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第7回アジア政治論質問・回答

第7回アジア政治論質問・回答
(回答しきれませんでした。一部は次回にまわします)
川島 真

◆【授業の方法について】
◆【学習情報収集の方法について】
  
  レジュメを印刷しようと思って学校のHPを見たのですが、見つかりませんでした。
  どのHPを見ればいいのでしょうか。                    (学部4年)
  
⇒確かに北海道大学のHPからだと「遠い」かもしれませんが、見つからないというほどでもないと思います。やや驚きました。HPから、「学部・大学院・センター等」に入り、そこから大学院法学研究科・法学部⇒教官一覧⇒教官のホームページではいることができます。あともっと簡単なのはYAHOOの検索のところに小生の名前をいれてください。「登録サイト」のところに「川島真研究室」HPが出てくるはずです。他方、その下にある「ページ検索の結果の表示」をクリックすると、いろいろ小生の関わっていることなどが出てきます。
   調べものをするのにネットを利用している現在、ネットからより確かな情報をとることが個人の能力として求められているように感じます。ここには「探す」(上手な検索のかけ方、また便利なHP〔情報の宝庫、信頼度の高い情報〕を見つけ出すことなど)+「選択する」(ネット上の情報は玉石混交、記述への責任無しという無法地帯に近いところがあります。そこから何を選ぶか審美眼が逆に求められます)+「使う」(ネット上の情報をそのまま使うのは危険ですね。裏をとったり、文献など「依拠できるもの」で補充します。ネット上の情報は「きっかけ」として使うことが多いのです)+「ストックする」(便利なHPなどのショートカットをつくっておくことなど)などといったプロセスが必要になります。
   こうした意味で小生が「ストック」している幾つかのURLをレジュメなどで示しています。

これから日本をとりまく賠償問題について勉強(研究)をしていきたいのだが、この北海道大 学でどのような資料が手に入るのだろうか。教官ではなく、経済的にも限界のある学生として何ができるのか。 (学部4年)

