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第6回アジア政治論質問・回答

第6回アジア政治論質問・回答
川島 真

◆【授業の方法について】

雑談面白いです。新聞やニュースで思いこみがはげしくなっていそうなことをひきもどすような話はすごく聞きたいです。ただの感想です。(学部3年)

本筋と関係ない話、とても興味深いです。これからもたくさんしていただけると嬉しい
です。(学部3年)

⇒ありがとうございます。雑談をしたりしていて本題にはいらないのは如何なものかというご意見が前回ありました。要はバランスということですね。こちらとしては雑談の中にいろいろ学生のみなさんに伝えたいことや、言いたいこと、また中国を見る眼などを折りこんでいるつもりなのですが、バランスを失することも問題であると考えます。注意して話して行きたいと思っています。

◆【第六回の授業内容】

1.経済特区

経済特区が、楽市・楽座のイメージと結びついて仕方ないのですが…(学部3年)
 ⇒確かに、「楽市楽座」と似た部分があると思います。「開放性」とか、「商取引への規制緩和」などといったイメージが重なります。しかし、信長のおこなった楽市楽座については、単に商工業の活発化とか、自由化ということをねらっただけではなく、「市」や「座」を基盤としていた貴族や寺院などに打撃を与えていくという政治的な要因もあったと思います。中国における経済特別区に、このように何かしらの勢力と結びついていたものを切り離すといった方向性は無かったように思います。
   しかし、この問題、もう少し掘り下げてみると面白いかもしれません。網野善彦『無縁・公界・楽-日本中世の自由と平和』(平凡社ライブラリー、1996年)を読んだことがありますか?あるいは、網野善彦・阿部謹也『対談 中世の再発見 市・贈与・宴会』(平凡社ライブラリー、1994年)とか、阿部謹也・網野善彦・石井進・樺山絋一『中世の風景』上下(中公新書、1981年)とかでもいいのですが…。日本中世における、既存の社会秩序から切り離された「自由」で、「解放」された領域としての「無縁」、手形や通交証を免除されて規制無く各地を往来でき、かつ一種の尊敬を社会から勝ち得ていた、能役者や占師などといった特殊な職能のある者としての「公界(くがい)」往来人、その「公界」として意識される領域が存在し、次第にそれが都市の運営者などに拡大されていったこと、そして年貢や公事(くじ、課役のこと)を免除される、無縁空間としての楽、そして公界の人々としての楽の商人たち、といった中世を解くキーワードがこれらの書物には出てきたように記憶しています。
    さて、近現代中国における「特別な空間」について考えるとき、思い浮かぶのが「租界」や「特区」ですね。これらは、上記の無縁・公界・楽とはだいぶイメージが異なりますが、租界はひとつのアジ-ルでしたし、特区は一般的な国土とは異なる制度の下に置かれ、一定程度の自由と豊かさが保証され、当初は「特別な人間」しか住むことができませんでした。しかし、そこは「異界」であっても、「公界」であったかはわかりません。そして、このような異界が社会の中に出現することが、果たしてどのような意味をもつのでしょうか。こうした点について、上記の本をもう1度読み返してみようという気になりました。
  (因みに、網野史学は「もののけ姫」をはじめとする宮崎駿の作品のモチーフですから、宮崎アニメの背景に関心がある方に御勧めです。また天皇制や日本史の構造に関心のある方にもお勧めします。)

ゼミの中国人留学生の方が、経済特区には一つを除いて自由に出入りできると言っていました。住民票を移すことは別として住むことは可能だそうです。(学部3年)
 ⇒授業では経済特別区がつくられた当時のことを言っていました。現在では、通行することも含めて大変自由になっています。しかし、お書きになっているように「住民票を移すこと」(=経済特区の都市戸籍を得ること)は極めて困難です。戸籍はなくても、どこかのアパートを借りて住むことじたいはできます。しかし、そこで「(臨時でなく)働く」とか、所帯を持つといったことは困難になります。すなわち、経済特区に拠点を置いて活動することが制限される、誰でもそこで経済活動をおこなえるというわけでない、ということです。

