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第1回アジア政治論質問・回答

第1回アジア政治論質問・回答

川島 真

高2のときのオープンキャンパスで先生の話がとても面白かったので履修しました。(3年女子)
⇒これは嬉しいお言葉です。オープンキャンパスでは、日本と東アジアの将来めいた話をしたという記憶があります。あのとき予想していたよりもプラスになった面もあり、マイナスに傾いた面もあり…

授業で一番重点を置いていることは何ですか。(3年男子)
⇒シラバスにも書いたとおりですが、中国を等身大に理解すること、だと思っています。

…香港に行ってきました。…日本の報道はやり過ぎではないでしょうか。少しでも相手(香港)の落ち度を見つけ、誇張し、そして自分(日本)の地位を国内で保とうとしているのでしょうか。私は日本にいて、いつも思っています。私たちはゆがんだ事実を伝えられ、すりこまれているのではないかと。それを少しでも打開するためには、より多くから情報を得ることだと思っています。(3年女子)
⇒「歪んでいる」のはそうした内容を視聴者が求めるからという面もありますね。「打開」は困難ですが、少しずつ「良い番組」と思われるものをはっきりと明言して支持して行くことが大切と思います。

実際に「アジアの他のどの国よりも日本が暮しやすい」という神話は終ったのですか?(4年女子)
日本社会が立ち止まってしまったのは欧米に追いついたからでは?…日本人に求められることは、自分で「考える」ことではないでしょうか。(不明)
⇒「暮しやすさ」に当然個人差があるとして、確かにインフラの整備という観点では日本はシンガポールと同等でトップクラスしょう。あと清潔さという観点でも、シンガポールともども突出しています。しかし、治安の神話は崩れましたね。IT化という面でも遅れをとっています。生活水準という問題になると、可処分所得が極端に少ない日本、また物価が高い日本は、ぐんと落ちこみます。社会福祉や行政サービスという面では、勿論トップクラスですが、シンガポール、香港、台湾、韓国とだんだん変わらなくなってきています。『国民生活白書』御覧になってみてください。アメリカとの比較が中心ですが、いろいろわかりますよ。また、日本が欧米に追いついたから先が見えなくなったというお話、それも全くそのとおりでしょう。何かを目標にしてきて、それに追いついたら、その次を目指すということが難しい。でも、それは日本の「理想」が意外と低かったこと、日本人が相当容易に満足したことを示します。物質的豊かさと精神的豊かさ、福祉の達成度などなど、まだまだ課題はあったはずなのに、「追いついた」と思ったのはどうしてでしょうね。

日本は外国のものまねをして、しかし完全にまねができないから良い所だけ取り入れてきたのではないのでしょうか。これからも、アジアの方を見てもそうしていくような気がします。(4年男子)
⇒これは、日本が発展した理由を「真似」「長所吸収、改善」に求める言説に近い話ですね。これは確かにそうなんですが、それぞれの相互作用としてそうした面があるのも事実なのではないでしょうか。欧米の食事における日本食、中国食。オリエンタリズムとオキシデンタリズム。他方、確かに欧米の食事のスタイルはとても普及していて、相互作用と言うには広まりすぎであるという面があります。これは欧米の生活スタイルが「文明」として認知されたからで、美味しい、美味しくないとは別の次元の問題であると認識しています。しかし、いっぽうでその「文明」を受容する際に「文化」がその「文明」の表象を多様にしてしまう面があります。パンとコーヒーと卵といっても、それぞれ多様です。また、そもそも欧米じたいが多様で、どこから何が伝わったかという面があります。

大学にはいったとき「これからは中国の時代だ」という話を耳にした。それならなぜ「中国の時代」と言われたのか。(一部省略)(4年男子)
⇒アメリカ、欧州、日本などの先進国が失速し、発展途上の中国が注目されたのではないか、という類推はそのとおりであると思います。ただ、背景として御存知のような冷戦構造の崩壊、中国による改革開放政策の採用、中国自身がもっているポテンシャルなどがあったと思います。他方、「これからは中国」という議論が、「中国脅威論」を伴っていたことを忘れてはいけないと思います。一つのパイを分け合うかのような富の配分論で、中国が太れば自分が痩せるといった発想です。

