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2002年度アジア政治論前期試験・出題意図/採点講評

2002年度アジア政治論前期試験・出題意図/採点講評

《問題》

1.19世紀における「国際社会」(family of nations)におけるメンバーシップは如何なるもので、その下に不平等条約体制は如何に正当化されたのか。

2.中国における不平等条約体制の成立過程およびそれからの脱却過程について、他国のそれと比較しながら述べなさい。

《出題意図》
 アジア政治論という科目は、アジアの政治への基本的な見方を養うために設けられている。政治学講座の中では政治学や比較政治といった基本的な科目を履修した上で学ぶ「地域別」の科目として位置づけられ、3・4年生向けの特殊講座となっている。今年は、大学院合併科目(制度上は大学院科目を学部に展開)としている。
 講義では、アジア政治外交史の基礎として、オスマントルコ、ペルシャ、ムガール、東南アジア、東アジア各地の、18~19世紀における「不平等条約締結過程」をおうことで、「第一次グローバリゼーション」とよばれる時期の、アジア各地域の「国際社会(family of nations)の「常識」への対応を個別に検討し、その時代における問題の位相を理解した上で、そこから21世紀のアジアの「全球化」への対応の姿などを想起することをねらった。また講義では、過半を専門である中国外交史に費やし、そこでは殆どのテキストなどには見られない昨今の研究動向を反映した内容を述べてきた。特に1900年代から始まる「近代化」とは異なる「文明国化」への試みや、不平等条約改正過程などが講義内容の中心となった。
 出題した課題は、事前に問題を公開することもあって総合的な問題とした。特に授業に出ていない学生にとってはアプローチしにくい課題であったかもしれない。第一問は、19世紀の国際社会が、後の「国際連盟」や「国際連合」とは異なり、多くの国から国家商人を与えられた独立国であればどの国でもメンバーシップを得られるような場ではなかったこと、そしてそれが一種の西洋中心主義に裏打ちされながらも、西洋諸国とて世界にその活動範囲を広げる中でメンバーシップを西洋諸国にだけ限定することもできず、アジア諸国などを如何に取り込むか議論を重ね、未開地域は別にして、一定程度の国家組織などを有する「非文明諸国」との関係においては、ウェストファリア体制の「国家間の平等」という原則が適用されず、不平等条約を結ぶことを肯定するような方向性がとられた(世界国際法会議など)。そこでは、明確な国境と確定された国民をもつこと、そして対外的にその国を代表する政府が一元化されていること、つまり主権国家であることが前提とされ(国民国家ではない)、政治面では近代的な政治制度の完備(民主主義ではないし、皇帝制度を否定しているわけでもない)、法律面では西洋的な近代法整備・施行、経済面では公正な競争の担保などが条件とされた。そして、この不平等条約を改正し、国際社会のメンバーとなるためには、社会生活全般も含めて、こうした条件がクリアされることが求められた。他方、アジア諸国にとっては、こうした「不平等条約」における不平等性が認知されたわけではなく、ただちに上記の条件のクリアがはかられたわけではない。確かに、戦争の敗北などから、中国の洋務運動のように軍事面や産業面で「富強化」をはかる政策もある。だが、これは不平等性を認知し、それを克服するために上記の条件をクリアすること、つまり「文明国化」することを目的にした政策とは必ずしも同義ではない。「富強化」も「文明国化」も、ともに「近代化」の一部分といえるが、その目的、内容は異なるのである。誤解を恐れずにいえば、「富国強兵」「殖産興業」と「文明開化」の違いはここにある。
 第二問は、中国に絞った問題である。ある意味で授業への出席と、腕力を試すつもりであった。この方面のことがきちんと記されているテキストは殆どないので、授業のノートなどをもとにして、年表的に歴史を整理しつつ、そこに他地域との比較を加えながら叙述し、歴史叙述の難しさも同時に味わって欲しかった。
具体的には、南京条約以来、およそ80年にわたる不平等条約の締結過程を、治外法権、関税自主権、最恵国待遇などの重要事項を入れ込みながら説明できればいい。戦争に負けるたびに結ばれる条約、最恵国待遇で拡大されていく権益。但し、この不平等条約の締結過程については、1890年代の租借地の問題(これにより「勢力範囲」が設定される)、不平等条約締結が1920年代まで継続したことをきちんと記すべき。他方、このような不平等条約の締結過程を中国側が如何に見ていたかということも重要である。一種の恩恵として与えた特権、あるいは不平等条約を活用して、むしろ自らの活動範囲を広げていく中国系商人などのことも看過できない。
この不平等条約体制からの脱却過程については、不平等性への認知と文明国化への過程、そして具体的な条約改正過程を記す。ただし、ここで「富強」を目指す洋務運動を強調したりしすぎると、近代化と文明国化の区別がつかなくなってしまうだろう。同治年間における不平等性の認知(漢文テキストの採用など)、1880年代の不平等条約に関する議論、光緒新政下におけるマッケイ条約(近代法制度整備の際の治外法権撤廃を条約に明記)、ハーグ平和会議における三等国認定などが、前史になるだろう。具体的な過程はチリ条約や第一次世界大戦参加にともなう、在華ドイツ・オーストリア利権、賠償金獲得、パリ講和会議・ワシントン会議における二十一か条条約の骨抜き化、そして修約外交、こういったことが1920年代までの成果として出てくる(カラハン宣言なども重要)。但し、上記のように不平等条約も締結され続けた。1930年代のナショナリズムの高揚、日中関税協定、1940年代の各国の在華各政府に対する不平等条約撤廃、そして中華人民共和国・中華民国の双方が不平等条約改正を自らの正当性のひとつとしていることなど、内容は多数。
比較については、どこでもよいが不平等条約体制ができる過程、脱却過程の双方についてきちんと書き込むことが求められる。日本なら敗戦条約でないこと、不平等認知から文明国化への転換が早かったことなどがあるが、同時に1910年代には万国公法を護らずに行動するようになるという問題性もある。トルコであれば、革命外交と修約外交の相違が争点となろう。シャムは日本同様の改正過程をたどったが、領土を割譲してまで撤廃に成功したということがある。朝鮮半島は日本の植民地となることで撤廃することになるが、記述には慎重さが必要。

