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『台湾における日本研究』(仮題、近刊)はしがき

 2001年度に(財)交流協会日台交流センターの要請を受けて、歴史研究者交流事業の一環として「台湾における日本研究の現状と展望」という調査をおこなったが、その成果が『台湾における日本研究の現状と展望』(仮題)として、交流協会から出版されることになった。以下は、その「はしがき」である。

はしがき

 21世紀にはいったいま、日台関係は新たな岐路に立たされている。前世紀後半には、日本の敗戦に伴う植民地統治の終了、中華民国との講和条約締結、そして中華民国の断交といった荒波を経て、日台関係は多くの先人たちの努力にささえられながら、現在のような経済文化面を中心とした緊密な関係を築くことができている。特に昨今は、「哈日族」などという言葉にも表れているように、台湾の街角やメディアには日本情報が溢れ、台湾は日本人にとって「親しみ」を持ちやすい地域として認知されている。このように日本情報が台湾で日常的に見られるようになったことにより、日台の若者たちは共通の文化、価値観を土台にして新たな関係を構築する契機を獲得することができてきているとする見方もある。

 だが、他方で、台湾の表層文化における日本情報の拡大と、日台関係の基盤の問題はやや位相を異にするという見方もある。第一に、戦後五十年を経て、日本統治時代に教育を受けた「日本語人」や、中華民国政府とともに大陸から台湾に渡ってきた「日本通」が高齢となり、また台湾でのアメリカ志向などもあって日台関係の担い手が不足しているという問題がある。第二に、日本や日本語に関心をもつ若者層が増加し、日本への観光旅行などが東京・関西地区から北海道などの地方へと深化して日本への認知が高まりながらも、日本を全体として把握しようとする日本学や、日本の様々な点について探求する日本研究の進展が、日本情報の広がりに比べれば芳しくないということがある。第三に、そうしたことを反映して、メディアでの政治・外交・経済・社会面などに関する「日本論」や、政治リーダーたちの日本論が以前よりも日本の一部をデフォルメしたようなステレオタイプ化している傾向もあるということを聞く。

 このような状況の中で、2001年度に(財)交流協会日台交流センターの要請を受けて、歴史研究者交流事業の一環として「台湾における日本研究の現状と展望」という調査をおこなった。日台関係に横たわる、台湾における日本研究・日本学の進展、あるいは日本論の深化という課題について考えていく上で、そして日本側としてその課題への取組みに対して何かできることはあるのかということを考える上で、まず「台湾における日本研究」について状況を理解しておきたいというのがこの調査の主旨であった。方法は、台湾における日本研究者、日本留学経験者から話を聞きつつ、具体的な研究成果(特に修士・博士論文、雑誌論文、単行本)についてデータベース化し、それをもとにして分析を加えていくという手法を取った。より内在する問題はあるであろうが、先鞭をつける者として、まずは基礎データを得るということに主眼をおいた。結果として、時間的、経費面の制約から単行本までは至らなかったが、修士・博士論文、雑誌論文までは(網羅性に問題はあると思われるが)データベースを作成することができた。

 今回の調査を経てわかったことは、台湾の日本研究は裾野の拡大が著しいものの、日本研究で博士号を得て日本研究をおこなうようなルートができていないということ、従って日本研究者が育成される可能性が極めて限定され、このままでは日本学・日本研究の深化・進展には多くの問題が残されてしまうということであった。そしてそうした問題が発生した背景には、台湾側の要因もあるものの、日本側の日本語重視の支援体制、奨学金貸与の制度の問題などがあった。
 アジア政治外交史研究者である筆者が今回の調査をおこなった一つの背景は、筆者がこの調査をおこなう前年、すなわち2000年度に国際交流基金の派遣で北京日本学研究センターに副主任として赴任し、微力ながら北京で「中国における日本学」の問題について議論と試みを重ねてきたということがある。今回の調査結果に対する分析部分に、当時の経験をふまえた中国との比較を簡単に記すことができた。

 中国と台湾の日本研究の動向調査や将来像の議論を重ねる中で強く感じられるのは、戦後の東アジアの日本研究を俯瞰すると、おそらく他地域にはあまり見られない背景があるということである。それは、日本の植民地支配や第二次世界大戦で日本がおこなった侵略行為、そしてそれへの抵抗、自立という過程の中で東アジアの国々がうまれてきた関係で、戦後東アジアの国家・地域にとって、「日本」は当地の政権の正当性、存立基盤と関わるものであり、だからこそ「日本を学ぶ・研究する」ということは、政府や政党の管理下に置かれがちであったということである。それが何時、どのように「解放」されたのか、あるいは解放されていないのかということが大切である。台湾では70年代に「解放」されながら、後発であった、あるいは「経済・貿易」などの実用面での限定的な「解放」であったために、日本研究のアカデミックな制度の確立がともなわなかったということがあるのだろう。

 また、現在の問題を言えば、経済成長の面で魅力を失いつつある「日本」を「学ぶ」価値があるのかという根本的問題があり、日本自身が「経済大国」としての魅力の次に来る「価値」を生み出さねば日本研究それじたいが進展しないということがあろう。これは世界共通だが、日本を発展モデルとしてきた東アジアの日本研究にとっては切実な問題である。このほか、東アジア諸国において「地域研究」があるのか、また日本ではどうしてそれがあるのかという学問の背景をめぐる根本問題もあるが、こうした学問に内在的な問題は基礎調査である本書では多く言及しない。

 調査は、上記のような幾つかの視点を提示することはできたものの、まだまだ不充分な状態に過ぎなかった。だが、このたび(財)交流協会の御配慮と御厚情で調査結果のリヴァイズと出版の機会を頂戴した。何かしらの定見が有るわけではないが、掲載するデータや未熟な問題提起が、台湾における日本研究、あるいは日本と台湾の学術交流の一助ともなれば幸いである。

 なお、調査報告書作成にあたり、本来であれば、中華日本学会, 北京日本学研究センター監修, 国際交流基金企画『中国における日本研究 』(世界知識出版社1999年4月、全646頁)規模の報告書を目標としたが、筆者の力量の限界があり、そこまでの分量と網羅性を得ることはできなかった。だが、今回の調査結果はデータベースとして(財)交流協会日台交流センターのホームページにて公開予定であり、今後加筆修正されながら、より密度の高いものがつくられていくことを望むものである。

 最後になるが、データベース作成にあたり楊琇光(中国文化大学日本語文学系学生=当時、現・輔仁大学大学院日本研究科)、井上結香子(北海道大学大学院法学研究科博士課程)の多大な協力を得た。記して謝意を表したい。また、出版の機会を与えてくださった日台交流センターの大和滋雄所長、野村英登職員に御礼申し上げたい。

平成  年  月

                                        札幌の研究室にて

                                                   川島 真

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