 ⇒これは研究をどのようにするのかという大きな問題と関わることで、かつ研究者としてのその基盤それじたいに関わることです。まず、たとえば「北海道大学」にいるよりは東京にいたほうが資料が手に入りやすいだろうという印象があるかもしれませんが、これについてはあまり心配しないでください。確かに東京のほうが資料は多いのですが、多ければいいというものではないし、北海道でも十分に研究生活をおくることができると思います。さて、どのように資料を得ていくか、また北大でどこまでできるのかということですが、これはディシプリンや専門に応じて異なるので、とりあえず、小生自身の専門領域のことでお話します。
    まず、興味をもたれている賠償問題ですが、問題は賠償問題の「何を」、「どのように」考察するのかということです。これは「問題をたてる」ということとも繋がります。つまり、たとえばいま日本と中国などで問題になっている賠償問題を扱いたいのか、賠償問題という戦争につきまとう問題を一般的に扱いたいのかということがありますし、また方法論もあります。たとえば日中関係における賠償問題を、法的に考えたいのなら、判例や関連する専門書・論文を読んでいくことになります。また、法律とはいっても、憲法、国際私法、行政法、中国法など問題に迫るためのアプローチは複数です。大学の「専門」は、こうした「××法」というカテゴリーによって決められていますから、賠償問題を専門に研究するとは言っても、「××法」を専門とした上で、それに迫るということになるでしょう。では、このような法学から賠償問題に迫るとき、まず何をすればいいのでしょう。専門外なのでよくわかりませんが、皆さんの先輩で北星の先生になった斎藤正彰さんのホームページなどを見ると(http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00199/)、たとえば法令などについては、http://www.law.co.jp/link.htmとか、HOUTALのホームページhttp://www.houtal.com/index.htmlが有用であることがわかります。こうしたところから関連する法律法令、判例などを押さえてしまいましょう。次に関連文献ですが、参考文献リストを自分で作成します。総合図書館に行って相談してもいいのですが、ウェブ上でもいろいろできます。北大の蔵書については、賠償とか関連するキーワードを入れて検索します。これで北大にある本はつかめますね。次いで、全国蔵書(NACSIS Webcat)というところをクリックして、北大以外の図書館のものを見てください。それをリスト化してみてください。そして読んでいきます。どれから読むか…これがわからなければ専門の教官に聞いたほうがいいかもしれません。それから、北大にない本については、取り寄せができるはずですから、図書館で相談してください。次に雑誌論文です。北大総合図書館のホームページの、学術文献データベース(Web of Science・SwetScan・雑誌記事索引・北海道新聞DB・OED・他…)にはいってみてください。それで雑誌記事索引 NDL-OPAC 1948-Currentをクリックして、そこでキーワード検索していきます。多分この書物と雑誌記事検索で相当な文献目録ができます。そして、北大にも大学紀要含めて数多くの雑誌がありますから、検索で出てきた関連論文を片端から複写していきます。もし北大にない雑誌があったら、本と同じ方法で取り寄せてもらえます。実のところ、こうした検索システムに網羅性はありませんし、また外国語の文献などははいっていないことが多いので、研究者がやる作業としては全体の3割にも満たないのですが、学生が勉強をはじめるには使える方法です。また、読んでいくに際して注意すべきは、本や論文の注記をきちんと見るということです。注記にどのような法令が引用され、そしてどのような文献が引かれているか、そしてそれらは自分のリストにきちんと入っているかを確認します。そうやって参考文献リストを増やしていきます。こういったジェネラル・リサーチは、これから勉強をしようという際には有用です。そして少し勉強していくと、同じ賠償とは言っても、自分が「日中賠償問題の何に関心をもっているのか」という一つ掘り下げたところまでいくことができます。こうやって次第に「研究テーマ」が決まっていくのですね。研究テーマが決まったら、また次の段階があると思いますが、これは専門外ですから無理ですので、外交史的な方法から迫る手法を書いてみます。外交史でも文献を探していく方法などは基本的に法律と変わりません。そして自分のやりたいテーマが決まってきたら、今度は「史料」を調べなくてはいけません。日中の賠償問題であれば、それに迫る史料はあるのでしょうか。外交史であれば、日中の外交において賠償問題がいかに議論されてきたかということが問題になりますから、まずは外交文書をあたります。それがあるのかないのか。あるとしたらどこにあって、どうやれば見られるのか。これが第一歩です。しかし、外交文書だけで研究することには限界がありますから、その交渉に関わった政治家や外交官の回想録、当時の新聞などをかたっぱしから当たっていきます。そして、問題点や課題を析出していきます。ここであらためてこの分野の先行研究を検討します。これまでの研究は何をどこまで、どのように明らかにしてきているのか。そして問題の建て方にはどのような背景があるのかをじっくりと考え、では自分は何をどうしてやろうとするのかを「独善的にではなく」、人にわかるようにこれまでの経緯をふまえながら練り上げていきます。理論研究ですと、ここに理論的検討もはいるのですが、歴史の場合には史料が大切ですね。そうやって課題をきっちり設定したら、史料ともう1度むきあって論旨をつくっていきます。こうやって論文ができていくのですね。北大では、文献収集は何とかできますが、史料収集は難しい面があります。でも、新聞・雑誌、政治家や外交官の回想録などはありますから、十分勉強ができます。あとは東京や海外に行って史料を見ることになります。

  日本に住み、普段中国に行ったり、現地で情報資料収集できない学生にとって、中国の正しい情報を把握するために、中国のインターネットに頼るしか方法がないと思い、毎日、「雅虎中国」、「奇摩」など、中国や台湾のyahooを一通りチェックしています。中国においては、政治面は『人民日報』、経済面は『経済参考報』を信頼性のあるものとして見ていますが、反面中国内部で浸透しているのはこれらの情報よりも無数の三流紙(八卦)だという話も耳にしたことがあります。中国・台湾のネット上においてどのように情報収集をするべきでしょうか。またぜひとも参考すべきページ等があれば教えてください。(学部四年)

