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東アジア近代史学会にて趣旨説明・討論の司会をしました。

東アジア近代史学会にて、共通論題の趣旨説明と討論の司会をしました。開催された内容の詳細はこちらからご覧になれます。

目次

2022年度 第27回研究大会

第27回研究大会のご案内

日 程:2022年7月2・3日(土・日)
場 所:早稲田大学早稲田キャンパス
    1日目:14号館201教室(2階)
    2日目:大隈小講堂(大隈記念講堂地下階)
共 催:早稲田大学 地域・地域間研究機構東アジア国際関係研究所

プログラム

◆1日目(7月2日(土))
開会挨拶 10時~10時10分            檜山幸夫(東アジア近代史学会会長)
自由論題報告 10時10分~11時55分(1人報告25分・質疑5~10分)
司会:高江洲昌哉(神奈川大学)
日本統治下台湾における伝染病予防体制――「伝染病予防法」の適用過程と「自治的」体制への転換
                                 鈴木哲造(中京大学)
北京政府の鉄道差別運賃をめぐる対列強外交――九ヵ国条約との関連を中心に
                                 宮脇雄太(慶應義塾大学・院)
日本の中国国民党「西南派」認識の変遷過程とその帰結 1933-1936
                                 金子貴純(アジア歴史資料センター、大東文化大学・院)
  休憩・昼食 11時55分~12時50分

歴史資料セッション「私蔵資料と歴史研究――「発見」から保存・活用へ」
12時50分~16時55分
司会:長谷川怜(皇學館大学)・島田大輔(日本学術振興会)
趣旨説明                             長谷川怜
自宅で保管する史料の整理と寄贈――旧子爵水野家の史料を事例として
                                 水野節子(刈谷市歴史博物館)
学習院大学史料館所蔵の旧華族家史料活用の取り組み
                                 梅田優歩(学習院大学PD研究員)
  休 憩 14時20分~14時30分
個人文書の寄贈・整理と地域資源としての活用について――沖縄を事例として
                                 川島 淳(沖縄国際大学)
自由民権運動研究の進展と「内藤魯一関係文書」――研究者の旧蔵史料と再発見
                                 中元崇智(中京大学)
  休 憩 15時50分~16時
討論・総括 16時~16時50分

総会(対面・オンライン併用)  17時~17時40分

◆2日目(7月3日(日))
大会シンポジウム「1920年代の東アジアにおける多様な世界像――第一次世界大戦後の秩序観の対峙・相克・共鳴」
10時30分~16時45分
司会:午前の部=古結諒子(名古屋工業大学)、午後の部=新田龍希(早稲田大学)
趣旨説明                             川島 真(東京大学)
集団安全保障の時代?――第一次世界大戦後の国際秩序と日本外交
                                 樋口真魚(成蹊大学)
新秩序の中の日本外務省――国際連盟と東アジア問題の関連に注目して
                                 渡邉公太(帝京大学)
  休憩・昼食 12時~13時
“鋪軌”(rule maker)か“接軌(rule taker)”か――中国国民党・中国共産党の世界観
                                 深町英夫(中央大学)
台湾農村における技術の時代――移転・利用・流用
                                 都留俊太郎(京都大学)
1920年代朝鮮における女子中等教育の「拡充」と女子生徒の「活動」
                                 崔 誠姫(大阪産業大学)
  休 憩 15時~15時15分
総合討論 15時15分~16時45分       司会:川島 真、古結諒子、新田龍希
ディスカッサント:熊本史雄(駒澤大学)、高光佳絵(千葉大学)、三ツ井崇(東京大学)

閉会挨拶 16時45分~16時50分          檜山幸夫

趣旨文

◆大会シンポジウム 「1920年代の東アジアにおける多様な世界像――第一次世界大戦後の秩序観の対峙・相克・共鳴」
 第一次世界大戦は多くの災禍を欧州にもたらしただけでなく、その後の国際社会に大きな影響を与えた。軍縮条約や平和条約を通じて「戦争」を管理しようとする試みや、植民地制度への批判を踏まえて、その自立を求める動きも生じた。また、すでに第一次世界大戦前から次第に広まりを見せていた社会主義は、第一次世界大戦中にロシアに革命をもたらし、大戦後にはソビエト連邦が生まれ、またコミンテルンが世界の社会主義運動を指導した。社会主義運動は各地のナショナリズムなどと結びついていった。そして、第一次世界大戦期には、国家だけでなく、知識人や人的組織が国内政治でも国際政治でも一定の役割を担うようになっていった。
 第一次世界大戦後のこのような新たな動きは、世界各地に新たな秩序形成を促していった。もちろん、第一次世界大戦前の秩序からの連続性もあるが、大戦を踏まえた新たな傾向がそれぞれの地域、あるいはそれぞれの主体のコンテキストで読み込まれ、それぞれの考える秩序観に基づいて、対内的にも対外的にも行動するようになっていった。無論、帝国であれば宗主国と植民地社会との間でのコンテキストは異なっていた。国際連盟においても、世界的な秩序を構想する面もあれば、地域的な秩序を構想する面もあった。
 第一次世界大戦後の東アジアでは、中国や太平洋の利権問題や軍縮の面で、日本がイギリスやアメリカと協調するワシントン体制が形成された。だが、これは中国から見れば、英米日などによる利権の相互承認、現状維持に過ぎなかったし、九カ国条約に加わった北京政府もまた財政破綻し、滅亡していくことになった。また、社会主義の影響は中国でも強まり、コミンテルンは広州の国民党を支援し、その国民党が北伐を行なって南京国民政府を設けた。ソ連、コミンテルン、国民党ともに基本的にワシントン体制外の存在であった。そして、朝鮮半島や台湾などの植民地では、その経済力の上昇、教育制度改革などにより現地の知識人が一定の制限の下で養成され、彼らは次第にその活動の場を広げて内外と連携しつつ議会設置請願運動や自立運動を起こし、本国に対峙した。
 だが、結局のところ、東アジアにおける各主体において共通の秩序観やあるべき秩序像が第一次世界大戦後の東アジアに形成されていたのだろうか。東アジアは、欧州に比べれば、第一次世界大戦の戦場となったわけではない。経済的に欧州の影響が減退したことによる民族産業の勃興が見られるなど副次的な影響はあったが、戦争それ自体の影響というわけではない。では、第一次世界大戦を経たこの東アジアでは、欧州やアメリカ、あるいは社会主義の世界的動向などを踏まえつつ、どのような世界像、秩序像がそれぞれの主体により想定されたのだろう。
 このシンポジウムでは、1920年代の東アジアにおいて、「第一次世界大戦後の世界」がどのようなものであると想定され、位置付けられたのかということを、それぞれの主体から考え、そこでの相克、対峙、あるいは共鳴などについて議論することを目指す。なお、本学会が2019年の第24回大会で行なったシンポジウム「第一次世界大戦後の東アジアと秩序の変容」の問題意識が重なる点があるが、今回の重点は1920年代に置かれている。
                                     大会シンポジウム実行委員会

