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9月11日(日)

午前中は原稿を書く。修正とは言っても半年間で随分と考え方が変わっているものである。

午後、ふたたび両岸三地の会議に参加。民国前期の「審計」制度に関する報告を聞く。行政制度に関する研究も出てきた。興味深い。最後の総括会議では、学生代表がそれぞれのセッション別にまとめて意見を述べていた。この後議論されていたのは、教員の関与度である。司会、コメンテーターについて、どの程度まで教員が関与するのかということである。最終的には、司会は学生に、コメントは教員にという方向であった。また、プレゼンテーションの工夫(パワーポイントの使用など)についても提起があった。そして、脚注のつけかたの文化の違いも指摘された。なお、歴史学の方法論について、昨今では引き締めの雰囲気が大陸であるが、多元化でいいのではないかという興味深い意見も聞かれた。最後に、主催者である北京大の牛大勇先生から総括がなされた。今回は香港から13名(6大学)、台湾が24人(7大学)、大陸が24人(11大学)という構成であり、大陸からの学生には新疆からの学生も含まれていた。そこでは、思惟、思路、学術用語の違いを超えて国際会議をおこなっていくという、モデル実験がなされたと牛教授は述べた。続けて、新しい見地を開く研究も見られたとしつつも、史料の選び方、史料批判、引用方法についての注意が喚起され、先行研究とくらべて何が新しいのか、全面的な学術史をフォローしてなされるべきだ、と述べた。さらに、中国のことを世界史の中で位置づけるべきところ、そうした試みが多く見られなかったことが残念だとの懸念も示されていた。きわめて興味深い総括であった。

他方、最後のセッションで胡春恵先生が横に座っておられたことを利用して、次年度から、日本、韓国から2-3名の代表を派遣できないかと相談。快諾をいただく。今後のことは電話などで連絡をとのことであった。次年度はアモイ大学か南開大学。久保先生、貴志先生、陳紅民先生、白永瑞先生に連絡をしたい。

会議終了後、そのまま茅海建先生のお宅に、唐先生と向かう。北京の北部のお宅にうかがうのは二度目である。だが、以前に伺ったときに比べて、本当に開発が進み、渋滞も激しい。所得が高い層が集中して住んでいるためであろう、北京を代表するレストランの支店が軒を連ねる。お宅に入ってから、奥様が残業などの都合で料理の準備ができなかったので、外に食べに行くとのこと。孔已乙にいく。ここも久しぶりである。数時間、楽しい時間を過ごす。外交史関連のこと、それぞれの将来、学界のこと、大学のこと、それぞれ話題が尽きない。茅先生の日本論、また唐先生の台湾の大学事情をめぐる話など、なかなかうかがえない話であった。

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