いま中国では北京語はどの程度普及しているのでしょうか?北京語が標準語といいつつも、地域によって、言葉の壁が存在し、そして中国では地域毎の根回しが必要なのはそういうところにも原因があるのでしょうか。(4年男子)
⇒全体的趨勢としては間違いなく北京語が広まっていくでしょう。しかし、これは北京語を話せる人が増えるということであって、北京語が地域言語を駆逐するというわけではありません。公的な場、他地域の人と話すときに用いる公用語としての北京語が普及するだけで、家庭内部では基本的に現地語が用いられます。いま香港でも、タクシーで北京語を用いても何の問題もありません。商売をする際に現地の根回しが必要なこと、これについては言葉だけでなく「地域」というものに入り込もうとする場合に常に求められることであると思います。

昨日ある中国映画を観たのですが、その中で再教育される若者が出てきました。…まるで現在の北朝鮮のようでした。現在の中国の状態を考えると、同じ共産党下であるのにこれほどまでに違うのかと驚きました。…あと毛沢東統治下の中国と現在の北朝鮮の共通点や異なる点があったら、教えていただけると嬉しいです。(3年女子)
⇒これは難しい問題ですね。まず、「共産党の統治であるから」というわけではないと思います。政治的な自由、国民の諸権利が認められておらず、権力が一部に集中している状態に有るところでは普遍的に観られる現象であるとも言えます。そして、それが教育・宣伝によって正当化され、国民の多くがそれを信じ支持しながら、もしそれに逆らうと法的手続無しに葬られるという「恐怖」も与えられているのが特徴です。こうした意味では、現在の北朝鮮と文化大革命期の中国を比較することも可能であると思います。ただ、文化大革命期は「紅衛兵」という「動員」を通じてそれがおこなわれたのに対し、北朝鮮は諜報、警察などによってそれが実現しているという違いがあるように感じます。また、北朝鮮と中国の権力のありかたの決定的な違いは、北朝鮮が「世襲」を原則にしているのに対し、中国は基本的にそれを想定していないということがあります。加えて、政策を転換するダイナミズムが中国のほうがあるということでしょうか。1970年代の方針転換、改革開放政策への転換がそれに当たります。そしてさらに、中華人民共和国が社会主義陣営の主要国であり、アジア・アフリカのリーダーを自認していたのに対し、北朝鮮が一貫して一国社会主義的傾向を有していたことがあります。これは国際社会における地位の違いに深く関わっていきます。特に、「中国」が国際連合の常任理事国であった関係上、中華人民共和国政府が正当なる中国の政府としての承認を受けると、中華人民共和国は国際社会の主要国となります。あと、中国の場合は、「経済」(豊かさ)が1970年代に既に切実な問題としてあったということもあります。北朝鮮もいまになってこの問題が大きくなり改革開放路線に舵きりをしようとしています。最後になりますが、中国は確かに経済発展しているものの、政治犯や宗教犯に対する処遇などは未だに公開処刑、強制収容・思想改造などがおこなわれています。この点は現在も変わりません。

授業で、「中国では…」とか、「中国人は…」というときはどこを想定しているのか。(院M1男子)
⇒いい質問ですね。このことは第二回講義でふれようと思っていました。中国は広いから多様とか、中国人は13億もいるから多様とかいった議論とは別に、「中国」や「中国人」がこの100年前後に形成された歴史的な生産物であるということが大切です。授業で使用しているのは、この100年間で形成されてきた「中国」「中国人」に特徴的なものということで、特にどの地方とか、統計上で明かになった像というわけではありません。ここはあくまでも政治学的です。

オリエンタリズムのイメージがあまり掴めませんでした。(3年女子)
テクノオリエンタリズムがよくわかりませんでした。(3年女子)
⇒オリエンタリズムは、主に欧米で見られる東洋への誤解偏見など、マイナスのイメージに基づく言説の総称です。この背景に一種の憧憬があるとも指摘されますが、西洋は、野蛮・神秘・不潔・未発達・不完全・遅れている・受け身などのイメージを「オリエント」(異なる文化)に付与してきました。授業でも述べたとおり、このオリエンタリズムは、日本でも見られます。E・サイード『オリエンタリズム』(平凡社ライブラリー)が基本書です。事実がどうかではなくて、「遅れている」「野蛮な」アジア像を求める日本のマスメディア…。
 テクノオリエンタリズムは、最新の科学技術と東洋・日本趣味とが融合した言説・文化表象の総称です。映画『ブレードランナー』がその先駆であったと言われていますが、最新の科学技術と東洋趣味という観点で考えれば満洲国の建築などもそうだったということになるのかもしれません。

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