《採点講評》
優/良/可/不可がそれぞれほぼ同数となった。非常によく内容を消化し、またさらに内容を加えて応えてきた答案があった。他方で、授業をまったく聞いていないで回答するのには無理がある問題であったはず。だが、今回の問いの内容は、日本の近代化の問題、あるいはアジアの中の日本という問題についての根本を提供するので、ここをきちんとおさえられないと、知識の蓄積に限界が生じることになろう。特に、「アジアは遅れているから」といった発展段階論的思考を出し、露骨なオリエンタリズム的記述を平気でする答案が目立った。確かに、時には段階論や近代化論に依拠してものを考える必要がある。だが、もしそうならば、シンガポールや香港などが各部分で日本を上回ったら素直に受け入れることが必要。21世紀にはいっても名誉白人のように自らを位置づけ、アジアの中にある日本という問題をきちんと考えていないと思われる答案がめだったことは、たいへん残念であったし、授業の仕方を今一度考え直し、次年度は基礎からきちんとやるべきであると考え直す契機となった。他方、第二問などは中国がナショナリズムを重視するのか、そして抗日戦争を何故重視するのかといった問題につながる。ここがわからないと、中国との対話はできないだろう。なお、採点に際しては、全員に10点「下駄をはかせた」。

第一問(40点)
いろいろな参考書をみたようで、幾つかのパターン化された答案があった。回答は自分で作成すべきであろう。まず、設問をきちんと読むこと。「19世紀における」が条件。ウェストファリア条約前後のことばかり記述しても不十分。問題は、その17世紀にできた体制が他地域に拡大していく際にどのようになったのかということ。そして、国際社会におけるメンバーシップは如何なるものかという問いなのであるから、「メンバーシップは××である」というきちんとした応え方をする。何が言いたいのか、何をメンバーシップの要件とみなしているのか不明な答案が多かった。不平等条約の正当化は、西洋側が如何にそれを正当化したということを意図したのだが、アジア側の問題も書き込んだ答案があった。これは当方の予想を上回ることであった。
 採点の方法としては、国際社会のメンバーシップとなるための要件として、「文明国」とその内容が出ていれば6割に相当する25点。この部分が不十分だと15~20点。あとは、非文明国との間の関係性においてウェストファリア体制における国家間の平等という原則が適用されないということによって「不平等条約」が正当化されたこと、ここまできちんと出ていれば7割に相当する30点。そして不平等条約を締結された側は、文明国となる努力をすることでそれを克服できるということ、また適当な事例で40点になる。

第二問(60点)
南京条約以来の不平等条約締結過程、それが体制として確定していく様がきちんと出ていれば20点。但し、ここがきちんと出ている答案はきわめて少なかった。前述のように1920
年代まで、治外法権、関税自主権、最恵国待遇、そして租借地などの内容を織り込みながら書き込んでいく。「書き込み」をしないで、さらりと流す答案が目立った。点を取る気がないのであろうか。脱却過程は、不平等性の認知と改正への努力ということを書く。同治年間のテキスト正文問題からはじまり、80年代の不平等条約認知、外務部成立、マッケイ条約、ハーグ平和会議などを授業では述べた。あとは民国期にはいってからのチリ条約、参戦問題、パリ講和会議、修約外交、革命外交、カラハン宣言などを、国際社会における地位向上への努力と具体的交渉過程を絡めながら書き、最終的には第二次世界大戦に連合国側として加わり、抗日戦争を展開することで、43年にこれらを撤廃(それぞれの政権が撤廃)するといった流れを記す(なお、中華人民共和国は49年以後も不平等条約改正をおこなっていたとしており、43年説をとっていない)。また、国民党も共産党も両岸両国ともに自らが不平等条約改正の主体であるとし、それを正当性の源としていることにも触れておきたい。この脱却過程も20点で採点した。比較の部分は、どのような論点もいいが、事実を踏まえ、論理的に記述する。羅列されてもそれは「比較しながら述べる」ことにはならない。箇条書きは単なるノートにすぎない。(比較の観点は既に出題意図で述べた)

《結果》

    優  良  可  不可
3年  3  3  1  3
4年  4  8  9  7
院生  5  2  3  2
他   3  1  0  0

計   15  14 13 12

以上。

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