2.技術の優位性について-中国における知的所有権-

  
 技術の優位性に関連した質問です。中国はニセモノが流出しやすい国であったと思いますが、現在知的財産権の保護はどうなっているのでしょうか。WTOに加盟してからは少しは変わったと思いますが。というのも、知財の発達は事業者・発明者のインセンティブが高まるから、中国自前の技術や付加価値の高い製品の生産につながると思います。そうなると、日本は技術という比較優位を保てなくなると思います。(学部4年)
  
⇒中国の知的所有権については、中国の知的所有権事情(http://www2s.biglobe.ne.jp/~imamichi/)とか、通商産業系の日中経済協会知的財産権室(http://www.cnip.org/index.html)、あるいはジェトロ北京センター知的財産権室(http://www.jetro-pkip.org/)、北京に事務所をもつアンダーソン・毛利法律事務所(http://www.andersonmori.com/china/01/)などが情報提供をしています。また、中国法のスタンダード的教科書である、鈴木賢先生らによる『現代中国法入門』(有斐閣、1998年)には財産法のところに知財に関する記述があります。法律関係はそちらで押さえて見てください。また、日中以外の国際機関の中国に対する評価を御覧になりたい場合には「世界知的所有権機関(WIPO)のHP(http://www.wipo.org/)に入ってみて下さい。日本語はありませんが…
   さて、政策レベルで考えても、知的財産権は中国政府にとってもWTO加盟だけでなく、「中国の国際化度・現代化度」をはかる指標として重要と考えているようです。朱首相も再三にわたり知的所有権の重要性を訴え、国家としてその問題の解決に乗り出すとしていました。実は、SARS騒動が無ければ、昨月の末(4月26日から26日)に「世界知的財産権サミット」なる会議が世界知的所有権機関の要請で開催されることになっていました。会議が開催できなくなったときに、政府として異例の「遺憾」表明をしたことでも、会議への政府の意気込みが感じられました。確かに4月9日に北京で発行された「中国世界貿易機関(WTO)報告」でも、「中国はWTO加盟での合意事項について最初の一年で厳格に実行した」と評価されました。具体的には、「2002年末までに、14の法律の改正、37の行政法規の改正または制定、12の行政法規の廃止、1千以上の部門規則の改正または廃止をおこなった」とされ、知財方面でも「専利法、商標法、著作権法などの法律、法規の改正と制定によって、中国の知的財産権法律制度が「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS協定)が要求するレベルにほぼ達した」とされています。
   このように知的財産法が整備され、また意識も向上することによって、ご指摘のように「付加価値創出」や「新製品開発」などが一層進むことが考えられます。中国のIT産業における技術水準は既に先進国にキャッチアップしつつあるという指摘もあり、「日本の優位性」は維持できなくなるかもしれません。しかし、こうした突破は部分的ですし、中国政府が描くような状況が果たして出現するのか、まだまだ未知数です。中国に進出している外国系企業からはたくさんの苦情が出ています。
  他方、こうした「技術」が「国家」に従属していることについてはどう思われますか。経済は国境を超えますし、製品も超えて行きます。しかし、知的財産が「財産」といったような「法」の観点でとらえられると、どうしても「一国」を単位とする制度の中に落とされていきます。第三者機関によるマネージメントもふくめて考えていかなければならないと思います。

3.世界の工場

  
中国が世界の工場としていられるのは対労働コスト、対品質のバランスからあくまで他国が「利用する」(中国系の方には失礼ですが)にふさわしいポジションだからだと考えます。家電でも電卓など作業工程・部品数が小さいものは中国からマレーシア等の東南アジアにシフトしていると思います。一方で作業工程・部品数の多い自動車などは日本等がまだまだシェアを握っているということですので、中国は「上と下に挟まれている」状況のようにも思えます。ちょうど日本の70~80年代産業構造に(乱暴ですが)似ているようなので、2020年に中国が日本を追い抜くときは、中国もASEANやラテンアメリカ諸国にある意味追いつかれているという状態になっているのではないでしょうか。(学部4年)