 ⇒まず申し上げておきたいことは「正しい情報」とは何かということです。たとえば『人民日報』など政府の公式見解を言っているだけで、事実とは反するという説明があります。しかし、だからといって『××晩報』に出ている夫婦喧嘩の記事が「事実」なのかといわれると、それもまた困ります。ただ、自分が「民衆」であると思っている人が、『人民日報』は嘘ばかりで、『晩報』のほうが正しいというときには、『人民日報』と自分との距離感を問題にしていて、『晩報』との距離が近く、感覚的に近いということを言っているのだと思います。客観的に見れば、『人民日報』は政府がしようとしていること、政府が正しいと考えていることを羅列してくれるメディアです。そうした意味で「正しい」ものです。他方で、『晩報』の類は、記事としてきちんと裏がとられているかというと実は怪しい、けれども読者がきっとこういうことはあるだろう、いかにもありそう、と納得するような内容で、そうした意味で「説得力のある」正しい話ということになるのだと思いますし、「中国人と仲良くなるなら」こちらを読みなさいといわれるときもあります。それぞれの情報をいかに受け取るかということですね。ただ、基本的なところでの「事実」(日時、人名、場所、具体的行為)について間違いが多いような情報はつらいですね。そうしたものは「嘘」ということになります。しかし、「フィクション」として「ありそうなこと」が書かれ、それが人口に膾炙していくことを「嘘だ」として対象から捨象することはよろしくないと思います。
  さて、具体的にどのようなものを見るかということですね。例えばですが、 http://www10.ocn.ne.jp/~sunmoon/others/link.htmというサイトもあります。でも、MAD JAPAN PIGという反日サイトなどを見ていると対日感情の極端な部分のことがわかりますねhttp://www.japanpig.com/。台湾方面では、御存知と思いますが中国時報のネット版 http://tw.news.yahoo.com/newest/polity/ctnews/ や、聯合報http://tw.news.yahoo.com/newest/polity/udn/ 台湾日報http://tw.news.yahoo.com/newest/polity/twdaily/ 、自由時報 http://www.libertytimes.com.tw/ などがあります。よく注意して見て欲しいのですが、台湾のYAHOO奇摩は、中央社、中広などのニュースをトップとして伝えていることが多い=国民党系だということがあるのです。
   でも、カレントな「情報」を得ることも大事ですが、スタティスティックな情報をきちんと得ることも大事ですよ。台湾であれば若林先生のちくま新書の本をきっちり読むとかしたほうが時間の使い方としてはいいかもしれません。どんなに情報があったって、どのように見ればいいかということが無ければ駄目なので。