◆歴史資料セッション 「私蔵資料と歴史研究――「発見」から保存・活用へ」
 近年の歴史資料セッションでは、歴史資料を散逸や廃棄からどう守って保存し、研究に活用するべきかが議論されています。これは一昨年のテーマとなった宗教関係資料、昨年の保存公開資料だけに留まらず、公文書を含むあらゆる資料が直面する問題です。
 昨年のセッションでも私文書が古書店に流出した事例が紹介されましたが、祖父母や親世代の遺した資料が「処分」されることが多くなっているのは事実です。自らが直接知らない古い世代の資料について、思い入れを持たない(持てない)まま手放したり廃棄してしまうのは、致し方のないことともいえます。
 今年度は、個人・民間で私蔵(“死蔵”)されている資料に光を当てます。ここで言う私蔵資料とは、政治家や外交官、軍人などある一定の地位や役職にあった人物が遺した個人文書(歴史研究において用いられる私文書=意見書、日記、書簡など)であるかどうかを問いません。ある個人の手元に存在した歴史的・学術的価値のある文書類のうち、その人物の死後、そのまま自宅に残されたもの全般を指すものとします。資料が研究者やメディアなどにより「発見」されて公開に至るかどうかは、偶然の作用も大きく、資料が私蔵され続けたり廃棄されたりすることも少なくありません。
 そもそも存在の有無すら分からない私蔵資料を散逸・廃棄から守るためには、どのような働きかけが必要でしょうか。私蔵資料が「発見」され、博物館や史料館などへの寄贈を経て、研究資源として、あるいは自治体史編纂に活用されている事例を通して考えます。さらに、もう一つの私蔵資料の類型として、研究者が収集した資料に光を当てます。研究者が自身の研究のために購入したり寄贈を受けたりして収集した歴史資料が、その研究者の死後そのまま自宅に残されることがあります。著書や論文の中で引用されながらも、研究者の死後に資料の所在が不明になれば先行研究の検証が不可能になります。そうしたもう一つの私蔵資料を掘り起こし公開につなげることも、現代の歴史学界の役割だと言えるでしょう。
 まず、資料を寄贈した側・された側、双方の立場から資料「発見」の経緯や整理、寄贈後の活用方法について事例を紹介します。第一報告は、旧結城藩水野家19代であり中国研究者の水野勝邦が遺した資料を個人で整理し学習院大学史料館へ寄贈した水野節子氏(刈谷市歴史博物館学芸員)から、資料の整理から寄贈に至る経緯や「水野家」における資料に対する考えを紹介して頂きます。また第二報告として、寄贈先でいかなる保存と活用がなされているのかを、水野家史料の整理を担当する梅田優歩氏(学習院大学史料館PD研究員)が具体例を挙げながら解説します。
 第三報告では、行政(公文書館など)が引き受けた私蔵資料を取り上げます。沖縄県公文書館などで資料の整理と調査に関わってきた川島淳氏(沖縄国際大学非常勤教員)から、沖縄県の自治体史編纂事業を事例として私蔵資料「発見」から寄贈に至る経緯と具体的な整理の方法をご紹介頂いた上で、私蔵資料を行政が引き受ける際の収集ポリシーのありよう、行政がこうした資料を保管することの意義と活用方法、さらには市民協働による歴史資料の保存の展望についてご報告頂きます。
 第四報告においては、自由民権運動の研究者であった故・長谷川昇(東海女子短期大学名誉教授)が長らく手元で保管していた内藤魯一資料を議論の俎上に載せます。長谷川の死後17年が経過した2019年に資料を「再発見」した経緯と調査の現状、今後の研究と保存活用の展望について、自由民権運動を専門とし激化事件について調査を進めている中元崇智氏(中京大学文学部教授)にご報告頂きます。
 様々な私蔵資料の事例を通して、歴史研究のための資源として残すために何が必要なのか、潜在的な資料所蔵者にいかなるアプローチを行うべきかについて議論を深め、また「発見」後に受け入れ先となる収蔵施設の諸問題(スペース、予算、収蔵ポリシー)、原所蔵者から公開の許可を得られた資料をデジタル化して広く共有するための方法などについても議論の幅を広げたいと考えます。

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