⇒授業で少し言いましたが、「××国製」という考え方じたいが問題なのかもしれません。これだけ分業が進む中で、製品の産出国を一国にし、△△を生産国で見ると中国が第一位…などという言い方じたいがおかしいのかと感じます。つまり、工業製品のグローバルな生産過程で、中国が最後の組みたて部分を担当する(ちょうど「××国製」というラベルを貼る権利が付与されている工程を担当している)ということだと思います。この点、まったくおっしゃられる通りですし、授業でも申し上げたように、この最終工程の工場を置くのに相応しい環境が中国に無くなれば、そうした場は他地に移って行くということになります。日本についても、「面倒な」組みたて工程が残されている状態にあり、中国の沿岸部もやがてそのような状態になることでしょう(そのとき日本は?)。ただ、問題は、このような最終組みたて工程が多く置かれている国・地域は、概して高度経済成長期にはいっているところであり、その高度経済成長期のうちに、どの程度までの「豊かさ」を実現できるかということです。中国としては、内陸部までを「食べさせて」いくためには、なるべくこの期間を持続しなくてはならないという事情があります。中国の沿岸部が安定成長期にはいったら、内陸部を高度成長期にいれるなどということは、世界経済の中では考えにくいからです。

【そのほか】

1.川島の北京での授業

講義には関係無いですがただの興味です。先生は北京で中国人相手にどういう講義をしていたのですか。(学部4年)

⇒懐かしいことですが、2000年度に北京大学現代日本コースで3度講義を担当したときには、「日中近代化比較論」という枠で授業しました。戦後日本の産業政策、また「日本を経済発展させる」という戦後のアメリカの方針によって、本来なら1920年代の工業水準をもつ農業国家になるはずの日本が「経済大国」になったという事情、そしてそれをもたらしたもののひとつが中国共産党の国共内戦における勝利ということなどを説明、また工業における技術力の問題、日本のWTO加盟時の農業戦略などについて話して行きました。基本的に、明治以降の日本が成功、中国はなかなか体制転換できずに失敗という図式では説明しませんでした。学生諸君たちは他方面食らっていましたし、また「政治多元化」への引き締めのことなどもあって、小生の授業をどう受けとめるかで「学生会議」が開かれたそうです。
   北京外国語大学に置かれている北京日本学研究センターには副主任として赴任しました。ほとんど行政職でしたが、授業も担当しました。この授業では、日中の近代史をやりましたが、山川の日本史の近代部分を読んでいくということをしました。特に日中関係の部分です。日本で近代日中関係史がいかにとらえられているかという微妙な問題を扱って、これもまた相当の反発が出ました。歴史事実がそうだということと、そのように解釈するということと、また真実は本当はわからないということと、記憶として如何に伝えられているかということの弁別の意図が伝わらなくて、…苦労したことを覚えています。特に「教師研修班」(すでに日本語を教える教員として高校や大学で教鞭をとりながら、半年間の研修を受けている人達)から、「歴史というものは、水が海に流れ込むように、社会全体が歩んできた必然を表すもの」といった意見が出されたり、また「中国」それじたいを相対化する(中国という国家さえ近世から近代にかけて形成されたもので、2000年前からあったというわけではない-こうした考え方は共産党の幹部用テキストにも出ているのだが…)見方についても反論が多かったことを覚えています。
   中国での「センター入試」に相当する統一試験の歴史などは、歴史事件などへの「評価」を如何に把握しているかがポイントで、日本とは別の次元での暗記が求められています。教科書は、歴史事象への「公式評価集」としての性格が強いのです。彼等から見て、文部省検定がどのように見えるか、おわかりですよね。歴史の持つ政治的、社会的意味が違うのです。

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