【第七回の授業内容】

1. 国際経済と東アジア

近年、国際経済は、従来のGATT、WTOを中心とする多国間(マルチ)から二国間(バイ)への転換が趨勢となりつつあります。その最たるものがFTA(自由貿易協定)であり、日本もシンガポールとのFTAを締結しました。貿易依存度、安全保障をふくむ政治的重要性の点から見れば、韓国・台湾に先だったポイントはずしのようにも思えます。今回のFTAでは、農産品のすべてをその対象枠からはずしてしまったのは、韓国・台湾に対し、農業枠について交渉をもつ余地がないことを示してしまい、悪しき慣例を作ってしまったように思われます。一方で巷で言われるように、日本・シンガポール間のFTAをアセアン・中国で進めているFTA交渉に対する対抗策と見るなら、果たして農業枠を除外するようなFTAのままで、これから成立するアセアン・中国のFTAに対抗できるのでしょうか。また、そもそもアジアにおけるFTAを、中国・日本の利権争いとして見るべきでしょうか。(学部4年)
 ⇒まず最初に理解しておくべきことは、経済というものは(おそらく)ひとつのケーキを皆で分け合うようなイメージで考えるべきではなくて、そのケーキの大きさも変えることができると考えることができるものなのだということです。シンガポールとのFTAは、http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/singapore/kyotei/pdfs/honbun.pdf で見ることができますね。また外務省経済局のFTA戦略については、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/policy.html が参考になります。まず、「二国間」枠組みの問題ですが、WTOやGATTなどのマルチからバイへの転換という御指摘について、確かにそうした現象が目に付きますが、必ずしもそれらをマルチかバイかという問題で考えなくて良いのではないかと思います。少し話がずれますが、「地域」間枠組み優先の時代、日中韓三国という枠組みが称揚されたときがありました。しかし、実際のところ、三国にすれば二国間における問題が解決されるのではなくて、一層二国間の関わりの重さが浮かび上がったという側面があるのではないかと思います。日本がFTAを結ぶ背景には、むしろWTOなどの国際機関での活動空間を確保する、具体的には共に行動できるパートナーを確実につくっておくということだと思います。また、単純な経済的な必要性からして、確かに東アジア・東南アジア諸国とのFTAは必要です。何故かと言えば、こうした国々が日本の製品に課している関税は欧米諸国とは比にならないほど多いからです(米国3.6%、EU4.1%に対して、中国10%、マレイシア14.5%、韓国16.1%、フィリピン25.6%、インドネシア37.5%)。しかし、これらの国々とは経済格差の問題をはじめ、さまざまな調整が必要となることから、まずはシンガポールということになったのだと思います。シンガポールとであれば、ご指摘のとおり農業産品を交渉する必要はありませんし、経済格差も小さかったからです。他方、交渉の問題を考えると、アセアンとのFTA締結を言った中国は、これかてアセアンという組織と交渉するのではなくて、アセアンを構成する各国と交渉をしなくてはいけません。これには膨大な時間がかかり、まずはシンガポールと締結するという日本の戦略が間違っているというわけでもないと思われます。次に農業の問題ですが、授業でも申し上げてきたとおり、農業は価格と品質といった市場の論理だけでは解決しにくい「農産品」を生み出します。コメの例にも見られるように、農産品に対してはメンタルな面が多く含まれます。「安くて美味しいから買う」ということには必ずしもならないのです。特にナショナリズムとの関わりは深刻です。また自民党が農村地区を地盤にしていることも重要なファクターですね。農水族の議員は、当然ながら「農業保護」に動き、セーフガードの発動などを強く求めています。彼等にとって、FTAはWTO以上に難しい問題なはずです。そうした意味で、FTAにおける農業方面での交渉には、国内交渉という別の難しさが残されています。そうした意味で、東南アジアの農業国や中国などとのFTAにはまだまだ難しい面が残されているのです。

2.移動の自由

どうして中国では移動の自由を禁止しているのですか。(学部3年)
 ⇒簡単に言えば、社会主義的な計画経済のために必要とされたからです。中国では農村戸籍と都市戸籍を作成し、農村戸籍を持つものの都市への流入を防ぐと共に、国民を土地に固定し、その「単位」での計画経済に関わることを求めました。人員の固定が計画経済の基礎にあったのです。歴史的な経緯で考えれば、54年憲法で「居住と移動の自由」は認められますが、社会主義、特に集団農業が強化される中で、58年の全国人民代表大会で「戸籍管理登記条例」が定められて、都市戸籍と農村戸籍ができました。しかし、授業で紹介した「盲流」現象も含めて、改革開放以降の鄧小平による改革とこの制度の歪が浮き彫りになってきています。そこで、中国ではそうした動きをむしろ具体的に評価する方向で2001年前後から動きをおこしています。たとえば「盲流」というネガティブな表現を止めて「民工」と呼び変え、農村部から都市に流入する労働力を積極的に評価しています。また、戸籍管理制度を漸次廃止していくことも合意されています。具体的には、既に一時的に都市に出稼ぎに入るものへの臨時戸籍制度、また北京市内の農村部の農村戸籍を撤廃し、一律に都市戸籍とするなどといったことがここ数年で進行しています。

