学農業経済系 金洪雲先生の講演がはいります。

 <自治について>
  (1) 「中華連邦共和国構想」(1920年代の中国共産党) ⇒ 自治権、分離権
    「中華ソビエト共和国憲法大綱」(1931年) ⇒ 中華ソビエト、中華ソビエト自ら組織、あるいは自治、いずれも選択権あり。
    「各少数民族に民族自決権、および自発的希望による漢民族との連邦国家を作る権利を認める」(1945年、「連合政府について」)
(2)延安時代、支配区のモンゴル族などに対して区域自治。40年代後半の「東蒙古自治政府」「東トルキスタン共和国」をことごとく否定。
 (3)「中華人民共和国は各民族の友愛協力の大家庭」「少数民族の集居地区では区域自治をおこなう」「民族の言語、風俗、習慣、宗教を保護する」「大民族主義と狭隘な民族主義に反対する」(49年共同綱領)
  (4)「各民族の自治区は、中華人民共和国の不可分な一部である」(52年民族区域自治要綱)
        ⇒完全に分離独立否定
(5)現在の自治
     文字・言語の使用、公安部隊や民兵の編成権、自治条例の制定権
        中央政府は民族幹部の保護育成をおこなう
※「民族自治」と「地方自治」の混乱
※中国の民族区域自治の実質は、特殊な地方に付与された若干の地方自治と、「民族の文化的な自治」に過ぎない。
  (6)民族闘争   
    ・「民族闘争はつまるところ階級闘争」(63年毛沢東)
     59年 チベット動乱
     89年 チベットに戒厳令
・  「改革開放」時代、自治区は何で統合される??
    ⇒経済発展?中華ナショナリズム?中国ナショナリズム?
    ⇒宗教などの台頭
  <中央・地方関係>
(1)区分
    1級行政区(省・自治区・直轄市)、…市鎮に到る4層構造。
(2)「地方自治」は実質的にも論理的にも認めていない。
   (a)地方の人民代表大会はそれじたいが権力体であるから自治は必要無い(レーニン)
    所謂「自治」が出てくるのは自治区だけ。
   (b)しかし、中央の統一指導を前提に地方の積極性を発揮させるという方針。
   ⇒(ab)は矛盾。
(3)中央の権限  
・地方政府の幹部の任免、配置転換権
・地方政府の法規、組織条例などの批准権
・地方政府の行政管理活動に対する強制命令権
・地方政府は中央政府のすべての指導を執行する義務をもつ
 (4)「収放」サイクルについて
  ・問題は財政権、企業管理権

 <一国ニ制度>
  これは台湾のところで。

<中国共産党>
  中国政治は国家・党・軍の三者関係として捉えるとわかりやすい面がある。しかしその関係は極めて捉えにくい。
(1) 党の指導性(「政治生活の中での党の指導性」?)

建国初期:党と国家は別のもの
1949年9月 共同綱領
          「中国共産党、各民主諸党派、各人民団体(中略)の代表等によって構成されている中国人民政治協商会議は、人民民主統一戦線の組織形態である」
1954年憲法 党に関する部分無し
1950年代後半~:党の一元化指導 ⇒ 建国初期の「建前」の瓦解
1956年    第八回党大会・劉少奇が党の役割を明言(政治報告)
         「プロレタリアートがその前衛である中国共産党をつうじて何の妨げも無く権力という武器を行使し、(中略)こうすることによってのみ重大かつ複雑な任務を実現することができる。」 
    文革期:党の指導が明確に
    1975年憲法 「中国共産党は全中国人民の指導的中核である」(二条)
             「全国人民代表大会は、中国共産党の指導下にある国家権力の最高機関」
                                                    (十六条)
             「国務院首相、閣僚は全人代が共産党中央委員会の提案で決定する」
                                                    (十七条)
    1978年憲法 十六条廃止、但し二条、十七条は残る。

     1980年代~:党の相対化へ  
     1982年憲法 ⇒ 名義上は、共産党も民主党派も対等に。(第5条)
                全国人民代表大会も、最高の権力機関となった。
                しかし、前々回の授業でおこなったように「前文」で党の特殊な地位を確保した。「中国共産党の指導の下」
     1987年 第13回党大会・趙紫陽総書記報告
               党の指導を政治指導だとし、具体的には「重大な決定」の指導、国家機関に重要幹部を推薦することに限定。また、各機関に設けた共産党組織漸次廃止していく方針も。
     1989年 天安門事件
               党政一体化への逆噴射。
     2000年 「三つの代表」へ
  
(2) 党中央の組織 ⇒ 図を参照
(3) 党員構成(6000万突破)

中国共産党、党員総数が6451万人に

   最新データによると、2000年末時点の中国共産党党員数は6451万人に上り、総人口の5.2%を占めることが明らかになった。そのうち女性が1119万9千人(全党員の17.4%)、少数民族が401万1千万人(同6.2%)。 また35歳以下の党員は1439万1千人(同22.3%)。学歴別には、大卒(本科・専科)は1319万3千人(同 20.5%)、大学院卒は41万1千人(同0.6%)。職業別には、労働者や農業・牧畜業・漁業従事者が3166万人(同49.1%)、専門技術者は776万3千人、政府部門などの幹部は592万3千人、事業所や企業の管理職員は618万2千人。 また1990年から2000年にかけて党員数は2175万9千人増加し、増加数は年平均197万8千人に上ることが明らかになった。 そのほか、全国にある共産党の末端組織は351万8千。そのうち郷・鎮には136万1千、都市区役所出張所には7万9千。また郷・鎮企業8万5千社が共産党末端組織を設立させている。
「人民網日本語版」2001年6月4日 http://fpj.peopledaily.com.cn/2001/06/04/jp20010604_6109.html
  
・建国初期 基本的に農民政党。また党員の4分の一が軍隊に。
        解放軍から見れば半数が党員。学歴的には殆ど小学校卒。
・1980年代 学歴の向上(知識人の増加)、ただし87年で40%が農民によって構成。
・        高校卒業が主流に。
・1990年代 高学歴集団に。

<党政関係>
  1949年11月 「中央人民政府内に党委員会を組織することについての決定」
               ⇒ 政策執行、政府内の非党幹部との団結、国家機密の保護
                  反動分子の監督
                 (党機構の中に行政部門ごとに「対口部」が設けられる。機能的には党の国家への命令のチャネルとなった)
            「中央人民政府内に党グループを作ることについての決定」 
⇒ 政策の執行貫徹。党の指導強化
                 (実際には、党と国家の間接的関係を築き、現場から党への意見を吸い上げるという機能)
  ⇒ 文革期は活動が停止。しかし、総じて国家に対する党の影響力を強める方向で機能。
     しかし、!
   1980年代後半 党政不分の解消、党と国家の分業の明確化
   1987年      13回党大会、党グループの段階的廃止、党内部にある行政担当機構=対口部の廃止。 ⇒ 1988年には具体化
   1989年      共産党の指導の強化へ逆流(趙紫陽失脚)      

   このほか人事面でも党政不分離。
   決定的なのは、「中共中央と国務院の連合通達」。

 ※人民解放軍、軍政関係まで到達できませんでした。

(質問などは質問票に記入ください。授業が終わった後にいらしてくださっても結構です)

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