3. 失業率

中国の失業率が10%以上ということには驚いた。でも一方でそういった余剰労働力に目をつけた外国企業が対中投資を増やしている現状を考えると(SARS騒ぎで今後はわかりませんが)、たとえリストラされても再就職先はたくさんあるのでは…と思いました。内陸部の失業者はわざわざ沿岸部まで出稼ぎに行かないのですか。混乱してしまいました。
(学部4年)
 ⇒そうですね。この10%という数字には「下崗」を含みます。これは一種のレイオフですね。彼等の層は、基本的に他の行き場がないのです。国有企業気質の染み付いた層はあまりウェルカムではないですし、特に何か手に職があるわけではないですから。そうした意味で、彼等の不満は爆発しつつあり、遼寧省の遼陽市などではデモが起きています。そのデモでは、「下崗」 された国有企業労働者が未払いの賃金や退職金の支給を求め、政府幹部の腐敗を糾弾しようとしました。遼陽市では、五千人以上の規模のデモが繰り返し発生、市政府と警察署を囲み、 遅配の賃金と退職金の補償や党・政府幹部の腐敗の取り調べを要求しました。しかし、遼陽市側が武装警察を繰り出して、デモ隊を阻止し、リーダー六名を逮捕、さらにそれへの抗議デモがおき、三万人規模に発展しました。黒龍江省の大慶油田でも 連日一万人以上の労働者が大慶石油管理局前でデモを繰り返したといいます。これらはいずれも今年3月のことです。 彼等はどうして「民工」にならないのでしょうか。すでに年取っていたり、上記のように手に職がないことから、集約型の昨今の工業には対応できないのだとも考えられます。

◆そのほか

 
 中国の歴史の見方に驚きました。歴史というものはそんなに見方が変わったりするものではないと思いこんでいましたが、日本でもどこの国でも政策などに関連して歴史の評価が変わるということがあるのだと思います。今はなんとなく思っている歴史の評価も、そうした政策などと関連しているものなのかもしれないと思いました。とても面白かったので、北京大学でのできごとをもっと聞かせてもらうと嬉しいです。(学部3年)
⇒そうですね。おりを見て話をしていきたいと思います。
  歴史というものは、なかなか難しいものです。たとえば、「1543年に種子島にポルトガルから鉄砲が伝えられた」と教科書で習ったとします。しかし、これの根拠は実際には、江戸時代にはいってからの記録にあったのです。それに、ポルトガルには種子島に伝えられた銃は無かったんですね。結論的には、東南アジアで製作された銃を、種子島に漂流してきた華人船に載っていたポルトガル人が「持っていた」わけです。「真実」は所詮は紙しかわかりません。残された史料をつかって、史料批判をおこないながら可能な範囲で客観的に検証されたことが「事実」なのです。ですから、その史料批判に問題があったり、客観性に問題があったり、またあるいは新史料が出てくれば、すべて変わってしまうのです。だから、山川の教科書に書かれていることは、固定物なのではなく、すべてが不安定で相対的な「事実」なわけです。東大の平勢隆郎先生が、司馬遷の『史記』の誤りと、その誤りの意味を見出したことは有名ですが、「歴史」というものは、あくまでも「創られたもの」なわけです。日本の場合は、戦後に戦前の教科書を否定したところから始まりました。勿論、自由主義史観で指摘されたように、当時の東京裁判で示された歴史観が教科書に盛り込まれたということはあるかもしれません。しかし、それよりも強固であったのは、生産力中心の発展段階論と西欧中心主義が根底にあったのではないかと思います。そしてこれらは、経済発展の論理と、市民社会形成という論理で正当化されていった部分があります。だからいけないというのではないのですが、振りかえって整理しておく必要があると思います。いま流行っている「歴史観」が出てきた背景も含めて。他方、中国では歴史の「創られる」という要素を最大限活用していますが、そうであるにしても、どの国でも国家建設のときにはこうなるものです。「歴史」は体制強化のため、国家の為に利用されやすいものです。そしてそれは教育を通じて、国民の歴史へと転化し、共同幻想の礎となっていきます。まるで先祖は皆歴史を共有してきたかのような幻想を共有していくようになるのです。  

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